パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

直感・第一感は信用できる(?)

2021年03月19日 08時18分10秒 | あれこれ考えること

人、あるいは動物は危険を感じたときはすぐさま行動を起こす
例えば暴力を奮おうとする人を目の前にすると
その表情、雰囲気から察知して逃げるという行動を選ぶ
それはじっくり考慮した結果ではない
そんなことをしていると間に合わないので、感覚であるいは直感で判断をする

危険に対するときだけでなく別の場面でも人は表情・雰囲気からいろんな思いを読み取る
例えば悲しみに打ち震える人を見ると、我がことのように心動かされて
涙を流すといったことは珍しくもない

それらは目からの情報把握がメインではあるが、じっくり考えたうえでの
行動ではなくて、条件反射のように素早い反応だ

この素早い判断は、熟慮と比較して間違いが多いか否か?
というのは、難しい問題だ

人という生物が生き延びてきたのは、このすぐさま判断することが
高い確率で間違っていないかったことの証明なのかもしれない

話は飛ぶが、囲碁の番組で秒読みになった棋士に、解説者(棋士)は
「こういうときは最初に思い浮かんだ手をうつのが良いのです。大概は、間違いありません」
と自らの経験を踏まえて解説した
ある研究によると将棋のプロと筋金入りの素人とは読みの深さはさほど違いはないが、
大きく違うのは最初に思いつく手の正しさなのだそうだ
まずは思いついてそれを検証する、、それに時間を費やすのだが
最初が間違っていると、検証すると間違いに気づいて、また別の手を考えなければならなくなる
この効率の良さ悪さがプロと素人の違いだそうだ

ここで話を選挙という生々しい選択について置き換えると
人が自らの直感を信じて選んだものと、マニフェストをじっくり読み込んだ人の判断と
結果的にどちらが正しい確率が高いのだろう

自分のことは言えないが、顔や表情はその人の生き様だと言われる
ある程度の年齢の人間になると、見るだけで直感的にその人がどんな人物であるかを
想像できるような気さえする(荒んだ生活をしている人は表情に現れる)

現在の政治家(国も市も)の表情を見ると、果たして肯定的に見られる人がどれだけいるのか
少し不安になる
意志が強そうとか頑固そう!というのと、その人が意地悪そうというのは少し違う
一番の悲しい現実は、我が市の市議会議員の人相が段々悪くなってきているように見えることだ

確かに心痛を伴う事態に陥っている現実は彼らの中にはある(政治倫理審査会とか裁判とか)
だがそれ自体も、彼ら自身が招いたと言えないことはない

市議会議員だけでなく首長はどうか?
影響力の大きいポジションだけに単なる直感で選んでお終いというわけにはいかない
普通は自らの正当性を訴えるために、一見冷静で理性的に見えるマニフェストなるものを提示する

しかし、肝心なのは例えばここ最近のような例のないことが起きてしまって
マニフェスト達成が不可能になったときに、マニフェスト達成にこだわるか
それとも急遽方針を変更して今ある問題に取り組むかの判断ができる人かということで
結果責任を負う立場の人としては、現実的な手を打てる人(覚悟のある人)が
庶民にとっては正しい選択のように思える

困難な時期にその人が行いそうな判断をも予想して投票をする
というのが、正しい(?)選択のような気がするが、その予想というのが
個人差がありすぎて理性的ではないの一言で無視されるのが相場のような気もする

とはいえ、人は割合多くの場面で直感とか感覚に従って生きている
この人と馬が合いそう、、というのは話した結果ではなく、ふとそう思ったという場合が多い

将棋とか囲碁のプロのように、まずは第一感が正しい選択をするのがベストと思われるが
それが身につくにはそれなりの経験も必要なんだろう

いつものまとまらない話!

コメント
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