パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

関東系の人たちは、、、

2006年10月19日 21時02分49秒 | Weblog
立川談志、毒蝮三太夫、石原慎太郎、ヨネスケ、おすぎとピーコ
この人たちは自分の住んでいる地域の感覚からすると
なんだか気が短そうで、怒ってばかりいるような気がする
(本当はどうだか知らないけれど)
そして、自分は何でも知っているとか
何でも出来るとか
つまり、見栄っ張りになっているように見えて仕方ない

一方、鶴瓶、アホの坂田、三枝、間寛平等の関西系は
脱力系で、自分はダメな人間と
少なくとも仕事の上では演じている

どっちがいいとか悪いとかではなくて
明らかに地域性があるようだ

江戸っ子の見栄っ張りは、落語の中では愛すべきものだし
それなりにわかる気もするけれど
イザ付き合うとなると自分には少しばかりキツいかな?

つまり、どうも自分は関西の情けないダメ人間系が
安心できて好きらしい
(自分がダメ人間だから?)



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翻訳はどのくらいニュアンスを伝えられるのだろう?

2006年10月18日 21時20分01秒 | Weblog
残念ながら村上春樹はノーベル賞を取れなかった
発表前の本屋さんには平積みした彼の本が
受賞の期待をあおっていたが、、、

自分は「ノルウェーの森」だけ読んだ事があって
その時は、それなりに面白かったが
なぜか柴田翔の「されどわれらが日々」を思い出して
久々に引っ張り出して読んだものだった

ところで、どの国の人々も一般的には
外国の作品を読むには
翻訳を介さなければならないが
外国語から日本語
日本語から外国語
いずれもどのくらいニュアンスが伝わるのだろうか

自分は日本語に翻訳された作品を読んだだけだが
それらは母国語で読んでいる人たちと
同じ感覚で読めているのだろうか

漢詩の読み下し文は中国語の音感から
感じるものとはどこか違うような気がするのだが
(日本語のほうが厳しい音感みたい?)

意味だとか内容はどうにか伝えることは出来るかもしれない
しかし母国語で上手いなあと感じるリズムや描写は
翻訳して伝わるのだろうか

といっても自分らは翻訳されたものを
読むしか手はないが
(英語なら辞書を使えば何とかなるかもしれないが面倒だ)

昔、よく読んだヘッセは高橋健二訳だった
ドストエフスキーは江川卓(?)
それらは圧倒的に感銘を受けたが
最初違う人の訳だったら
違った感想をもったのではないだろうか

それでも、翻訳された文章でも
ナボコフは文章が上手いなとか
ヘッセは喚起力のある文章だとか
ウンベルト・サバの詩は
それなりの世界を明らかに実現している

芭蕉の俳句を英訳したのがあるらしいが
英語で読むとどんな気がするのだろう
(もっとも原文を知っているので
初めて英語で知ることになる人と
同じ経験をすることは出来ないが)

秋が深まりつつある
夜が長くなって読書によい季節になってきた

しかし、なんともならないのは情けない目のやつだ
老眼で小さな字が読めない
眼鏡をかけるのが面倒くさい

まだまだあった、
根気や体力が低下しているし
人の名前が覚えられないし
次の日続きからはじめようとしても
前の日の話を詳しくは覚えていられない

しかし、やっぱり本は好きだな
自分の好きな時間に好きなペースで
取り組むことが出来るから

だが「資本論」
最近少しも進んでいない
やっぱり挫折しそう!
それとも無理やり最後のページまで
文字だけを追ってみる?
手ごたえありすぎだ!


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義務教育と権利。

2006年10月17日 20時53分27秒 | Weblog
中学まで、子供は学校へ行って
義務として学ばなければならない
と言うのは実は間違いで
義務があるのは、親とか国のほうで
(子供を学ばせる義務がある)
子供たちは、学ぶ権利があると言うのが本当のことだが
自分もずっと長い間、間違って憶えていた
多くの人たちもやっぱり間違って
憶えているのではないだろうか

同じように
「情けは人のためならず」
というのも長いこと間違って理解していた

これは
「情けをかけたりすると
甘い人間になってしまって
その人のためにならない」
というのではなく
「情けをかけるのは
人のためではなく
回りまわって自分のためだ」
という意味が本当なのだが
他人に聞いてみると間違って理解している人が多い

この分だと知らず知らず間違って使っている言葉は
結構多いかもしれない

しかし、最近子供たちにとって権利としての
小、中学校で悲惨なことが多すぎるようだ
いじめ、暴力、
選別のためだけの学科の教えと
先生方の無関心

いったいどうしてしまったんだろうか
この国は?
「美しい国へ」
そんな美辞麗句を言う前に現実にやるべきことは
想像力を働かせればずいぶんあると思うのだが、、、









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フルトヴェングラーのお墓での出来事。

2006年10月16日 20時36分25秒 | Weblog
少しばかり怪しい話なので
(自分にとっては現実でも)
酔った勢いの時しか話せないことがある

30年前、後先考えずドイツに旅たったが
ハイデルベルクでのこと
駅前で、その日泊まるユースホステルの場所を聞こうとしたら、
案内の人はひどくご機嫌斜めだった
何故だか分からなかったが
「フルトヴェングラーのお墓はどこですか?」
(カラヤンの前のベルリンフィルのドイツの指揮者)
と聞くと急に丁寧になって親切に教えてくれた

どうやらハイデルベルクに訪れる日本人は
学生牢屋に落書きをするので
好ましく思われてなかったらしい

そこで教えてもらったフルトヴェングラーのお墓
なかなか分からずモタモタしていたが
そうこうするうちに何の変哲もない
質素な彼のお墓をやっと見つけた

その時だ、突然頭の中で急にベートーヴェンの
第5番の交響曲、第1楽章の途中が
ひどく中身の詰まった音で
(そして左から右へ風が吹いて穂が揺れるように)
聞こえてきた
それは演奏者も必死になっているような音だった
そしてその時、
これはフルトヴェングラーの演奏している音だ
と確信を持って思った
今でもあの時の感覚は覚えている
しかし物理的にはお墓の近くで
音がしているのではなかった

このことはあまりにも個人的なことなので
自分の心の中にしまっておいたのだが
10年ほど前、そのころ定期購読していた
レコード芸術の読者の投稿欄に
なんとフルトヴェングラーのお墓の前で
自分と同じ経験をした人の話が載っていた
彼も不思議な演奏を聴いたのだという

そうすると自分の聞いたのは全くの
幻聴ではなかったのかもしれない
そんな思いが徐々に頭にもたげてきた

だから、出来ることならもう一度ハイデルベルクに行って
フルトヴェングラーのお墓の前に立って
あの音が聞こえるかどうかを
試してみたい気がしている

もしかして、あの音を聞くのは自分はあまりにも
不純になる過ぎているのだろうか?

やっぱり、酒を飲んでいい気分にならないと
ダメな話かな?
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ぎっくり腰!

2006年10月15日 11時01分23秒 | Weblog
とうとうなってしまった
年中行事のような持病?のぎっくり腰

昨日の朝からヤバイ兆候はあったのだが
夕方CDプレーヤーに入れようと腰をかがめた瞬間
ビクビクッ!
「あーあ、やってしまった」
それが第一声
残念ながら驚きもしないくらいの付き合いになってしまっている

さて、なってしまたらどうするか?

何にもしないで横になっているだけ
それしかなさそうだ
医者に行っても湿布薬とせいぜい痛み止めくらいだから
今はほとんど医者には行かない

と言うわけで、晩は早くから寝て
(起きあがるのが大変だが)
今日も休みが幸いとゴロゴロ
おかげで、だいぶよくなってきたようだ

今回のは小さな噴火のようで
あまり大きくないのは自分でも感じていたが
いずれにせよ厄介なことだ

しかしぎっくり腰というやつは
実際地震みたいなやつで
時々揺れて骨の位置をずらさないと
いけないみたいに
律儀に定期的に襲ってくる

今は体が左右に「くの字」みたいに曲がって
ペンギンみたいな歩き方をついついしてしまっている

幸い?
パソコンに向かう時ぐらいは
さほど痛くなくなっているが
老眼といい、ぎっくり腰といい、
物忘れといい、忍耐力の欠如といい
いよいよ老化が実感として迫ってきたようだ

仕方ないか
それも自然なことだから
受け入れるしかないか?

しかし、少しばかり残念だ!
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遅ればせながらインド戦の感想?

2006年10月13日 20時38分55秒 | Weblog
水曜日のサッカー、アジアカップ予選
停電したり、途中で犬が乱入したり
のんびりしたおもむきだったけれど
内容は???

まず感じたのは、力の差を以前程感じない点
前は、ただ点が入らないだけ
と思ったのに、今回はボール扱い、パスは
同じくらいの技術じゃないか、と思ってしまった

自分たちのボールを大切にしないし
クロスは不正確
トラップもバタバタしてた
なんか上手くないな、
走るのはいいけれどある程度上手くないとつまらないな

その中で中村、今まで知らなかった選手だが
なるほど、いい選手だと感じた
自分で縦にボールを運べるし
パスもいいものを保っているし
あのシュートも落ち着いたいいキックだった

しかし、正直なところジェフの連中、
少々ヤバくはないだろうか
巻は壁にぶち当たっている感じ
山岸は存在感はなく
阿部は中長距離のパスはさすがと思わせるが
全体を通してみると軽い感じ

オシム監督も負けたくないから守りは
コンビネーションが出来ている同じチームでまとめたのだろう

一方、前は一番乗っている人材を抜擢したのだろう
これは現実的な考え方のようで
一応理解は出来る

だが、困ってしまうのは
オシム監督が一人一人にボールをプレゼントして
練習しておいてほしいと言わせたスキルの部分

若いから走れるけれど、
ボール扱いはもう少しなんとかして欲しいものだ
特に最後のクロス、もう少し正確でないとシュートシーンもなくなり
見ていても楽しくない

オシム監督はJリーグの各選手のモチベーションを上げるために
いろんな選手を見ているが
そろそろ古い井戸の中からも(三渡州以外に)
選んでもらえないかな

そしてマスコミ、
もう少し内容のある解説のできる人材を捜し出さないと
ダメなんじゃないかな

松木さんよりは加茂さんの方が
自分に正直で(マスコミよりでなく)おもしろいが
テレビ的でなくていいから
きちんとした意見の言える人が出てこないかな
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お鈴とピアノの音。

2006年10月11日 19時57分46秒 | Weblog
祖母が1999年に亡くなって以来
なんとはなしに始めた毎朝の般若心経の読経
(般若心経を空で言えたらカッコいいかも
 などと不謹慎な動機だったが)
習慣になってしまうと、それは大変なことではなく
むしろ、しないでいると変な気分になったりする

というより、知らず知らず行っているのが現状で
おかげで般若心経も暗記してしまった

まずはお鈴をチーンと鳴らすのだが
お鈴はたたき方によって音が違う

最初は気にしないで適当にたたいていたのだが
和尚さんがお盆に家に来て、バチを下向きに持って
お鈴を軽くたたいた音が
今まで自分が鳴らしていた音と違って聞こえた

その時から時々たたき方、たたく場所を変えてみると
確かに音が違う
音の高さは一緒なのだが
音色、やわらかさが違うように思える

だから、ピアノの音はピアニストによって
同じピアノでも違う音がするのは
実感として理解できる

ピアノの音
自分はピアニストの国籍によって
ずいぶん違うような気がしてならない

無謀にもその音を言葉?で表してみると
フランス人のピアノの音は「コトンコトン」
イタリア人のピアノの音は「カツンカツン」
ドイツ人のピアノの音は「ヴァムヴァム」
ロシア人のピアノの音は「ガフィーン」
そんな風に思えてしまうのだが変だろうか?

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「知らない」と言えない人たち。

2006年10月10日 20時13分32秒 | Weblog
落語に「ちはやぶる」という演目があって
それは、在原業平の
「 ちはやぶる 神世もきかず 竜田川 唐紅に 水くくるとは」
の歌の意味を聞かれた人が
「知らない」と言えず、とんでもないこじ付けをしてしまう
話なのだが、このように「知らない」と言えない人は
結構多いのではないだろうか

それが特に仕事のことであったり
若い人から聞かれた場合などは
どうもええカッコシーをして
知ったかぶりをしてしまうようだ

自分はどちらかと言うと知らないことは知らないと
平気で言えるタイプで
新しいことを知ったらラッキーと思う方だが
いますねえ 知ったかぶりをする人

かわいそうなのは無理して知ったかぶりしてる人は
すでに、彼が知っていないことが
周りのみんなにばれているということ
そんなに無理することないのに
と思うのだが性格だから仕方ない?

そういえば、
やたらと教えたがる人もいますね
話を聞いていても
「ムムッ」と思えることを
(例えばコンピュータの扱いや用語の説明など)
自信を持って、おおらかに話してる人

ゴルフの教え魔も(聞いた話しでは)
ずいぶんいるらしい

どうも人間と言うのは聞くよりも(教えられるより)
話すのが(教えるのが)好きな人のほうが多いらしい?
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蚊にかまれる?食われる?刺される?

2006年10月06日 21時10分31秒 | Weblog
ラジオで「蚊にかまれて、、、」
と何かのニュースで言っていた

蚊にかまれる?
こちらの地方ではそんな表現はしない

しかし、その番組のパーソナリティーが
「蚊にかまれる」は関西地区で多く使われる
とフォローして納得した

関西の人たちはどうやら
「蚊にかまれる」には何の違和感も感じないらしい

そういえば、確かに食べ物などは場所によって
好みが大きく変わる

豚骨のコテコテのたんぱく質が燃えるような
香りの残る店内でのラーメンは自分は苦手でも
九州出身者は地元に来たような感じがして
懐かしさを感じるという

また、すき焼きに「麩」を入れるなんて
こちらでは「なに、それ」だが
関西系では「出汁を吸っておいしい、、、」と
当たり前の表情だ

狭い日本だが、こうしてみると
なかなか広いかもしれない
食べ物、表現については!




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ガーナ戦。

2006年10月04日 21時46分49秒 | Weblog
対戦相手としては格好の相手ガーナ
問題はガーナが真剣勝負で向かってくるかどうか

一応ワールドカップのメンバーが多く出ているようだったが
シュートの精度が悪く(中盤のパス、ドリブルはいいのに)
助かった面も多かった

しかし、日本は毎度同じシーンが見られた
シュートを打たないシーンだ
優先順位がシュートになっていない

だが一番見てて感じたのは
ガーナのメンバーのボール扱いの柔らかさだ
確かに遊んでいるというか、楽しんでいるように見えた
そしてそれがゲームを有利にしていくのに役立っていた

前半は彼らのトラップに注意して見ていたが
足元に置くというよりは
次に蹴る位置に置いていた
勿論全てではなかったが
(身体能力で何とかしてしまうところもあったが)
日本人は多くの場合足元に置いて
少しプレスがかかると窮屈のようだった

それから縦のパス
クサビのパス
なかなか上手くいってなかった
相手は縦を切っていたかもしれないが
パスが雑だったりあわてたりして
FWはもらいにくかったようだ

今のチームは確かにボールが落ち着かないかもしれない
ボールを前に運ぶことは以前より早くなっているかもしれない
そして一人ひとりが瞬間的な判断を要求されている
もう少し丁寧にそれらができるようになるといいのだが
(ちょっと選手自体のポテンシャルが小粒みたいな気はするが)

だが交代選手が6人までなのを
オシム監督は目いっぱい使ったのは
個人的にはいいことだと思う

多くの人間にチャンスを与えられたのは
次にがんばるモチベーションになっただろう

正直まだオシム監督は代表を選びきっていないようだ
一応守備は同じチームのメンバーを基本に
選んでいるのは現実的だが
徐々にいろんなチームのメンバーの組み合わせに
なるのではないだろうか

今日は今野のポテンシャルが垣間見られた気がしたが
ゲームを仕切る人物(司令塔というのではなく)
いなかったようだ
もう少しゲームを落ち着かせる人物が必要と思うのだが
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