パンセ(みたいなものを目指して)

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説明責任(住民監査請求の)

2020年08月20日 06時05分46秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

おそらく新城市民の大半の方が知らないこと
関係者である市においても関係部署でない職員は知らないこと

約2ヶ月前に市民グループは住民監査請求を提出した
内容は、新城・名古屋直行バスの実証実験時の契約、及び決算に
少しばかり疑わしいところがあるので調べてほしいというものだ

疑わしい点とは、予定価格と見積価格がまるっきり同価格で
談合があったのではないのか、、という点
もう一つは、経費の中に償却費の内容で、委託仕様書には
減価償却費を運行経費の1つとして掲げているが、
初年度に使用したバスは減価償却期間を過ぎていたにもかかわらず
220万円もの支払いを行っているのは、説明のつかないことで
きちんと調べて、市に損失があった場合は委託会社にその分を
請求してほしいというものだ

この監査請求の結果は市のホームページに出ている
それによると、まず予定価格と見積価格が一致している点については
委託会社である豊鉄バスから参考見積を取り、それをそのまま予定価格
としているとある
豊鉄バスに参考見積をとったのは、現実的にこの路線で営業運転を
行える条件にかなうのは豊鉄バスしかないので、そこで依頼したとのことだ
しかし、法的にも現実世界的にも豊鉄バスしかないとしても
金額の妥当性(正当性)はどこで担保されたのかは、不明だ
発注側の市はバスの経営、費用などの知識はない
出された金額が高いのかやすいのかわからない
そんな中、豊鉄バスの言い分を100%信じて予定価格とした判断は
果たして正しかったのか

もう一つの疑い
減価償却が終わっている車の減価償却費を支払ったのではないか
という点については、回答書には
「償却費として市に請求したのではなく、平成28年3月24日に締結した業務委託契約に基づき、
通常必要な運行経費を請求したものである。これは、新城名古屋間高速バス運行に係る業務委託料として、
本車両の故障や事故等があった場合に対応する予備車両を含めた償却費を運行経費に積算したものである」

と説明している
ところが回答書のある部分において
「委託仕様書の第7条第2項第5号において、減価償却費を運行経費の一つとして掲げていることを確認した」
とある

この2つの記述(相違)はどう解釈したら良いのだろうか
回答書は、償却費は減価償却費ではなく予備車両等の整備等の経費のことと説明している
でも、減価償却費を運行経費の一つとして掲げていることを確認したともある
どのように考えたら良いのだろうか

そもそも減価償却ということば自体が市の会計にそぐわない言葉で
一般的な企業会計なら当たり前の概念でも、公会計では使われない
にもかかわらず、「減価償却」という言葉が委託仕様書に使われている
市から自発的に「減価償却」という言葉を使うことは無いと思われるので
おそらく委託会社の方から何らかの意味で出されたものと想像される
ただし、その意図や意味を正確に理解していたかどうかはわからないが

今回の監査請求の回答は実は監査委員の方が請求者の要望により
直に対面して回答の説明や質問に答える形となっていた
監査委員の変更があって、今回の方が真摯に向かい合って
説明に取り組んだものと思われる
だが、正直なところ、減価償却のところの説明は何度聞いても
すんなりと、ストンと理解できるものではなかった
(理解しようとする気がない?)

そこで気になるのが監査請求をいったいそれをどのように調査したのだろうか?
という点だが、回答書を見ると、全て庁内での聞き取り調査のようだ
市民側とすれば豊鉄バスに聞かない限りわからないところがあるので
なんらかの形で豊鉄バスに調査を行うことを期待したが
それは果たされなかったようだ

そうなってくると、一旦市が下した判断を覆すなどということは
現実的に考えづらいものとなる

少し視点が変わるが今回の問題は、このような疑問に市民が監査請求をしたという点もある
普通であればこのような疑問は行政のチェック機関である議会が
なんらかのかたちで追求しているべき問題が
議会は契約書・決算書をみても何ら疑問を感じず、まるでスルーしている

市民グループが各種書類を情報開示で手に入れると、直ぐさま疑問を感じた部分を
同じ資料を見ても議員さんは問題と感じていない
同じ資料を見ても、それに向かう姿勢で見えてくるものは違う
疑って見ると全ては疑う対象になる
疑っていないと、それらは単なる文字や数字の羅列に過ぎなくなる
なんでも疑って見るというのは人として問題かもしれないが
それは役割としてそのような態度で向かわねばならないのが議員
議員がきちんとやっておいてくれたら、今回の監査請求自体が起きなかった
と思えてならない

再び、監査請求の回答に戻るが、監査委員の人格等は真摯で
市民の求める回答とは違うとはいえ、悪い印象を持つものではなかった
しかし、問題の回答に対する説明は、、どうしても
そうか、勘違いしていたのか、、とか
それは仕方ないな、、と
思えるような気持ちになれるものではなかった

ここ数年で何回か続く住民監査請求だが、今回は市民側が一方的に決めつけて
市は間違っているから市が損した金額を返すように要求せよ!
といった高圧的なものではなく、疑わしい点があるのできちんと調べて
調べた結果金額的な損失が認められるならば、返却をするように働きかけてほしい
が監査請求の措置依頼となっている
そしてこれらの疑いが勘違いであるならば、
きちんと納得のいく説明がほしいというものだ

説明責任という言葉が頭に浮かぶ
それは説明を一通りしたとかする、、ことではない
聞き手、受け手が納得できる事ができて、はじめて説明責任は果たされたと言える

ただ聞き手・受け手の頑なな態度の可能性もないではないが、
それでも多く人がすんなりと理解できる説明であったかどうかは、、、
客観的にどうなんだろう
(しかし、市民の大半の人は知らないので、市民の請求自体を理解できていないかもしれない〉


コメント
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