パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

日韓戦

2010年10月12日 22時21分33秒 | サッカー
今年3回めの日韓戦
面白い試合だった
スコアレスドローでも納得
こんなに気持ちだけでなく、内容的にも質の高い試合が
見られるとは正直思っていなかった

確かに日本はワールドカップ以後、一皮むけたかもしれない
それが試合に出た選手だけでなく
日本の選手全体の経験として蓄積され
それが上手い具合に回っている感じ

スタメンはアルゼンチン戦から
森本が前田に
岡崎が松井に
内田が駒野に
そして川島が西川に変わったが
怪我がなくても何となく納得できる選手の選考

駒野、試合前半で怪我は悔しかっただろうけど
最初の入り方でチョッと上手くいかなかったから
どうかな?
と思ってたところだった
代わりの内田、実はもっと心配だった
どうもデビューの頃の切れがない、何かきっかけがないと
伸び悩んだままになりそう
ブンデスリーガでアシストでも上げれば良いかもしれないけれど

前半は日本のペースだった
韓国は、
上手くいかないな!と感じただろうけど
流石に慌てる事はない
経験がなせる技か

香川、ドイツ人みたいに大きな選手には有効でも
アルゼンチン、韓国の様にキュキュと動ける選手には
まだ少し経験が必要かも

本田は今日のできはよかった
アルゼンチン戦は入る気がしなかったけど
今日はご褒美に得点があっても良いかなと思ったが
神様はそうは甘くなかった(?)

長友は相変わらず、
流石に後半は少し疲れたようだが
安心してみていられる

長谷部、縦のドリブル迫力あった
やっぱりボールも人も縦に動かなくては

ところでザッケローニ監督
想像以上によい監督かもしれない
守備陣の構築、距離感、概念、そうしたものを短い間で
伝えきっているし
選手の使い方(交代も)非常に納得できる

「Jリーグの監督たちは非常によい仕事をしている」
このザッケローニ監督の言葉
素晴らしい!
そして今日の韓国戦すらも、勝負のみならず
チーム成長のきっかけ、と見なして
取り組んでいるところが凄い!

ホントに良いゲームでした

ところで松井のシュートの守備側の対応
あれはハンド!
でも取りにくい雰囲気かな

松井はトラップミスしなければよかったのに!
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日本対イタリア

2010年10月10日 19時34分22秒 | サッカー
またまた古いビデオの話
今日見たのは柳沢が華麗なボレーシュートを決めたイタリア戦
(これもキリンチャレンジカップだった)

見るまでの興味は、今の代表とどう違うか?
対戦相手も先日のアルゼンチンと比較できるくらい強いイタリアだから
おおよその比較はできる

今の代表の方がブロックを作って守っているから
失点は少ないかな!
が第一印象

しかし、躍動感、前に行く力、気持ちが前に出る感じ
それらは多少荒削りでも迫力がある

曽ヶ端、中田浩二、宮本、松田、戸田、稲本、波頭、森島、小野、柳沢、高原
みんな若い!
若さのなせる技、アイデア豊富、スピード感は岡田監督の時には見られなかったもの

それにしても、つくづく柳沢は良い選手だったんだと再確認
あのドイツ大会でのシュートミスでボロクソに言われるけど
日韓の時でも彼の活躍は素晴らしいものだった

小野も今よりだいぶダイナミック
彼は怪我さえなかったら、、、ホントに残念

イタリアはこの間のアルゼンチンよりは組織的に動いていた感じ
こうして見てみると国のカラーってあるものだ

そして中田英を使っていないところがトルシエ流
フィジカル面、スケジュールの関係があったかもしれないが
始めから使わなくて、いろんな選手を試しているところが
今にして思うとたいしたもんだ

前半だけ見て、続いてコンフェデ杯
日本対ブラジル戦
都築、上村、森岡、服部年、明神、伊藤輝、小野、中田英、波頭、山下、鈴木隆
やっぱりトルシエはいろんな選手を試している

チームの熟成よりは競争を上手く使って個々のレベルアップを促したのか?
この考え方、ジーコ、岡田さんよりは好ましい
トルシエはエキセントリックでマスコミに話題を提供してくれたけど
それだけではなく、やっぱり良い監督だったかもしれない

ところで、ザッケローニ監督も公平に選手起用しそう
チャンスはJリーグ選手にも充分ありそう

昔のチーム全体に言えるかもしれないし
単にそんな風に勘違いしているだけかもしれないが
昔のチームの方が頑張れた、気持ちがこもっていた気がする
(今年のワールドカップは奇跡的に頑張れたが)

チーム戦術うんぬんの前に
一人一人の闘う気持ち
そんなものが大事なんだとつくづく思う
(あまり好きじゃない精神論になってしまったが)

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ブラジル対オランダ

2010年10月09日 20時35分51秒 | サッカー
久しぶりに94年 ワールドカップ アメリカ大会の
屈指の名勝負 ブラジル対オランダ戦を残してあるビデオで見た

2-2から
最後はブランコのFKがゴール隅に決まって勝負がついたのだが
そのシーンばかりが強烈に残っていて
(オランダのコーナーからのヘッドで同点のシーンも覚えているが)
全体的にはどうだったんだろうか
そんな興味で見始めたのだが、、、

まずは試合の関係ないところから
アメリカで行われた所為か、いつものサッカーの試合と雰囲気が違う
どこかのんびりしている
時々ウエーブが起きたりして、真剣勝負というより
客はエンタメを見ている感じ

それからまだワールドカップが膨大な商売になる前なので
ゴールの後ろ、横にも広告物はないし
パンツも短いし
つまり時間の経過をつくづく感じてしまう

この時のブラジル代表、その後日本のJリーグに来ている
レオナルド、ジョルジーニョ(鹿島)ドゥンガ(磐田)ジーニョ(フリューゲルス)
日本は美味しい市場だったのだろうか?
(今は都落ちみたいな扱い?)

試合は暑い夏の中なのだが結構激しい
やっぱり部分的な1対1に勝つ事が勝負の基本
そんな気にさせる

ブラジルは優雅というより現実的な路線
それでもしばしば見せる細かなパス交換などは
当たり前の様に正確にやっているところが凄い

日本は、まず縦のパスが、、、

オランダはオランダで身長の高い自分たちの特徴を生かしたボールの扱い方で
やっぱり互角の1対1を展開
ベルカンプは柔軟、良い選手だ

ブラジルはベベットがあんなに頑張っていた印象はなかったが
今日見るとベベットとブランコが頑張っていたのが意外だった
そして二人の得点の結果は神様のご褒美みたいなものかな

ロマーリオは決めるところは決める
そしていつも背中をピンとのばして走る姿が印象的
走るのも割と速そうな感じ

昨日の日本対アルゼンチン戦と比較して
まだまだ日本はやるべき事が多いようだ

当たり前だがトラップでボールを置く位置
プレスがかかった中でのパスの正確さ
クロスボールの精度
それから1対1の球際の強さ
ちゃんとしたインステップキック
つまり基本的な事

これらはどの時点できっちり教えるか?
勝つ為の方法論になり勝ちな大きくからではダメかも
しかし、基本は案外毎日やらないと忘れてしまう
といってそんな事に時間はかけられないし、、、

現在、日本のテレビはヨーロッパ主体のサッカーを放送しているけれど
参考になる点では南米のサッカーも捨てがたい
リズムの変化 裏の取り方 駆け引き そしてツボに入った時の正確さ

やっぱりポカは多くても
ブラジルがらみのゲームは面白い

今日引っ張りだしたビデオ
もう一つはアメリカ大会予選の日本対韓国
KAZUの当たり損ねのゴールシーンは覚えているが
さて全体の印象は、、、

あのとき、本当にワールドカップ出場の資格があったのか
ドーハの悲劇は必然だったのか
それが見ればわかる試合なのかもしれない

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負ける気がしなかった対アルゼンチン戦

2010年10月08日 22時21分19秒 | サッカー
あのスペインに勝ち
ワールドカップでは韓国に圧勝
多少コンディションは悪くてもメンバーは揃っている
だから今日のアルゼンチンは手強いはずだった

しかし、結果は1-0 岡崎の得点で勝ち
立ち上がりのプレッシャーは凄かったけど
そして部分的にはボールポゼションで劣っていたけど
今日の日本は攻める気持ちが表れていて面白かった

選手を森本、香川と攻撃的な選手にしただけ
というより、何かもっと違ったコンセプトのチームみたいで
これなら代表戦は岡ちゃんのような不人気にはならないだろう

長友は一気に上手くなった
香川はきらめきはあるけど、南米選手相手はドイツでやるより大変かも

本田は残念ながら今は得点の匂いがしない
何かきっかけが必要
でもキックの豊富さ、柔らかさ、体の強さ、冷静さは
やっぱりあの中ではワンランク上の選手にみえる

岡崎はワールドカップ以来進歩した
点で合わせるだけじゃなく
シュートパターンが増えてきた

内田、やっぱり人に当てるのが見られたけど
一頃の伸び悩みは消えたかも

森本、珍しくチェイシングしていた
これでキープ力、トラップが上手かったならなあ

遠藤は相変わらず飄々としていてうまい
けど右足主体でちょっと窮屈に見える時がある

長谷部、ナイスシュート
ただテレビでは分からないだけかもしれないけど
なんだか地味な選手

センターバックの二人はよく守ったと言えるでしょう
川島もメッシのFK良く止めた

ただもう一回やれば勝つのは難しそう
南米選手の粘っこいプレー(ボールのもち方、体の使い方、ミスへの対応の早さ)
それは試合になると徐々に邪魔臭い存在になっていきそう

それでも今日の勝ちは大きい
そして後半の選手起用は、完全なレギュラーを固定しない
との表明で、公平なポジション争いは
我々サポーターの興味を引く

ザッケローニ監督は勝負師よりも教育者的要素が多いかもしれない
そして今はその方が良いような気がする
常に勝負だけにこだわると
負けないサッカーばかりになってしまって面白くない

久々、楽しいサッカーだった
勝ったからじゃなく
気持ちが表れていて
自分の発想が随所に見れて
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精神はピンチのはずなのに、、、

2010年10月07日 20時24分37秒 | Weblog
時々変に思う事がある
仕事のストレスなどで精神的には参っているはずなのに
いざ考える事になると全然関係のない分野に向いてしまうこと

そんなに悩んでいる訳ではないから、かもしれないが
どうも実生活の事よりは、どうでも良いような事柄の方に関心がいってしまう

景気の低迷と閉塞感
考えるというより不安に襲われて、
ついつい悲観的になり勝ちなのは仕方ないし
夜中に目覚める日がない訳ではない

しかし、関心事はその事ばかりではなく最近では
「西行」のこと

辻邦生が小林秀雄が、そして芭蕉が特別の存在として認めた西行

何がそんなに良いのか?
が素朴な疑問

「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」

リズムは良いけど、花と春と如月は季節的に合うのか知らん
(旧暦では矛盾はないらしい)

「心なき身にも哀れは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ

何となくスッキリしていいぞ。しぎたつさわの音の感じが、、

他にどんな歌があるのか?
それで購入した本が
「西行」その歌 その生涯 
平凡社 松本章男著

「葉がくれに散りとどまれる花のみぞ忍びし人にあふ心地する」

なにやら艶かしい
確かに興味深い人物かもしれない

小林秀雄の西行を読んで、勝手に想像したのがジョン・レノン
自分探しを必死になったところ似ている(?)
リルケもこのタイプ


などなど、ほとんど実生活に関係のない事が(思いつきが)
自分には面白く感じられる

だが、これがあるからこそ
こんな時代でも、多少は正常(?)で居られるのかもしれない

それとも、やはり真に困っていない?


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2分化した仕事

2010年10月05日 21時37分58秒 | Weblog
富む者と富まざる者
メーカーと小売
真中が抜けてしまったのはこれだけではない

仕事の質の分野もやはり中抜けになってきている
今の仕事は高度な経営判断を要する仕事
あるいは高度な知識、技術を活用しなければならない仕事と
誰にでもできる簡単な仕事に大別される
(機械、とりわけコンピュータの発達がそうさせた)

昔はそうではなかった
仕事に慣れていくうちにスキルアップして
仕事の効率も上がっていき
当人たちもそれなりの充実感もあった

ところが時代が変わりスキルアップは機械の高性能化にとって代わられ
人の仕事はは機械ではコスト的に合わないものを
機械の代わりに行うようになった
こうした簡単な仕事は置き換えが可能なために
安い価格で行ってもらえるところに仕事の発注がいく

それは人間同士においても同じ
企業はコストダウンを図るのが当然で
必然的に賃金の安いところ、人のところにいく

仕事は一生勉強の場と言える職場がそんなにあるだろうか?
要求されるのは人としての活動より効率
(少なくとも製造業のラインの仕事は一生働くに値しない)

現在の勉強や人生の目標はみんながみんな
上の分野のゾーンを目指すものになっている
だが上の人間はそんなに多くいる必要がない
力があってもだれでもできる仕事に就くということはありうることだ

こうなると仕事とは自分の生活を維持するための
お金の稼ぎ場所と割り切って考える人が多くなっても
それはそれでまともなことのように思う

いい意味であきらめの感情を持ち
自分の本来の姿は別のところにあり
そこでこそ人間的な生活をする
仕事だけに振り回されずこんな風に生きていけたら
日本はもう少し住みやすくなると思うのに、、、
(人生を楽しむ方法、イタリア人に学べ)
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読書の秋(本に囲まれていたい)

2010年10月04日 21時11分01秒 | Weblog
飛行機のコックピットのような
目の前にメーターやらボタンがたくさんある
そんな空間に包まれたいと考える男は少なくない(と思う)

可愛い家具や花に囲まれていたい
と考える女性もやはり多い事だろう

自分の稼いだお金を何に費やすかによって
人の個性は明らかになっていく
(お金のもうけ方はそれほど個性による差はない)

同居人には評判が良くないが
自分は本とレコードに囲まれていたい
読まれていたり聴き古されたものがより好ましいが
あまり気にはしない

だから雑誌に何々の書斎等と言う特集があるとつい立ち読みして、
本がグチャグチャになって、ただ置きっぱなしになっている
作家たちの姿を見れば、それをとても羨ましく思うし
整然と圧倒的な量の本棚等を見れば嫉妬してしまう

残念な事だけれど(自慢じゃないが)読んだ本
その内容はあまり覚えていない事が多い
覚えているのはその本が面白かったかどうか
という記憶だけ
だからいつか読み返そうと思い残しておく
そしてその結果本が増えていくのだが
それは自分の記録、生き方の様で、なかなかBOOKOFFに直行とはいかない

本の内容は正確には覚えていない
だが自分の一部になっている実感はあるのが不思議で
この感覚は年々確信に近くなっていく

電子書籍によって本の将来は劇的に変わる事が予想される
しかし、少なくとも自分はそんなに変わった本とのつき合い方を
しない気がする

週刊誌、雑誌関連はザッと電子書籍で済ますかもしれない
だが本当に読みたい本は紙の感触、インクの匂い、
装丁のよさ、フォントの選び方まで味わって
やはり身の回りに置いておきたいと思うだろう

ホント、本に囲まれた生活いい
ところで、最近読んだ本は
これからの「正義」の話をしよう
街場のメディア論

前者はベストセラーになっているらしい
この手の本がよく読まれるのは良い事
しかし日本でこういう本を書き下ろす人が居そうにないのが少し残念

小説類はなかなか最近は読めていない
名前をすぐ忘れてしまうから?
それとも今はそう言う気分でないから?
読まれる事を待っている本は
「ロリータ」「賜り物」「桜田門外の変」等など

でもきっと何か別の本を買ってしまう事だろうな

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「神は細部に宿る」

2010年10月03日 16時48分57秒 | Weblog
昨日、名古屋松坂屋の美術館で「ギッター・コレクション展」を見た
帰ってきた江戸絵画とあり
円山応挙、伊藤若冲、俵屋宗達、酒井抱一の作品が展示されていた

日本のものでありながら、普段あまり目にする事のない
掛け軸に収まった絵画
実はあまり期待せずに気晴らし程度に入館したのだが
これがなかなか刺激的だった

なんと言っていいのか分からないが
この絵画を生業とする人たちの表現意欲、表現技術は
洋の東西を問わず半端じゃない

素人目にも着物の柄の、気の遠くなるような細かな描写
松や笹の葉のリズミカルな執拗な書き込み
それらは書き直しが効かないにもかかわらず
相当なスピードで描かれた印象を与えている

あの細密の表現、飽きる事のない集中
それを彼らは多分しんどいと思ってはやっていないだろう
むしろ夢中になれた至福の時とさえ感じているかもしれない

勿論そこに至るまでは、やはり苦痛を伴う訓練、修行があったに違いない

そう、何か本当の技術を身につけるには徹底的な訓練、修行が必要に違いなく
その修行に耐えられた人たちの中で運のよい人だけが
名を残す事になれたのだろう

気の遠くなる細かな表現、それを絵画上では
人は凄い!と感嘆する
しかし、これを別の分野、例えば音楽、哲学に置き換えてみたらどうだろう

多分、人は向かっている方向が違っているだけで
やりたい事、表現したい事はあまり違わないのではないか
とすると、絵画における細密の書き込みは
バロックにおける対位法の徹底や
古典派におけるソナタ形式の主題の限界までの展開
ロマン派における情感を余す事なく表現する響き、和声などと
本質的には同じものではないのか

哲学においては言葉の徹底的な吟味と分析
そして検証が該当するかもしれない

つまりは、細部にこだわる事は
その道を進むものにとって当たり前の事のようだ
そして、その細部にこそ「分かる人にはわかる!」
といった仕掛けがあるのかもしれない

ところが実生活においては、細部のこだわりイコール難解に通じるようで
物事を全て単純化してしまう
(特にマスを始めとするメディア)
分かりやすい事、万人にも通じる事、それはモノによっては大事な事

しかし、想像力を必要とするものまで説明的になってしまったら
人間の楽しみは、つまらないものになってしまうのではないのか?

神は細部に宿る
作った人も
それを楽しむ人も
細部にこだわらなければ本当に楽しむ事はできない


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都会と地方、大企業と中小企業(資本主義の行き先は?)

2010年10月02日 19時09分06秒 | Weblog
世の中のくくり方、理解の仕方はいろいろあるけれど
最近の日本の状況を考える時
好不況の波が大きく見れば循環する
と言われてもなんだか実感がない

伸びる分野、伸びる地域に市場を求めて
活動するのが王道と
客観的に諭されても何か違うのではないか?
の気持ちを抑える事ができない

このくくり方を都会と地方と分けると
いやもっと端的に大企業と中小零細と分けると
それは景気の良し悪しでは片付けられない気がする

今、再読しているレーニンの帝国主義論
そこで取り上げられる資本主義の発展の最終型
独占から金融資本主義、そして帝国主義に、、、
これは、なるほどその通りかもしれない!

そもそも資本主義を構成する人間の習性
そして資本というものの要求する姿は
残念ながら、おおらかに自由と平等を謳う理想的民主主義では
手に負えないのではないのか?
そんな風に悲観的に考えてしまう

ならばどうすれば良いのか?

ここからが大変
正直解決法が見つからない

こんなもん!と諦めて
せめて自分は勝ち組なるべく努力をしても
競争の勝者は相対的で皆が勝てる訳ではないし
おまけにゼロサム社会は住みにくい

今の世の中、全てがお金に換算される傾向にある
お金では測れないもの、お金以上に大事なもの
その存在を認め、多くの人がそこに価値を求める様になれば
良いのだけれど、残念ながらこれはあまりにもロマンティックすぎる

しかし、システムをどうのこうの言う前に
人としていかにあるべきかを
個人個人が考える様にならない限りは
全体的にはよくならないような気がするが、、
これも遠い話かな?

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ブレイクするときは一気に

2010年10月01日 21時42分08秒 | Weblog
昨日に引き続きベートーヴェンのこと
通勤の車内で第2番の交響曲を聴いた
まるっきりとは言わないがほとんど初めて聴くような感じ

ベートーヴェンにも若い時があったんだ!
そんな伸びやかな、若い時しか作れないような部分が時折垣間みれた

しかし、こうして聴いてみるとやはり「エロイカ」は画期的な
作品であった事に改めて驚愕する

2番でも並の作曲家のものではないと思うけれど
3番はまるっきり世界が違う

作曲の具体的な良し悪し、進歩は分からないが
いったいこの間に何があったんだと思わせるくらい
2番と3番の間には隔たりがある

おおらかで、全体が豊かなメロディーに溢れ
しかも統一的
この完成度の高さは9つの交響曲の中では一番なのでは?
そして自分が一番好きなのも、この「エロイカ」

ところで芸術家やスポーツ選手
(人気ではなく)実力がブレイクするときは一気に
というパターンが多く存在する

今日NHKBSでやっていた浜圭介の音楽でも同様な事が言えそう
終着駅 石狩晩夏 舟歌 悲しみ本線日本海 心凍らせて 大阪暮色
それぞれスランプはあったみたいだが
通してみれば一気にブレイクの感は否めない

人にとって、それが幸せかどうか分からないが
とにかく伸びるときは伸びる
会社も、組織も、スポーツ選手も、芸術家も

そこで自分に立ち返った時
はたして自分がブレイクしたときは、、、
(そもそもブレイクした時があったのか?)
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