彼の父は息子に自分のルーツである日本を見せておきたいと考え行動を起こした
息子は短い滞在ながら、心に何かを深く刻んでブラジルに帰った
何年か後、今度は彼が自分の子どもたちに父がしてくれたように
日本を見せておきたいと考えた
そしてパートナーと二人の子供と一緒に日本にやって来た
彼が日本にやって来たのは単に働く先があるとか
収入がブラジルより恵まれているというわけではなさそうだ
彼は娘に日本名らしい名前をつけた
この二人が(女の子と男の子)がボランティアで自分が担当している
子どもたちで、女の子は6年生、男の子は2年生だった(今年度)
時に甘えたり冗談したり、安心して「わからない」と言えたり
おそらく懐(なつ)いてきたという表現が適切と思われるが
とにかく心の交流を実感するような瞬間が時々あった
でも彼らとは4月からは会えない
ブラジルに帰るのだそうだ
そして多分、戻っては来ないと子どもは屈託なく言う
先日の日曜日、親御さんから最後に自宅にきてほしいとお誘いを受けた
親御さんとはしっかり話したことは無いが、ZOOMでの勉強の様子をみて
車で子どもを迎えに来た時はいつも「ありがとうございます」の言葉があった
ブラジルに帰る理由の一つには、国に残したお母さんのことがあるようだ
夫婦のどちらもお母さんだけが生きている
少しづつ年齢を重ね、彼らは自分の親のことに不安を抱えていた
現在はネットを利用した動画のある会話ができるが、それでも彼らのお母さんは
時々(寂しくて)涙を流すこともあったらしい
日本にいて不安を覚えながらいるよりは、、、
そう考えて彼らはブラジルに帰ることにしたらしい
子どもたちには迷惑を掛けるけれど、、、
彼は、ブラジル特産のコーヒーを勧めながら言った
日本は良いところだったのだろうか?
父が見せたいと思い、自分も子どもたちに見せたいと思った日本は
いい思い出となるような国だったのだろうか
楽しい生活はできたのだろうか
どうしても気になるのはこのことだ
そっと日本とブラジルの違いを聞いてみた
日本は自分勝手じゃない、お互いのことを考えて親切で
それに習慣としてあいさつも当たり前にできているけど
ブラジルは自分だけ良ければいいと考える人が多い
そんな話を聞くと、すこし恥ずかしくなった
本当にそれができているのだろうか
「今だけ、自分だけ、お金だけ」
が現在の日本のように実感しているからなのだ
でも彼の次の言葉で救われたような気がした
「本当は日本に戻って来たい」
彼の心の中には日本はいい国だったと刻まれていたようだ
子どもたちは日本の体験をどのように感じ、記憶として何が残っていくのだろう
彼もまた自分の子どもを日本に行かせたい!と思ってくれるのだろうか
別れるに当たって子どもたちは少しも感傷的ではない
お姉ちゃんの方は少し感じるところはありそうだが、弟の方はいつもと変わらない
せっかく覚えた日本語、自分の英語やドイツ語よりはよく話せる日本語を
このまま忘れてしまうのは勿体ない
そこで二人の子に向こうからでもZOOMで勉強を続けることができるので
気持ちがあるなら協力すると伝えた
時差が12時間あるので思いのほかうまいこといくかもしれない!
とトライする気もあるようだ
連絡のためにフェイスブックの友だち登録をして、連絡はこれを使えばいいと
確認し合った
これが行われるか行われないかは、わからない
でも、たしかに言えることは「気持ちは通じる」という実感だ
この実感を相手も感じてもらえたならば、自分のしてきたことは
少なくとも間違いではなかったと言える気がする
餞別に日本風の名前のお姉ちゃんには「国語辞典」を送ることにした
残り少ない日本での時間、彼らは富士山を見に行った
「きれいだった、行ってよかった」
と口にした
彼らには滞在中、日本はどう映ったのだろうか?