熊本地震は木曜日に起きたものが本震ではなく
土曜の未明に起きたものが本震とされた
そして相次いで移動しているかのように見える地震は
余震の数を含めて過去に例のないパターンのようで
「想定を超えている」
またもやこの言葉が使われることになりそう
人の思いつく想定もある種の限界があるようだ
被害の状況を画面で見るにつけ落ち込みそうな気分になるが
申し訳ないことに今自分の頭を支配しているのは
このことではなく、先日から読み始めたSTAP細胞絡みのこと
ほとんど一気に読んだ
細かな科学的なところが理解できたかといえば、途中で面倒になって
言わんとする所を勝手に解釈したところもあって、正確に把握しているとは言えない
読んだ順番は右の「あの日」から「捏造の科学者」次いで「STAP細胞残された謎」の順
読んだ順番が違えば違う印象を持ったかもしれないが、
この事件はつくづく奇妙な事件だということが印象として残る
本と合わせてネットで公開されている記者会見(笹井さん)や少し独特の立場の武田邦彦の
動画のブログも見た
あの騒動の発端はネットからの声だった
画像の流用や切り貼りなど
そして、自分は知らなかったが小保方さんのバッシングの根拠となる情報も
やはりネットからだった
それも2ちゃんねるでの
それは理研あるいは若山研の内部の人からのリークらしい
そしてどういうわけかメデイアはそれを一方的に信じて
バッシングの空気を作り上げて、もうそれ以外の声を聞かない
状況を作り上げた
確かに画像の切り貼りや不適切な引用など奇妙な点は少なくない
しかし、まずは言い分を聞いてみようとの姿勢がなかった
最初から糾弾の姿勢でメデイアはいた
話は変わって、STAP細胞は動物の細胞でのことだが
植物にはSTAP細胞と似たような機能を持つことが確認されているそうだ
植物にあるなら動物にだって、、
これは案外無理からぬ発想
人はどうしても最初からどちらかの味方をする傾向にある
客観的にみようとしても、どうしても知らず知らず自分の好みの意見に
肩入れし、情報もそれに合うものをより多く仕入れることになる
その意味では、自分の立場は少し怪しい小保方さんの味方かもしれない
しかし、それでもなるべく異なる立場の人の情報もとあれこれ(そんなに多くないが)
得ようとした
第46回大宅賞を受賞したとされる毎日新聞の須田桃子氏の「捏造の科学者」
新聞社の科学部門の人はこれほどまでに知識を持っているのかと感心したが
一つ気になったのは「自分は正しい」と妙な自信を持ち続けていること
その正しいという論旨は、ある意味自分の思い込みに過ぎないかもしれない
と自分で疑わなかったのか そこが少し疑問
(確かによく知っているが毎日勝負している笹井さんや小保方さんよりは
知識量やロジックが 上だとは思えない、その意味ではもう少し謙虚な態度で臨むべき
と感じられる部分が少なくない)
捏造の科学者で最初の方のページに写真で紹介されているES細胞の写真
これもネットでリークされた情報を元に手に入れたようだ
そしてこれがSTAP細胞の捏造に使われたかのような印象を与えることになっている
しかし、「 STAP細胞残された謎」を読むと実情は全然そうではないようだ
また小保方氏がES細胞を盗んだと嫌疑をかけられ事情聴取を受けた件については
警察は不起訴としており、また盗んだとされる細胞は既に実験が終了しており
盗む価値もないものだった
今になってこのことが何故気になるのかと言えば、
実はSTAP細胞のことが理由ではない
一番気になったのがマスコミの伝え方と世間の空気のこと
あの騒ぎの時の異常さ 持ち上げて徹底的に叩く それが正義かのような伝え方
これこそが自分にとっては一番の問題だ
人は残念ながら無条件に世間に多くでている話を真実と思いたがる
特に自分の理解を超えた範囲では、その道の識者の声を信じるしかない
しかし、その識者が日本のメディアでは偏っていないか
あるテレビ局にでていた人が時間を変えて別のテレビ局で同じ事を言う
しかし、バッシングされつつある立場の人の意見は
何かを言うと 言い訳の解釈で一方的に、今度は素人がバッシングする
情報を表にできる人は限られている
ある意味権力を持っている人は情報をリリースできる
その情報が一般人の実感に伴わない抽象的な事柄の場合
人は特に関心をもつことなくそのまま信じてしまう
そしていつのまにか、その情報は真実という形と理解される
その理解が世間の空気となってしまう
今度はそれに対して反論を行おうとすると、
それは変わり者、聞く意味のない意見とされそう
STAP細胞事件で理研の内部の問題、解決すべき問題が明らかにされた
と評価されるみたいだが、果たしてメディアの伝え方はどうだったのか
単に人の興味を部分を拡大して、正義を掲げて、思い切り人を糾弾する
公正公平を歌いながら、空気を作り上げ、他の意見を受け入れない雰囲気を作り上げる
これがこれからも繰り返されない補償はない
いや今も繰り返されている
別に善人ぶる気はないが、この曖昧な空気に支配されそうな世界が少し不安だ
しかし、翻って何故こんなに気になって、心配しているのか
世間が何かしら危ない方向に進んでいると薄々感じるからなのか、、
まずは小保方さんの容姿やプロフィールがマスコミ的にウケる要素が満載で、なおかつ研究内容が世界トップというギャップが大ブームになったのだと思います。
こうなると必ず「アラ探し」が始まるのが日本のマスコミや世論の特徴ですよね。
私も今さらですが、2年前の某市議会議員の問題発言事件関連の新聞記事や関係ブログを読み返しています。
そこで思うのは腰痛持ちさんと同じように、情報を流す人間はある意味権力というか、とある事件のアウトラインを作るチカラを持っているというか、「マスコミの力」の支配力を感じます。
そこでの発表が正しくて正義、そういう方向に流れやすく、それが下世話な世論の嗜好に合致するともう流れを変えらえない、そんな感じです。
個人が立ち止まって、もう一度考えてみる。そういう姿勢が大切だと強く感じています。
STAP細胞は、話題になった当初の頃の小保方さんの受け答えで「とある実験で細胞にストレスを与える(とても細い管に細胞を通す、という実験だったと記憶していますが)と、その細胞が万能化することがあることをきっかけに云々」という話を聞いた記憶があって、その延長にあるのがSTAP細胞なら十分あり得る話だなぁ、と思っていました。
実験、研究、論文の不手際は十分な反省が必要でしょうが、失敗からの工夫が新たな発見を産むのは科学の世界にはよくあることです。「STAP細胞はあります」と言って誰が一番ダメージをくらったかといえば小保方さんで、我々一般市民は被害者でもなんでもありません。
大恥かいた小保方さんに再チャレンジの道を用意することこそが、今の世の中大切なのではないかと思います。