そこには行ったことがなかった
でも、まるで目の前の風景のように
あるいは昔(子供の頃)見た出来事のようにイメージは浮かんできた
「帰れない山」パオロ・コニェッティを読んでいる時のこと
そしてその豊かな時間から離れるのと
その時間が終えてしまうのが勿体なくて
いつまでもこの時間が続いてほしいと思ったものだ
そんな気分になったのは北杜夫の「幽霊」以来かもしれない
文章の喚起力というのはいったいどういうものだろう、、と考えてしまう
細かな描写力とは少し違う気がする
事細かく書かれていなくても、一気にその世界を連想する文章ってあるものだ
それが翻訳作業を介しているものだから、話はややこしくなる
舞台はイタリアの山岳地帯
父と子、同世代の男の付き合いと感じ方の変化が
山を介して臨場感たっぷりに表現される
行ったことはない、でも、それに近い風景は見たことがある
昔、疾風怒濤の時代にでかけたスイスのグリンデルワルトでの風景がそれだ
牧草が生えて牛がのどかにカウベルを鳴らし歩く(フィルストの光景?)
もっと高いところに行くと氷河が見える(ユングフラウヨッホ)
ユースホステルがあるところでは木造の家が、ベランダに花を飾りながら並んでいる
そうした風景を思い出しながら読んだ、、という方が正確かもしれない
この描写とか喚起力が素晴らしかったものだから、内容もさることながら
何故、そんなに喚起力があるのか、が奇妙に思えてしまう
と言っても、誰にでもこのように喚起力を刺激するものではないかもしれない
それは単に個人的な経験に過ぎないもかもしれない
要は相性が良いということかもしれない
物語はどこにでもある人々の、どこにでもある物語と言える
何かをなした人々ではない
普通に暮らし(たいと願う)、自分を振り返る癖を持った人の静かな物語だ
ヘッセの教養小説とも違う
ただ静かに何かを感じ、少しばかり心に痛みを覚えるような小説だ
自分は案外イタリアの作家が好きなのかもしれない
詩人のサバも好きだし、アントニオ・タブッキも一時期気になって読んだ
どこか感情のひだを刺激するような内容をもつそれらは
今の自分のメンタリティに合っているのかもしれない
最近は小説などのフィクションを読むより、
現在の問題点を扱う小難しい本を読むことが多くなっている
そこに急にこのような本が入ると、
自分の擦れた気持ちが少し修復されるような気もする
この本、いつまでも忘れない本の一つになりそう
読後評価は「優」をつけておいた