昨日の党首討論では野党の質問に対し、菅さんは自身のオリンピックの思い出話を長々と述べて
貴重な質問時間の浪費を(戦術として)したと批判的に述べられている報道が多かったが
中には評価する報道もあったようで、その媒体は「やはり」と思わせる媒体のそれだった
個人的にはあの場面では仕切り役の議長が、議長の権限で適切に答えるように指示すればいいだけのこと
と思うが、それは議会運営の有利不利の関係で、議会の進め方の適切か否かでは済まされないようだ
これとは少しニュアンスは違うが、議会の混乱を招く一つに野次がある
野次は議会の華と言われる(?)らしいが、みっともないものはある
あの人(想像できると思うが)は自分が答弁する時は野次がやかましいから静かにして欲しい
と言いながら、野党議員が質問をする時は、品とか知性を感じさせない野次を飛ばしていたのだった
たまたまyoutubeでイギリス議会の野次を諌める様子を見つけたが、これがなかなか面白い
面白いというより、この方(議長)の知性とか教養とか人格が垣間見れて、日本では何時になったら
ここまでに来られるのだろう、、と少しばかり絶望感を覚えたりもした
その必見の動画はこちら↓
英下院議長の“野次の諫め方”① 190201
ところで情けないことだが、3月の新城市議会もみっともない出来事があった
一般質問に臨んだある議員は
「質問通告に沿って議論を進めてください」という議長の指摘を無視して
延々と自説を展開したのだった(なんだか菅さんを連想させる)
今ではネット上のアーカイブに公開されているが、多分いろんな音声が消されているものと思われる
現実問題として、議論の場が議論の場として存在せず、互いの主張を言いっぱなしになっている状況は
国でも市議会でも同じようだが、問題はそんな事になっている!と知らない人が多いことだ
一般人は選挙という形で自分たちの代表者を選ぶ
ところが選んだら、そこですっかり何もかも思考停止になってしまう
それが良いか悪いかはわからないが(堯舜の時代ならそれは良いこと?)
現在では結果的に少数者の支配を可能にしているので余り薦められたことではないだろう
選挙後も投票した人の行動や判断を見続けるのは大事だと思うが
誰に投票するかを考えることもそれ以上に大事だと実感する
それは面倒くさいが、どうすれば我がことのように感じられるようになるのだろう