旅に出るといろんな事を思いつく
先日、新国立劇場で「ジークフリート」を見るために「おのぼりさん」になった
ホテルに一泊して、友人との待ち合わせのため地下鉄の駅までブラブラと歩いた
そこで思わず写真を撮ったのが
東京人にはなんてことのない風景の写真だ
ところがいなかもんがこの風景をみて頭に浮かんだことと言えば
「必要以上にでかい」という思い
(いや本当は必要以上ではなく経済的には適切なサイズかもしれないが)
とにかく、ヒューマンサイズではない、、という思い
そこから連想したことは
この巨大な建物とか巨大な都市の中では、自分という個人がとても無力な孤独な存在
そして一歩間違えると投げやりになってしまいそうと感じられたこと
これは大自然を(山や海)を目の前にした時と異なる感じ方だ
大自然を目の前にする時は、自分の悩みなんぞは大したことはない
でも、何か大きなものに包まれているような安心感を伴う肯定的な思いに落ち着く
しかし、人工の大きな建造物を目の前にすると、、、
人間の可能性は無限大とか知恵はすごいもの
との理屈は分からないではないが、フト思ってしまうこうした不安は、、、、
いなかものゆえのことだろうか
ところで、数年前ウィーンの町を歩いた時、
一般的にヨーロッパ人は自然と人間を対立軸で考えることが多いみたいだが
どうしてどうして人間中心のホッとする空間づくりが出来ているのではないか
と、突然頭に浮かんだ
東京の車を優先とした道(名古屋はもっとそうだが)
それはヒューマンサイズではなく、それ故人間中心でない町は
やっぱりいなかもんには合わないな、、、
ヒューマンサイズ それが良い
ブリューゲルの「バベルの塔」の絵画展のポスターを東京で見かけたのは
偶然とは言え、何かを示唆しているような気がした、、、(共時性?)