パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

選挙運動

2016年06月19日 08時39分01秒 | Weblog

その人は3回とも同じことを繰り返した
一応尊敬される立場にあるその人は、当たり前のように
ある会合〈イベント)で乞われて挨拶を行った

同じことを繰り返したというのは、この挨拶のことば
「おめでとうございます(会の趣旨に対する挨拶)、、
ずっとお聞きしていたい(拝見していたい)のですが、あとの予定がありますので、、、」 
と言って、挨拶だけをして途中からいなくなった

最初は、そうなんだ、忙しいのにご苦労様!
の印象だった
ところが2回目も同じことをされると既視感が先立って
あれ、またやってる
そして3回めになると、
そんなに忙しいなら来なくてもいいのに !
というか、この行動自体に少し嫌悪感を感じることになった

忙しいのに(本当にそうかな?)わざわざ来て(来たくもない)会やイベントで
挨拶する目的は 、、、、
そう選挙対策、名前を売る行為だ

昨日の河村さんがさり気なく、地域の盆踊り、敬老会、運動会に
市議が参列する(挨拶する)のは実質的な選挙運動だ
とこぼしたのを思い出した

選挙において、無理なく名前を売る機会の多さは
現役と新人とは最初からかなりのハンディがある 
現役は当選した時点からあらゆる機会を通じて選挙活動ができている

人は自分のことを語るのに、自分はあの人を知っているとか
あの人の知り合いだといって、少し有名なあの人の名前をあげたがる
そのあの人が現役の政治屋さんということは珍しくもない
少し知られた政治屋さんと知り合い、、それが人としてのステータスに
なるということは本当はないはずなのだが、現実世界ではよくある勘違いの事柄

政治屋さんはこの心理をうまく活用する
知り合いと錯覚させる機会を出来るだけ多く設ける
政治屋さんの中では多くの中のひとりにすぎないが 
当の本人にとってはそんなに客観的に自分の立場を解釈しているわけではなくて
何か知り合いであることで、自分が特別な人間と錯覚する
そしてこの様に無理ない選挙母体が出来上がっていく

でも、わざわざ来て挨拶だけして途中で離れる行為や
やたらと知り合いを増やそうとする行為は
何かしら違和感とか嫌悪感を感じる 

それにしても、弔電に誰々さんの名前が紹介されたり、、
なんだかな 

 

 

 

コメント
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