パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

勇気

2023年12月24日 09時26分23秒 | あれこれ考えること

記憶が定かではないが、なんとなく覚えていることに勇気の国別の違いがある
あまり褒められた話ではないが、自爆兵器、回天の任務を命じられた人間の反応を
日本人、ドイツ人、イタリア人を取り上げている

日本人は命令される前に自ら志願する(ようなものだったかな)
ドイツ人は上官の命令は守るべきとの秩序に沿って恐るべき兵器に乗る
ところがイタリア人はこの命令を発した上官を殴る
「こんなことできるか、馬鹿野郎!」
そしてこうつぶやく
「どうだ、イタリア人は勇気があるだろう」と

時々考えるのは、日本は何故戦争に邁進してしまったのだろうということ
年上の知人の奥さんが親に「何故、戦争反対と言わなかったのか」
と聞くと、親御さんは「そんなこと言える雰囲気ではなかった」
と答えたそうだ

その時代を体感していない後の人間が、当時の人間を批判するのは
少しばかり公平ではないが、それでも親御さんの方便はよろしくないと思いたい
だたそのようなことはあっただろうとは想像できる

イタリア人の勇気と日本人の勇気
どちらが本当の勇気なのか
深刻な事態になればなるほど、イタリア人的な勇気は発揮できなくなる
きっと勇気は発揮しやすい時に発揮した方がいいと思われる

デモをしたことのある人は、デモ行進を眺める人を観察できる
その時に感じるのはこのテンションの違いはなんだろう?ということ
デモで反対の意志を示すことがとて重要なことと思っているが
眺める人はそうした問題意識は全く無関係と感じているどころか
変わった人たちくらいの感覚で見ているようだ

勇気はちょっとしたことから発揮しやすい
聞いたところによるとフランスのデモはゆるいものらしい
途中から参加して、ダラダラと歩いて、適当に抜ける
彼らの目的は方向転換を求めるだけでなく
進めようとしている方針に反対する人がこれだけいる
ということを視覚的に示すのが目的らしい

そのくらいの気持ちの表現のかわりなら、おとなしい日本人もできそうな気がする
それこそ勇気を振り絞らなくても、ちょっとした恥ずかしさを我慢すれば、、

ということで、ことが大きくなる前に些細な行動(デモ行進)から
始めると良いな、、と思ったりする

ところでこの地区では上映されないが「ヤジと民主主義」という映画があるそうだ
北海道で選挙演説に来た安倍さんらに対して政権批判のヤジをした人たちが
警察に排除された様子を描いているようだ
これは当時話題になったが、そのうちの一人は警察にコンビニまで
しつこくつきまとわられたとの声も耳にした
こうして少しづつ勇気の発露ができなくなっていく

過度に深刻にならず、自然法に基づく倫理観とか正義感で自らの考えを
人に示すのは良いことだし、もっと気楽にできればいいと思うのだが、、

※映画『ヤジと民主主義 劇場拡大版』公式サイト (yajimin.jp)


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