パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

忍耐強いのか、それとも諦めているのか

2020年08月02日 09時07分52秒 | あれこれ考えること

ジニ係数という数字がある
所得の不平等さを測る統計学的な指標で
0から1までの数字で表され、大雑把に言えば
0ならみんな平等、1ならば1人が全ての所得を得ている
と解釈される数字だ

この数字が高くなると社会が安定しなくなり
暴動が起きたりするとされ、フランス革命時代のそれは
かなり高い数字であったとされる

現在では各国のジニ係数を検索する事ができるが
確かに高い数字の国は厄介な国情を抱えていると見ることができる

気になるのは日本で、実感としては最近は格差が広がっている
と感じているので、案外高い数字なのではないか、、と想像したが
危険水域の0.4まではいっていないらしい
ただし、それは所得の再配分を加味した数字であって、単純に
所得のみを計算すると世界に誇れる数字ではなさそうだ

普通なら暴動が起こる数字の時、日本は何をした(する)か、、
と思うと、日本はあまりにも忍耐強いのではないか、、と思ってしまう
それは自分たちの権利とか自由を自らが手にした経験を
持たないからではないか、、と思ったりもする

基本的に日本人はお上の言うことに弱い(と思う)
命令されることに慣れている
自ら判断して行うことを、自ら避けているように思えてしまう
この誰かの命令(指示)に従うパターンは、気づかないかもしれないが
スポーツの世界でもちょくちょく見られる
野球でもサッカーでもバレーでも、〇〇(監督名)ジャパンといって
マスコミは大騒ぎする
戦うのは選手だが、評価されるのは、そして日本人自体が好きそうなのは
監督(トップ)の采配なり判断
そこには上からの命令には無条件に従う、、というところがある
もちろん、そうでなければチームとしてやっていけない現実はあるが
他国の事情と比べると、少し印象が異なる
外国ではサッカーの代表監督と折り合いが悪いために、自ら代表を辞退した
選手は少なくないようだ
個人間の好き嫌いで貴重な立場を捨て去れのは大人げない、、とも思えるが
無条件に上からの声を聞く気にはなれないところは、
たくましくて少し憧れるところもある

また日本のドラマ全般に言えることだが、必ずといっていいほど
神に近いような間違いのない指示(暗示)をする人が出てくる
そして苦難に陥っている人はその声を聞く
つまり、自分で何かを考えたりするのではなく、誰かに意見に従う

これは現実の世界では楽ちんなので、ついつい行ってしまう
そしてそれはいつの間にか癖のようになっていく

お上のいうことを無条件に聞く傾向は、何時のころから?
と考えると、なんとなく江戸時代を想像するが
本を読んでたら、どうもそうではなさそうな、、気もしてきた

例えば困った人たちは、自らが自らの考えで行動を起こした
(それは直訴とか裁判という形で)
つまり忍耐強いばかりではなく、問題解決の具体的な行動や
怒りの感情を表に出したということだ

そこで、つい比べてしまうのは、今の日本のこと
確かに一部の怒れる市民はいる
しかし、もっと多くの気づいているが、気づかないふりをする選択をした人の存在
それはあるときは大衆とか群衆という言葉で表現されるかもしれないが
とにかく、自分の頭で考えないとか判断しない、、人たちが多い
それは自分の判断は責任を伴うから避けたい、、と思うのと
そもそも日本人は自らが動いて何かを手にしたという経験(集団としての)が
少なすぎるのではないのか、、と思ってしまう

忍耐強いのは諦めているから、、
この不安が頭に浮かぶ
自らを盲信するのもどうかと思うが、
自らの判断を放棄するのも、、どうなんだろう、、と思う昨今

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする