ヨーグルトの価格、3パックいりの納豆の価格は頭に入っているから
主婦に限定されずとも安い高いの判断はできる
暑い時期に飲んだビールはどこのストアが安いかがわかる
ところが何億と言う数字で公共建築物が計画されたり
土地を購入するとなれば、その価格は高いか安いかは全くわからない
例えば、高すぎる!との発言は威勢がいいが
一般人の生活感から離れた数字なので
本当のところは自信をもって高い安いを口にすることは出来ない
将棋の藤井聡太さんの凄さは、結果を見ればわかるが
その戦いの内容は多くの人はわからない
藤井聡太さんが楽しんでいる(苦しんでいる)状況を理解できるのは
限られた専門家だけだろう
それができない人は昼ご飯とかデザートの話題で楽しむしかない
つまりはわかりやすい内容で楽しむしかない
自分の知っていることで世界を理解しようとか
それを当てはめて世界を解釈しようとするのは
人にありがちの行動だ
そしてそれは、必然的に分かりやすさを求めてしまう
ところが「わかりやすいことでわかった気になる怖さ」
というのは確かにあると思われる
例えば103万円の壁は税金の問題
手取りを増やすにはその他の社会保険料を含めた複合的な視点が必要だ
この壁の突破を試みている国民民主党の玉木氏だが女性スキャンダルが報道された
わかりやすさの点では不倫は政策論争よりもずっと上だ
(だからこそ自殺された兵庫県の職員のスキャンダルは人の感情を煽る)
本当は税制だけでなく社会保障とか分野も含めた総合的な
つまりわかりにくい問題を検討すべきと自分は思う
玉木氏についてはSNS上では、そもそも倫理感に欠けた人物は信用できないとする評価と
それと政策とは関係ないとする考え方があるようだが
これに限らず、問題は最近では社会が(メディアが)扱う問題自体もわかりやすいもののみを
扱ったり、妙に感情を煽るものが多すぎる傾向がある気がする
わかりやすさはどちらかといえば「断言」という手段をとる
でも物事はそんなに簡単に「断言」できるものだろうか
難しいことを簡単に説明してくれ!というのは需要は大きいと思われる
しかし、難しいことは難しいだけの理由があって、難しい表現しかできない
とする考え方もある
受け手も頑張って難しいことの理解に努力するというのが一番の解決策と
知識人は口にしても、それは上から目線との言葉で否定される
と、ここまで来て何をテーマにしていたのかわからなくなってしまった
いつものことだが、いろんなことが頭に浮かぶと、どうしてもこうなってしまう
「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば」の
徒然草の境地になるのは難しいものだ
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