パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

嘘をついているかどうかは、本人しかわからない

2023年03月10日 09時23分17秒 | あれこれ考えること

久しぶりに真面目な話

年始め、帝銀事件絡みの本を読んだ
そこで知ったのは帝銀事件は旧刑事訴訟法の最後の例だったということで
自白が何よりも重視されたそうだ
警察は自白を強く求め、一旦自白してしまえばそこから理屈を考える
そんな進め方を可能にしていたようだ

最近の考えようによっては非常に怖いニュースは
総務省の放送法に関するレポートから発生した騒ぎで
レポートは立憲民主の小西議員が総務省の誰かから手にしたもので
そこには放送法の解釈や運用について政府の怪しい動きが書かれている

放送法は政治的な公平性を保つように書かれている
ある番組が政府批判に時間を費やしていたとしても
次の回に今度は政府よりの発言が多ければ全体として公平とみなしても良いだろう
とするのが従来の考え方だったが、レポートによると一つの番組だけでも
その時に偏っていたならば、公平でないとみなすのもありとしたい意向が
政府の中にはあったように感じとられる内容だ
(例としてサンデーモーニングが挙げられた)

これは捏造だと頭ごなしに否定したのが高市早苗氏
ところが総務省はあっという間にこれは公文書だと認めた
そこで高市氏は「内容が事実と違う」
「自分はこんな事は言っていないし、電話もかけていない」と断言する

しかし、ここで問題なのは高市氏が言ってることが本当なのかどうなのかは
誰もわからないということだ
知っているのは高市氏だが、彼女が嘘を言わないとは限らない
裁判では証言に立つ人は嘘を言わないと宣誓するが
知人の弁護士からの話によると経営者の部類の人は平気で嘘をつくらしい
民事裁判では原告・被告も嘘を言ったら罰せられるということではないらしい
つまり人は守るものがあると平気で嘘をつく生き物ということだ

誰もわからないことを事実と違うと言っても、それは個人の主張にしか過ぎない
ところが、この主張が最近のこの国ではまかり通る傾向がある
「首相が嘘を言うはずがないじゃないですか」
と言ったのは悲劇的な死を迎えたあの人だった
首相だから嘘を言わないなどは随分強引な理屈だが
これを見ると、今の世の中は自白のみが重要視されたあの時代と同じか
と思ってしまう

だが、このレポートが本当のことともわからないのも事実だ
公文書というものの定義は、みんなが共有した知識を得るものとされているから(?)
あの文書は総務省の何人かの人は読んでいて、共通認識としている

官僚さんの何人かが読み終えて知識となる公文書を
誰かが意図的にある方向に持っていこうとするということは
これもまた不自然なことだし、仮にそれがあったとしたら
それは組織として健全な運営がなされているとは思えない

と、田舎のおっさんがあれこれ心配したり、あやふやな知識であれこれ想像
したりするのは真に生産的ではないかもしれないが
それでも、昨今のいろんなことが気になる

ここで怖いと思うのはYoutubeでは高市大臣を応援し
小西議員を罵倒する動画が異様に多いことだ
表現の自由がある社会だからそうなる可能性があるというものの
この動きは何やらプロパガンダに通じる何かを感じてしまうが





コメント
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