パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

あちこちで聞かれる「違法ではないが、、、」

2016年06月07日 09時10分33秒 | Weblog

「違法性はなかった」とか「法に則って」とか
最近、嫌というほど耳にするフレーズだ 

これだけ耳にすると、そもそもその法というものが
どんなものか知りたくなる
ところが素人の辛さ、それがどんなものか詳しくは分からない

でも、ここ同じく耳にするのが
「ザル法」という言葉
「違法性はなかった」とか「法に則って判断してもミスが起きている」
というのは、どうもこの法自体がしっかりしたのもではないからのようだ

入り口はしっかり管理していても出口はユルユルの政治資金規制法
産廃関連の廃掃法やリサイクル法も、どうも環境を守るための担保となるよりは
別の目的のために作られた様に思えたりする

法は一つの目安になるが、悪用されると法に書いてないことは
何でもやっていいこと!と判断する人が出てくる
本来は、性善説ではないが、ひとりひとりが書かれていなくても
常識として行わないこと!いわゆるモラルの存在を前提としていた
しかし、今は、、、

書かれていないことを、法に触れないことを、モラルに反しても
行ってしまう人、それを「賢い人 」というのだろうか
少し気が小さくて、ついつい世間の目を気にして当たり前に
モラルらしきものを守る小市民は賢くないのか

ピケティは彼の著書で
「成功した人は、努力した人。運が良かった人。そして危ない橋を渡った人」 
と象徴的に書き残している
どうも最近は、「最後の危ない橋を渡った人 」の類が多すぎないか

小市民がついつい気にして守るモラルとか規則
それは本来は上手く生活していくうえでも知恵だったはず
ところが、今はそれがどうも機能していない
それより上位に直感的には理解しづらい法がある
そうなると、法を熟知している人たちのなすがままになる 

世の中はそんなにシンプルなものではない
と認めたとしても、もう少し感情的に納得できる世の中にならないものか
(でないと、感情の爆発がいつか起きやしないか)

なにかな、どうもやりきれない日が続く、、、 

コメント
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