パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

同じ一票で公平か、考えてしまう

2017年06月15日 08時26分05秒 | あれこれ考えること

少し思うことがある
一生懸命、政治のこと、国のこと、町のことを考えている人の一票と
無関心で、ただ知り合いに頼まれたとか、雰囲気で選ぶ人の一票が
同じ一票という重みで果たして公平なのだろうか、、、

現在はとても複雑な専門知識を要する世界になっていて、
素人が容易に判断できるような政治的案件は多くない
だから、その難しい判断をある人に代理(代表) してもらって
自分たちの判断を反映してもらおうとするのだが、、

一般人にできるのは一票でその依頼する人物を選ぶことだけ

ところが、この選択が完全にニュートラルな状態でできるかと言えば
それはほとんど出来ていない
むしろ、そこにはいろんな損得が入り混じっている
損得といっても公にできるものから、表に出来ない、なんとなく得しそうだと感じるものまであって
現実には後者の自分の生活に直結する損得が大きな力を持つ
(その人達は後援会と言われる人々) 

全体の利益を考える力(熱意)より、自分たちの利益を考える力(熱意)のほうが
生命力に満ち溢れているのは残念ながら事実だ
それは前者が想像の世界のものであることに対して、後者は現実世界のことだからだ
そしてその人達に選ばれた人たちは当然支持者の得になる様な判断をする 

新城市は今年秋に選挙が行われる
最終的には住民は間違いのない未来を選ぶ、、という少し楽観的な未来を選ぶか
それともやっぱり既得権絡みの、昨日・今日と同じ明日を保証する方を選ぶか、、

真面目にいろんな情報を持って考えているひとと、無関心のひとと
本当に同じ一票で良いのだろうか、、、
(もっとも真面目に考えた末で、一方的に片方の意見が正しいとは言えず
 意見の一致は見られないに違いないが)

選択をした責任、最近このことを痛いほど感じざるを得ない
上から目線で政治に無関心であってはいけない  とは言わない
ただ、気をつけないとひどい目に合うことになることは伝えてみたい
痛い目にあう前に想像力でもって未来を予想する、、
でもこれがとても難しい 

未来は現実の続きなのか、それともあるべき姿の進むべき道なのか

それにしても、秋の選挙を控えていろんな噂が出回っている
お金がかかっても住民投票の実施を選択した新城市の市民は
いったいどういった未来を選ぼうとするのだろうか

今朝、新聞に4選を目指す市長の後援会のチラシが入っていた
選挙が組織対組織という戦国時代の闘い方で、本当にいいのだろうか
(現実はこんなもんだ、、、と選挙大好きな人物やプロはそう言うだろうが)

いつものよくまとまらない独り言 


 

 

コメント
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