少し前のあまりおもしろくない話
6月23日(金)新城市議会本会議最終日の傍聴に行ってきた
最終日は採決が行われる日で、各委員会に付託され、そこで得られた結論の是か非かを問う機会で
付託された内容は大半は常識的にも問題のなさそうなことばかりで
とりあえず形式上は本会議で討論することになっているが、実態は議場での討論はなく
直ぐに採決する運びとなった
その為、全部可決して、すんなり終わるはずだった
(10時スタートで、採決案件に要した時間は1時間弱)
この様にすんなり終了するのが当たり前(普通)の市議会が
夜の9時過ぎまで延々と伸びてしまったのが昨年の12月の市議会で
それは改めて異常事態だったと実感するのだが、その話はの顛末はこちら⇒またもやドタバタ
すんなり終わるはずだった
としたのは、すんなり終わらなかったからで、議会が採決すべき案件を
全て終えたからも、その後で話し合うべき「動議」が提出されたからだ
ここのところは議会のルールを知らないとよくわからないところだが
とにかく、議員さん数人(白井・加藤・浅尾市議)によって、
議会として期間中に討論すべきものが動議という形で提案されたということで
ある人達にとっては残念なことに、「そんなことは討論する必要なし!」
としたい数の支配は(議会事務局からの説明による)手続き上の段取りから出来ない事となって
本会議場で討論されることとなった
その動議(提出者、白井市議 賛同者 加藤市議・浅尾市議)とは
「議会としての対応を求める動議」
簡単に言えば、昨年行われた政治倫理審査会において山崎議員は、自ら積極的に疑いを晴らすために協力をしなければ
いけないはずなのに(新城市議会政治倫理条例2条3項)本人が協力しなかったために条例違反の事実認否がなされなかった
政治倫理審査会はそのままの状態で結論をいったん出して解散したが、本人の協力がなかったという事実は
議員としてあるべき姿ではないから 議会として何らかの措置なり判断をしてほしいというもの
そしてもう一つは、やはり政治倫理審査会で打桐議員に出された結論と、それを認めた議決
「本人自ら市民から抱かれた疑念を晴らすために、条例第3条4号の違反状況を早急に是正するとともに
公の場における説明責任を果たすための謝罪を行う」
この行われるべきことがらが、実行されているか確認し、仮にされていなかったら早急に果たすことを
議会として求めるというもの
市政に関心のない方は、細かな話とか大した問題ではないと感じられるかもしれないが
この2つの要望は実は、以前に市民の側(市政を考える会)からも公開質問状として求められている
ところがそれに対する答えは、現在の政府が行っているような、、要点を暈したようなもの
と判断されても仕方ないものだった
そこで今度は市民側からではなくて、現在の議会の姿に危機意識をもった議員さんが
自分たちの信頼回復のために行動を起こしたというわけだ
そんな経緯で、急遽本会議場で討論となり
この動議に賛成の立場、反対の立場で、意見を戦わすこととなった
動議を出した立場からすると、この様な状態を見過ごすことは、既に信頼を失っている議会が
更に信頼を失うことになるので、何らかの判断をすべし、、
一方反対の意見は、これらのことは個人の資質の問題で議会として何か行動を起こす類のものではない
また仮に可決して何らかの罰のようなものを強いることになれば、それはそれで罰則規定の存在しない
議会条例とか政治倫理条例に矛盾が生じるという、、という法的な意味での反対
しかし、その時現場で考えたことは、「何故条例に罰則がないのだろうか?」という点だ
確かに今までの経験からすると条例に罰則がないために、結果的にやりたい放題と
思えるようなことがいくつも存在した
(一時期は罰則項目を設けるべきだと怒りを持って願ったことがあった)
だが条例を作るのは当人(議員さん)たち、改めて自分たちの首を絞めるような罰則を作るのは考えにくいが
実はそのことよりも罰を設けていない理由は別のところにありはしないかと自分なりに考えてみた
それは大前提としてマックス・ウェーバーの言うように政治家のエートス(職業的な倫理観)、
政治家という得意な職業人の人格が、選挙で人民から選ばれているという時点で確保されていると解釈することだ
つまり性善説のような解釈で議員さんを捉え、法(条例)を犯すなどということは
そもそもその職業に値しない人格ということで、わざわざ罰則を設けていないのではないか
これは違うかもしれない、ただ自分がそう思ったというだけのことだが
ところが昨今、この倫理的な問題が「法に反していない」との解釈でないがしろにされている(国も市も)
倫理の問題が、法の問題として扱われる、、、実はそれがレベルの低いことで、
そんな話がまことしやかに出てくる事自体が普通(正常)ではないことを証明している
よく、どんな人であろうと選んだのは選挙民の責任
次の選択の機会に、その態度の表明をすれば良い、、と言われる
しかし、次の機会までに充分過ぎるほどの時間がある場合
人は果たして次の機会を待つだけでいいのだろうか、、
それまでにすることはないのだろうか
おそらく、無駄であっても、間違ったと感じた方々に対しても
期間中は真っ当に活動していただく、、そういうことを望み、声にすることが
より必要なことではないか
(そうしないとあまりにも悲しすぎる)
現在の状況に危機意識を感じている人が、市民であれ議員であれ声を上がる
次の機会まで待つのではなく、目前の業務を真っ当に行ってもらうように言い続ける
(その評価は市民目線で妥当なものと思われるように)
それが肝心なのではないか
ところでこの動議、賛成で起立したのは白井・加藤・浅尾・山口・菊池議員の5名
長田議員欠席で、最近見られる傾向のままだった
今年10月には、新城市では市長・市議会の選挙が行われる
これらのことも参考にすべき項目かもしれないのでおせっかいながら
ダラダラと書き連ねてみた