パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

一人一人はいい人なのに、、、

2014年08月04日 20時08分12秒 | あれこれ考えること
まだソ連が存在していた頃
そして自分が疾風怒濤の頃
横浜から船に乗ってウラジオストク
電車に乗ってハバロスク、そこから飛行機でモスクワへの旅をした事があった
この時代はインツーリストが付いて回って
見られるところは限られていたような記憶があるが
大半は忘れてしまっている

そんな中、鮮明に覚えているのはモスクワのレストランでの食事の時の事
自分たちのテーブルから少し離れたところで大きな声が聞こえる
数字を大勢で叫んでいるようだ
1.2.3.4.5.6.7.8、、、

どうやらそのテーブルは結婚式の披露宴らしく(そんなものがあるとしたら)
少し顔の赤くなった若夫婦を囲んで盛り上がっていて
若夫婦のキス時間を周囲がおもしろがって数えているらしい
幸せそうな雰囲気に溢れている

ところが話はそこで終わらない
今度は別のところで同じ様に数字のカウントが聞こえる
こちらも結婚式の何かの集まりのようだ
1.2.3.4.5.6.7.8.9.、、、あちらの夫婦に負けるな!
若夫婦は頑張ってキスを続ける
周囲はますます盛り上がる

そうすると負けていられないのが最初のテーブルの夫婦
いや周囲の人々
こちらこそ負けるな!さあ、今から数えるからキッスして
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.、、、
笑い声が響く

すると記録を抜かれたテーブルの周囲が若夫婦を煽る
負けるな!
皆できあがっていてブレーキがきかない騒ぎ方
そんな事が何回か繰り返された

どこでも同じだ、
そのとき、少し引き気味だったソ連に対する印象が変わった事を今も覚えている

ある時期ドストエフスキーにどっぷり浸かったから
ソ連を訪れてみようと言う気になったが
正直なところ国としてのソ連はどこか共感できる存在ではなかった
それどころか、嫌いだったくらい

しかし、このシーンはソ連意対する印象を一変させた
やっぱり、一人一人はみんないっしょだ
周囲の人々の幸福を願い、自分たちも楽しく生きようとしている
つまり人々は共産主義だろうが資本主義だろうが
人々は普通は感情の世界を生きている、、
こんな当たり前の事がとても大事な事の様に思えた

一人一人は多分いい人なのに
それがグループなり組織なり国になったりすると
いっぺんにつき合いにくい存在になってしまう

こんな事がソ連だけでなくあらゆるところで見られる
日本人があまり好きでない中国人も
多分一人一人はとても良い人たち、やさしい人たちが多くいるだろう
韓国人も、イラン、イラクにも、、
世界中どこにも見られるに違いない

それにしても何故一人の時と組織の時と
人は変わってしまうのだろう

もっとも科学の世界でも分子と
それらが集まったコロイドとは異なる性質を持つらしいから
こと人間の世界に限った事ではないのかもしれない

しかし、損得を前提に進めるよりも
一人一人の善意を前提とした交流ができれば
世の中はもう少し住みやすくなりそう
と考えるのは現実的ではないと批判されてしまうのだろうか

コメント
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