と言えば、音楽祭100周年の記念の年
フランス人のシェローが新しい演出で指輪に取り組み
同じくフランス人のブーレーズが指揮をして
その後の演出が主役となる上演の走りとなった年
そして、チケットも持たずにバイロイトに訪れた自分が
そこで知り合ったフランス人の旅行のおばあさんと
一緒に祝祭劇場の前で「ズーへ カルテ」と手書きの
看板を掲げてチケットを求めた年
幸い、偶然、お年寄りに同情した近くに住人(ダフ屋?)が
指輪の通しのチケットを譲ってくれた
おばあさんはトリスタンのチケットも手に入れた
ところが自分はシェローの具体的なリアリティーのありすぎる演出よりも、
真っ暗な動きの少ない、象徴的なヴィーラント・ワーグナーの
(本で読んで知っていただけだが)
演出の指輪を見たかったから、チケットはトリスタンとパルジファルに交換してしまった
そんなわけで、初めて聴いたオペラがバイロイトでのトリスタンという
特異な経験をしたわけで、あらかたの筋は勉強しておいたが
実際には今はこのへんのお話か?と想像だけで聴き続けた
特に1幕のクライマックスとか2幕のブランゲーネの警告とか3幕の前奏曲などは
そんな聴き方でも満足できた記憶が今も残っている
その上演の指揮はホルスト・シュタイン
もう一つ前の上演だったらカルロス・クライバーだったが
その当時自分はカルロス・クライバーなんて知らなかったから
そんなに残念にも思わなかった
ところが最近、吉田秀和氏の「音楽の旅・絵の旅」を読んでいたら
ちょうどこのトリスタンの事が書いてあった
吉田氏もカルロス・クライバーの演奏は聴けなくて
ホルスト・シュタインの方を聴いたとある
となると、もしかして同じ演奏を聴いたのかもしれない
だが彼は聴き比べができるほどの耳を持った人
こちらは初めてづくしの聴衆
身体に起こった出来事は随分違う
確かに物事は比較によって理解は深まり、楽しみも増していくだろう
同じ音(音響)舞台を見聞きしても、得る情報量に雲泥の差がある
と言っても、その時は結構楽しめたから不満はない
吉田氏の本にも、何年も続けてバイロイトに来ている人に
出会ったとあったが、実は自分もそのような人に出会った
彼は確か東大の関係者だったような、、、そして座席は普通の
場所ではなくなにか特殊な場所だったような記憶が残っている
同じ場所・同じ演目・同じような経験をしても
人は随分違った印象を持つものだ(当たり前)
その時のバイロイトは今ほど洗練されていなかったかもしれない
祝祭劇場の近くは草原があって(?)
なぜだがジークフリートの牧歌はここで作曲された
(これをイメージして作曲した)と確信に近い思いを持ったりした
自分も還暦を過ぎ、残す時間が少なくなってきている
もう一度、特異な経験の出発点であるバイロイトに
出かけてみるのも悪くないかな