パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

日本人はまともだった!

2014年08月28日 20時00分30秒 | あれこれ考えること
との見出しで、ウエブ上のスポーツの記事が書かれていたことがあった

何事かといえば、ワールドカップの日本戦のテレビ視聴率のこと
今回は時差の関係で、朝の出勤時間に放送される事があって
日本人はテレビ視聴をしないで、普段と同じように仕事に出かけて
それがアッパレ!というもの

しかし、これには違和感を感じてしまう
果たしてこれが「まとも」なことなのか
こんな些細なことを取り上げてあれこれ言うのが、
まともかどうかと言うのではない
こんな状態(テレビ視聴をしないで出勤する姿)を
「まとも」と言い切ってしまうのはどうなんだろう

ある国ではワールドカップで自国のサッカーの試合がある場合、
その時間は(午前中は)官公庁の仕事は休みにしたとか
そこまでしなくても、普段とは違って大騒ぎをしている国は
たくさんあった
そしてそれらの国はそれが当然だったし当たり前だった
つまり、日本では変と思うようなことが当たり前で
まともなことだったわけだ

大げさに人生を説くつもりはないが
人は何のために生きているのか
といえば、些細な刹那的な楽しみのために生きることもある
サッカーの楽しみもその中の一つ
しかも4年に一度
世界中のお祭りの真っ最中
そんな中、普段と同じような我慢を要する生き方と言うのは
果たしてまともなのか?

日本人から見ればラテン系の人間は
随分いい加減な生き方をしているように思えたりする
シェスタと言うお昼寝タイムがあって
バカンスを長くとったりして、、

しかし、どうなんだろう
人生を楽しむということに関しては
彼らは我々の上を行っていないか?
ヨーロッパを賛美するのではない
しかし、日本の一見真面目そうだがつまらない
息苦しそうな社会はホントはまともじゃないのではないのか

江戸時代、いやその前も
人々はそんなにしゃかりきになって働いていたわけではなかった
のんびりと、たいがいたいがいに生きていた
もっと努力すべきと言えないこともないが
それでも人々は一部の一時期の人たちを除けば
気楽に生きていた

仕事だけに真面目に生きることがまともなのではない
自分の人生の大事にすべきものを大事にしてこそ
まともだと思うのだが
(仕事が大事と思う人はそれでいいが
 全員にその価値観を強要するのはちょっと違うのではないか)

コメント
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