去年のマイブームは源氏物語だった
若菜の巻では光源氏はしっぺ返しを食らったな、、とか
宇治十帖はトレンディドラマみたいだな、、とか
部分的にしか覚えていないが、今でも読んで良かったと思う
部分的に印象に残っていることの一つが、光源氏が親として息子に下した判断だ
光源氏は息子の夕霧には身分を四位を与えるのではなく、その下の六位のとどめた
その理由が、自らの宮中育ちの世間知らずと、勉学の必要性を踏まえた上での
以下の言葉だ(21帖「乙女」与謝野晶子の現代語訳から)
「貴族の子に生まれまして、官職が想いのままに進んでまいり、
自家の勢力に慢心した青年になりましては、学問などに身を
苦しめたりすることはきっとばかばかしいと思われるでしょう。
遊び事の中に浸っていながら、位だけはずんずん上がるようなことが
ありましても、家に権勢のある間は、心で嘲笑はしながらも追従をして
苦言を人が損ねまいとしてくれますから、ちょっと見はそれで立派に見えましょうが
家の権力が失墜するとか、保護者に死に別れるとかしました際に、人から軽蔑されましても
なんらみずからたのむことのないみじめな者になります。やはり学問が第一でございます。
日本魂をいかに活かせて使うかは学問の根底があってできることと存じます。
ただ今目前に六位しか持たないものを見まして、たよりない気はいたしましても、
将来の国家の柱石たる教養を受けておきます方が、死後までも私の安心できることかと存じます。」
やっぱり人の親なんだなとか、この光源氏の判断は適切だなと実感するが
つい連想するのは、現在の日本の中で、家業を政治家として
行っている坊っちゃんたちの仕事ぶりのこと
彼らの親は子どもにわざわざ苦労させるようなことはさせたか
最初からエリートコースの道を歩くようにさせていなかったか
そして子どもたちは、自分のおかれた立場を謙虚に考えることが出来たか
源氏物語を無理やりこのような読み方をする必要はないが、
紫式部もなにか感ずることがあって、このような文章を残したのかもしれないとも思う
光源氏の行動は現代人のモラルからすると、とんでもないやつ、、となるが
彼の趣味・センスはちょいと羨ましいかもしれない