気の滅入るロシアのウクライナ軍事侵攻
西側諸国が様々な制裁を試みても、覚悟を決めてかかっている人物には
どのくらい効果があるだろうか
少しでも現実的な成果があがることを希望する
もしかしたら一番効果があるのは「ロシア国内の戦争反対の声」ではないだろうか
それが証拠にこのデモをする人を政府側は拘束している
単なる声と行進に過ぎなくても、その数が多いと庶民の意志の表明として
無視できなくなってしまう
そしてそれは国に厭戦気分を醸し出すことになる
これは劇的でなくても徐々に空気を変えるきっかけになる
遠い国からはロシア国内デモを応援したい気分だ
多くの日本人もテレビ報道もこれを支持したい気持ちが見て取れる
そこには「デモは良いことだ」と考えている節がある
(香港のデモもその扱いだった)
ところが実際の日本の社会は「デモは良いこと」と考えているだろうか
極端な例だがNHKスペシャルの「お金をもらってデモに参加している」
と虚偽の字幕を入れた件では、デモはそもそも面倒くさい連中の反政府的な行動で
良からぬものという意識が働いていないだろうか
デモをする人々の切実な思いを、デモをいろんな思いで眺める人々
無関心だから、わざわざデモまでする人の気持がわからないというのはありそうなことだ
分別くさく無関心が悪い!といっても、無関心だから仕方がない
だが、傍観者に無意識に芽生える「良くないこと」の思いは
実はものすごい社会的な行動への高いハードルになっていないだろうか
デモとか庶民の声を表明する何らかの方法を
日本社会(教育界)は今までまともに育ててこなかったのはないか
それはもしかしたら行動とか意志の表明の仕方を教えられていない
以前の「個人で判断する」があまりにも軽視されているのではないか
個人の判断は責任を伴う
失敗した判断の責任は自ら負うしかない
難しい判断は嫌だ!と判断を誰かに委ね、自分はそれに従っただけだとすることで
責任逃れができるとするのは「自由からの逃走」だ
結局のところ、人は最後の時間まで自分と付き合うしかない
どうしても逃れられない自分との付き合いを、誰かに任せるなんてことは
最後の最後で後悔しそう、、と思うのは考えすぎか
土曜日らしくない面倒な話
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