いくらこの時期のオリンピックに賛成できなくても
洪水のように流される日本人選手の活躍を知れば
心が高揚するのは仕方がない
昨日は柔道で阿部詩、一二三の妹、兄が金メダルを手にした
へそ曲がりなので感動物語ではなく、別の視点(思いつき)から
ちょいと眺めてみる
妹の詩は試合後のインタビューで「絶対勝つ」と気合を入れて
勝負に望んだと答えている
試合に臨むのに、このような強い気持ちが当たり前になったのは
いつからだろうと考えてしまう
美空ひばりの歌に「柔」がある
その歌は「勝つと思うな、思えば負けよ 負けてもともと、、、」と続く
少なくとも勝ちに拘った感じではない
この歌の作詞家は現場(戦う人)の気持ちを、実感としてどれだけ理解していたかわからないが
このような気持ちの持ち方をしたほうが良いとする社会的・文化的な雰囲気が
当時はあったのかもしれない
だがそれは徐々に変わっていったように思う
いろんな柔道に限らずサッカー等の戦いでも選手たちは
「絶対に勝つ」という気持ちで臨むことが多くなった
それが主流になったのは、そう思って臨むほうがいい結果が得られるからなのだろう
となると「柔」の歌は少し観念的すぎて、勝負師ではない素人の感覚に近いのかもしれない
と同時に、「負けともともと」という感覚も、今の感覚からすると違ってくるかもしれない
「負けてもともと」の歌詞は既にどこかで保険をかけている感じだ
退路を断って、覚悟を決めての気持ちとは随分と違う
野球でバッターがノーストライク、スリーボールになったとき、
次のボールをどのように迎え撃つかを考えると、アメリカ人と日本人は
少し違う考え方をするらしい
野村さんを始めとする日本人の典型的な考え方は、次のボールは見送る
それはフォアボールになって塁に進める確率が高いからのようだ
(コントロールの良いプロの選手でもミスすることはあるので)
ところが違う考え方をする人は、次はピッチャーはストライクを取らねばならないので
ストライク優先で多少甘いコースのボールが来る可能異性があるので撃つチャンスと考えるようだ
結局のところ、どの考え方が正しいかどうかは、結果でしか判断はできない
勝負師は結果が全てだ
勝ち負けがはっきり出るのは過酷な世界の住人だと思う(囲碁将棋のプロも)
ということで、戦いに臨む気持ちから、いろいろ思いついたこと
それにしても酷暑の中のため、ついにテニスの選手から試合時間の変更を要求されたが
出るべくして出た問題で、そんなのは前からわかっていたことで、この大会の運営に腹が立つ
問題は、東京に招致する時のプレゼンには「この時期は温暖で理想的な気候」と記されている点で
「こんなのは嘘だ!」と常識的な日本人なら思うことだ
それが「書かれたことは正しい」の文書主義(?)で、おきかねない問題は先送りの
無責任体制で進められていくことになった(それが当日になって表に出て)
だが、この嘘を見て見ぬ振りをしたのは、関係者だけだったのか、
それとも甘い言葉に無視を決め込んだ我々だったのか、、、
それを思うと少し暗い気持ちになってしまいそう