6月7日(水)は東京新国立劇場で「ジークフリート」
日曜日の6月11日は名古屋芸術劇場で「ワルキューレ」
順番は入れ替わっているが、長い長い「ニーベルングの指環」の音楽を堪能した
名古屋の「ワルキューレ」は演奏会形式で、歌手が突っ立って歌うだけでなく
若干の動きや照明の変化など、退屈にならないように気遣いがなされていた
しかし、長い
座りっぱなしでお尻が痛くなるかと心配したが、なんとか切り抜けられた
この演奏会形式のニーベルングの指環は昨年の「ラインの黄金」が
とても楽しかったので、楽しみにしていた
長大なプロジェクトを実行しているのは愛知祝祭管弦楽団という素人の方たち
でも昨年はそんなことは気にならずにしっかり楽しめた(チケットも安かったし)
今年は数日前にプロのオケ、及び世界的な歌手の演奏(ジークフリート)を聞いた直後だったから
その記憶が残っていて、ついつい比較するところがあって、この「ワルキューレ」は
少しばかり損な役割だったかもしれない
国立のジークフリートの歌手たちの圧倒的な声、音量・音質・ニュアンス・余裕が
日本人の体格では少し追いつかないかな、、と感じられた、、、
でも楽しめなかったということはなくて、ただそんな風に思っただけのこと
(個人的にはジークリンデの人が良かったな)
特に印象に残ったのは第3幕
夫婦喧嘩のシーンが長く、説明も多く持て余し気味の第二幕の鬱憤が
一気に開放されたように、冒頭のあの有名な「ワルキューレの騎行」から
音楽は急に熱気を帯びてきた
そこからは一気呵成という感じ
音全体が美しいとかバランスが良かった良かったとか言うのではない
そんなことは気にならなかった
ただただ、物語の世界を楽しむことができた
だが、途中変なことを考えた
自分はこの人気の「ワルキューレ」という出し物よりも
地味な「ラインの黄金」のほうが好きかもしれない、、、と
「ラインの黄金」は劇中に聴き応えの歌があるわけではない
でもライトモチーフ(示導動機)の活用が他の作品群より徹底されていて
音楽が暗示する、あるいは説明する部分が雄弁で、、
おまけに巨人とヴォータンが言い争っている時、
急に登場するエルダのシーンの効果的で美しいこと、、
しかし「ワルキューレ」も美しいシーンが有った
ジークリンデがジークムントの子を宿していると知らされ
たった一度だけ奏される「救済の動機(喜びの動機)」が登場した時は
その効果的な美しさに思わずぐっと来た
有名なヴォータンの愛する娘との別れの歌よりも個人的には
このたった数秒間の音楽が印象に残っている
(この動機は「神々の黄昏」でも最後の最後に登場する)
それからライトモチーフではジークフリートのそれがかっこいい
恐れを知らずに火の囲いを乗り越えて来るのは(次の物語の主役は)
「ジークフリート」と暗示させるのだが、わかっていてもゾクゾクする
この演奏会はとてもコストパフォーマンスがいい
今回の席は普段なら高くて絶対座れないような1階のとても良い席を手にした
ただ困ったことがないではなかった
それは字幕が表示されるところがかなり上の位置にあったので
舞台を見るのとストーリを文字で追うには
視点の上下移動を頻繁にしなければならなかったこと
(でも贅沢な悩みだな、きっと)
次の「ジークフリート」は来年の9月と会場のポスターにあった
ジークリンデがジークフリートを産み落として成人になったところから始まるので
この1年以上の間隔は、その時間経過を考えると待ち遠しいけど良いものかもしれない
ということで、次もいくつもり
ただし、選べれるなら席は2階席のほうがいいかもしれない