パンセ(みたいなものを目指して)

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江戸時代の裁判の話

2023年02月25日 09時45分36秒 | 

レコードプレーヤーという大きな出費を控えているので節約生活をしている
お金の使いみちの大きな部分を占めるのが本
(と言ってもそれほどの額ではないが)
そこで、図書館から借りてきた本、トライして挫折して積ん読状態になっている本
昔読んで面白かった本を読むことで出費を減らしている

図書館で借りた本は自分で購入した本ほど愛着がない
そこには自分の好みと違っているので思わぬ発見もあるが
まるで運命のように購入した本のほうがどうしても読む気になれる

数年前購入して積ん読状態になっていた本を引っ張り出してみた


これは数年前、地元の中日新聞にも紹介された本で、
江戸時代に奥三河で起きたトラブルと訴訟の顛末を、一次資料を中心に細かく扱われている
この地区は幕府には時に米ではなくて、楮、柿、莨(たばこ)を納税することになっていた
ただし、そのものではなく今でいう商社的な組織に一旦販売してそこで得たお金を納めていたようだ

ところがある時、この商社(商人)たち数人がカルテルを組んで買い上げの金額を安くすることにして
その約束を文章にしたものを該当者で回覧をすることにしていた
これがどういう訳か農家の人々にバレてしまったのだ
それを知った農家の人々は当然のことながら怒りを覚え、大人数で商人たちに文句をいったり
今でいう行政訴訟みたいなものを起こしたというのだ
その時の中心物だったひとの日記などが時系列に沿って書かれている

読み始めて直ぐに挫折したのはこの部分の文章が「候文(そうろうぶん)」で
内容が直ぐにわかることにはなれなかったせいだ
確かに揉めているのは分かったが、これを最後まで読むのはできない、、と
悔しいがほっぽりだした

だが不意にお金の節約のために、もう一度挑戦しようかと本棚から探し出してみた
今度は、資料としての候文のところではなく、本の中程からの現代文の解説の部分を読み始めた

すると、なかなか面白い
そこには江戸時代の裁判、訴訟のシステムが紹介されていた
江戸時代の裁判らしきものは落語の「大工調べ」でもでてくる
この落語では質屋には資格が必要で、その資格がないのに質屋まがいのことをしている
強欲な大家さんをとっちめるホッとした結論となる

また地元でも江戸時代に裁判が行われていたことを、数年前、地元の歴史研究会の講演で知った
それは2つの地区は自分のところから近いが、作手(つくで)と矢部(やべ)の村人の
ある土地の所有権の争いで、それに絡んでいたのが大岡越前だったという話だ
そしてその記録としての看板みたいなものが、今も自分が卒業した東郷中学校に残っているというのだ

話は逸れたが江戸時代でもちゃんとした訴訟のシステムが存在していたことにすこし驚く
また訴訟は今の様に、刑事訴訟と民事訴訟と分かれていて
特に民事のほうは和解とか示談が推奨されることが多かったようだ
また訴訟の手続きが面倒なのは今も昔も同じで、江戸まで出かけて訴訟を行うには
該当者は宿屋に泊まって口頭弁論の日を待つことになっていたが
この手続きとか、今でいう準備書面みたいなものの作成が面倒で
それは手慣れた宿屋が行うのが常だったそうだ
(つまり、宿屋が弁護士みたいな役割をしたということ)

少数者の支配としての江戸時代は、明治維新として大きく変わることになってしまったが
260年ほどのあいだ大きな内戦はなかった江戸時代は、社会システムとしても
こうした訴訟システムとしても、また文化の面からももう少し見直したほうが良いのかもしれない

こうした訴訟を取り上げたわかりやすい江戸時代の読みものは無いものかな!
と思ったりする(今なら夢中になって読めそう)
ぼんやり思い出すのは帯の紹介文を読めば大阪の炭問屋の話がそれだったような気がする
この本は途中で放り出して積ん読状態扱いになっているはずだが、探せば見つかるかな





 


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