今年の流行語大賞にノミネートされそうな言葉「忖度」
この言葉と同等に関心が湧くのが官僚という人々の仕事ぶり
国会の質疑の応対も、なるほど「ああ言えば、こう言う」で
とりあえずの言葉の上での勝負はなかなか土俵を割らない賢さ
頭の良さを実感する
(それが本当に頭が良いのか、人間的にどうなのかは別問題で、実はそれこそが
官僚システムらしいが)
この官僚の仕事ぶりにに関して、以前地方公務員である新城市の
職員の仕事ぶりを法的に調べごとをしていた時に、公務員の宣誓書
というものを知った
公務員という方々は、公務員となった時点で宣誓書に署名することになっている
例えば国家公務員は
宣誓書
私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。
年月日
氏名
という形式で提出される事になっている
ちなみに、地方公務員である新城市の宣誓書は
宣誓書
わたくしは、主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、かつ、擁護することを誓います。
わたくしは、地方自治の本旨を体するとともに公務を民主的かつ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、全体の奉仕者として誠実かつ公正に職務を執行することを誓います。
年 月 日 氏名 印
一見当たり前の様な、心構えの確認みたいなところがあるが、国家公務員の方には地方公務員のそれとは違って
途中に「 上司の職務上の命令に従い」の言葉が入っている
この一文は多分、国家公務員法の以下の項目に書き込まれている事が元となっている
長々と前書きをしたが、実はこれが官僚という方々の、国会での苦しい答弁をする理由となっているのではないだろうか
職務上、上司が命令したこと(それがどのようであろうとも?)に忠実に従わなければならない
だから、知恵を絞って誰もが(普通の感情をもった人が)おかしいというようなことも
専門的知見では適切に(これも官僚用語のようだが)行っていると、平気で心の痛みなく答弁する
職務上、上司が命令したこと(それがどのようであろうとも?)に忠実に従わなければならない
だから、知恵を絞って誰もが(普通の感情をもった人が)おかしいというようなことも
専門的知見では適切に(これも官僚用語のようだが)行っていると、平気で心の痛みなく答弁する
いや心の痛みはあるかもしれない
しかし、法的には逸脱して行為ではないと自分で自分を納得させている
それは一般人の感情的な評価とは別の高次な判断の下で行っていると思い込もうとしている(かも知れない)
しかし、法的には逸脱して行為ではないと自分で自分を納得させている
それは一般人の感情的な評価とは別の高次な判断の下で行っていると思い込もうとしている(かも知れない)
しかし、よく考えてみると実はそんなに大げさなことではなくて
「忖度」にせよ「上司の命令に従う」にせよ、結局は自分自身のために
自分自身の利益のために行っているにすぎないのかもしれない
いや究極のところそうだろう
「忖度」にせよ「上司の命令に従う」にせよ、結局は自分自身のために
自分自身の利益のために行っているにすぎないのかもしれない
いや究極のところそうだろう
どんな理屈をつけても人は「利己的」となりやすい
利己的でないと証明するためにあれこれ法的なことを持ち出すが
そもそもそうした法律を作らねばならないところに
どうしようもなくコントロールしきれない現実がある
利己的でないと証明するためにあれこれ法的なことを持ち出すが
そもそもそうした法律を作らねばならないところに
どうしようもなくコントロールしきれない現実がある
それにしても、人の感情、およそ誰もが持つであろう感情を排して
上司の命令に従い続ける、、、と言うのは、ストレスが溜まりそうだ
(これは公務員だけでなくどこでもそうかもしれないが)
上司の命令に従い続ける、、、と言うのは、ストレスが溜まりそうだ
(これは公務員だけでなくどこでもそうかもしれないが)
ところで、地方公務員の新城市職員の宣誓書には「上司の職務上の命令に従い」
の言葉は入っていない
ところが、地方公務員法の中には
の言葉は入っていない
ところが、地方公務員法の中には
となっており、国家公務員のように上司の職務上の命令に従わなければならないことになっている
でも宣誓書にはその言葉が、抜けている
何故なんだろう
法律には書き込まれているのに、敢えて除いているのだろうか
そこには何か特別な理由があるのだろうか、、
でも宣誓書にはその言葉が、抜けている
何故なんだろう
法律には書き込まれているのに、敢えて除いているのだろうか
そこには何か特別な理由があるのだろうか、、
とまあ、どうでもいいことをダラダラと書いてきたが
ここのところがスカッと理解できていない分だけ
以前からもやもやした気分から抜けきれない
ここのところがスカッと理解できていない分だけ
以前からもやもやした気分から抜けきれない
ほんと、どうでもいいことだけど、、
その部分が抜けていることって、市職員の良心を尊重するとっても良いことだと感じます。
これは儀式のようなものなんでしょうね。
人としての職員の判断力にお任せするのが、本当は一番期待したいところです。
どうでもいいことではありません。大切なことです。
しかし、大切なことでも、このブログにアップしたとしても、どうにもなりません。
わたしの推測では、
作成者が「法令及び上司の命令に従う義務…」を、何かの拍子に忘れていただけのこと!