パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

祖母のこと

2017年06月25日 14時17分30秒 | 徒然なるままに

フリーアナウンサーの小林麻央さんが亡くなった
乳がんを患い、それとたたかう姿をブログという形で
多くの人に発信していたが、、残念ながら、別の世界に旅たってしまった

配偶者である市川海老蔵さんは、
「不思議なことに、最後に愛してる、と言って旅立った」
と記者会見で言葉を発した

本当にそのように話したかとか
話せる力が彼女にその時あったかどうかは大した問題ではない
彼が明らかにそのように感じとったということ
それは間違いなく自身の経験として刻まれたということだ

このようなことは、実は自分も経験している
大好きだった祖母、いつも自分のことを考えてくれて、働き者で
子供の頃はイチゴや、とうもろこし、じゃがいもをつくって食べさせてくれて
歳とって上手く動かない身体で毎日掃除をして、自分が勧める珍しい食べ物を
おいしいおいしいと言って食べてくれて
人に借りをつくるのが嫌いで、楽しい話が大好きで、何かことがあると
ドンと腹をくくったようにたくましくて、、、

でもそんな祖母も年齢には勝てず、最後の数ヶ月は寝たきりとなった
その何ヶ月は、妙な言い方になるが、とても充実したものだった
祖母は寝たきりでも夜中に目覚めてトイレに行きたがった
自分の脚では行けないので、必然家族の誰かが手伝うことになった(交互に役割分担をした)
また食事はほんのすこしでも自分がスプーンで食べさせてあげたりした
祖母は最後は誰が誰だかは認識していなかったようだった
でも、そんなことは問題ではなかった
祖母が自分たちがまだ記憶が無いような、ただ生きてるだけの生物だった時
無条件にしてくれたこと、そのお返しをできること、間に合ったことがむしろ嬉しかった

最後の数ヶ月、祖母と布団を並べて寝た
その時、どうしてもっと早く祖母と楽しい時間を、
旅行に連れて行ってあげるとかできなかったのか
と後悔の念が責めるように湧いてきた

祖母は天寿を全うした
祖母は今の自分の年齢より少し上の時、長男の死を目の前で見ることになった
その52歳で亡くなった父が、生きていたならば気になって仕方なかっただろう
祖母のことを、できるだけ大事に、もし彼岸があって父に会うようなことがあったら
「よくやった」と褒めてもらえるようなことをしたいと、心に決めていた
それが、傍目にも結果的にも出来たかは分からない

時々、祖母は「私は幸せだ!」と他所の人にも言っていたらしい
それを聞いて幸せだったのは、こちらの方だった

祖母が亡くなった時、最後の別れをする時
祖母が横たわった布団に自分の涙が落ちた
ポトリ
涙がそんなに大きな音がするものか、今でも不思議に思う
そしてその布団に向かって、庭から1羽の雀が入ってきた
その雀は何故かびっこで、歩くのが下手くそだった
その刹那、自分の頭に浮かんだことと言えば
「祖母が最後のあいさつに来てくれた、ありがとうと言いに来てくれた」
そしてそれは絶対に間違いのないことという確信をもった

祖母は骨折していて最後は歩けなかった
その祖母の姿を暗示するような雀
それがほんのちょっとだけ現れて、自分が確認するのを見届けて去っていった 

今でもそのシーンは覚えている
心理学的にどうのこうのいった一見客観的な解説があろうとも
今の自分は自分の解釈で充分だと思っている
そして、そのような解釈ができる幸せを、感じている

結局は妄想とか思い込み、他人にとっては錯覚に過ぎないことでも
人のなかに刻まれることは、、、
本人にとって、何よりも真実

祖母が亡くなってからずっと般若心経を唱えることにしている
仏教徒ではないが、そうすることによって祖母とのつながりを感じられるようで

本当に、大好きだったよ「おばあちゃん」 
今も祖母の写真を見ると、心が震えて冷静に見られない自分がいる 


 

コメント (1)
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