パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ものの言い方、伝え方

2021年07月16日 09時34分14秒 | あれこれ考えること

物事には言い方というものがあるものだ
せっかちな自分がどう思われるような話し方をしているか
知ることは難しいが、できることなら麻生さんのような
話し方でないと思われていたい

「まともだが面白くない話」より「疑わしいが面白い話」
両者を比べると、後者が幅を利かせているのが最近の傾向だそうだ
アメリカが極端な例で、トランプさんの威勢のいい根拠のない決めつけの
話しっぷりは大衆受けをして、まともな議論をしようとする人たちには大きな壁になっている

アメリカに限らず日本でも同じことが言えるのかもしれない
「オリンピックに反対の人たちは反日」と安易に決めつけた「こんな人たち」
の発言で評判を落とした人がいる
バカバカしい決めつけだと思うが、それに一定数の支持者がいるのも現実だ

この極端な決めつけとか、個人攻撃的な言いようは、
人にはかなり魅力的なストレス発散になるようだ
物事を天下国家の問題としてではなく、地元の話題に転ずると
意識高い系の人々は、事情をよく知っているがために物事に怒りを覚えることが多くなる
そしてその怒りは時に個人攻撃というかたちを取る

確かに現在の地元の市議会とか行政はみっともない
行政は自らの正当性を確保するための手続上のミスで
事業計画が2年以上遅れることになった案件がある
情けないのは、そのミスをなかなか認めず謝罪しないことで(国に似ている?)
それがために一部の人からは怒りを受ける様になっている
市議会は(実感としては変わった人たちの集まりと思うが)
どうも個人事業主の集合で普段は良いとしても、時に感情的なもつれが生まれる
そしてそれは大きな問題化する場合もあるが、現実には一般市民には
そのような問題の存在は知られていない

問題は危機意識をもつ意識高い系の人々の他の市民に対する問題提起の方法だ
背景知識としての情報量の差が両者の間には存在する
情報通は、結局はこの問題は個人の問題として「行政は上の顔を見て仕事している」
とか「真面目に仕事をしていない」などのステレオタイプ化した認識を言葉にだすことが多い
それらは自分の知るところからすれば全部が全部間違いではないが、そうばかりとは言えない部分もある
大半の行政職員は小市民的な言われたことを真面目に行うだけで、そこに能力差があるのは仕方ないとして
先のステレオタイプ化した認識とは違う

だが問題はここからで、現状とか実情を他人に説明する時は、誰か悪人を作って説明するほうが
自分にとっても他人にとってもわかりやすいという点だ
自分にとってはある人を攻撃することでストレス発散になるし、聞いてる方は
ややこしい経緯を正確に知るよりは手っ取り早い理解が進むし、どこか面白いので受け入れやすい

その結果、個人攻撃的な物言いが幅を効かせることになっていく
これはツイッターによく見られる傾向で、「悪いのは〇〇」的な投稿やら
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいなところまでに及ぶもののある

個人攻撃とか批判は、こうしてある人にはストレス発散になるかもしれないが、
一方で一部の人には嫌悪感を覚えるものにもなりうる
真面目で情報通でこまめに怒りを発信しているが、そればかりを読まされる(聞かされる)身になると
ちょいと引いてしまうそうな気持ちになるのだ
それが国では、野党は批判ばかりしているとか、個人攻撃ばかりしている!
といった評価につながるものと思われる
(事情通にすればそうではないと言いたくなるだろうが)

少なからず地元の問題に無関心ではいられない自分だが、
多くの人に自分の理解した実情を知らせるには、仮想敵国を作ってわかりやすくするのか
それとも面倒だが事実を細かく伝えて、それから予想されることを伝えるのか
どのような言い方をすれば良いのかは悩むところだ

ということで、真面目だが面白くない話

コメント
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