録音された時間の半分くらいが繰り返しというか
声によるアドリブ〈?〉で終止しているのが
有名なヘイ・ジュードと、ポールマッカートニーの
RAMの中の 「モンクベリームーンディライト」
そしてジョン・レノンの「マザー」
この繰り返しの部分を方向性を
ポールとジョンの比較をすると結構面白い
ジョン・レノンのマザーは正直なところ怖い
「mother do'nt go 」と叫んでいるだけだが
どこか狂気じみていて、聴いてて辛い
だからこの曲を最後まで聴いたのは初めての時だけ
あとは途中でやめてしまう
一方ヘイ・ジュードとモンクベリームーンディライトは
ポールはダミ声でメロディというよりは
ジョンのように叫んでいる
でも繰り返しの中で次はどんなことを(表現を)するのだろう?
という興味のほうが先に立つ
そしてその多様さに驚くし、それらの表現が音楽的という言葉で
表現されるものになっている
昨日も挙げたがモンクベリームーンディライトの繰り返しの部分
特に最後の方のポールの鼻歌みたいな部分 好きだな
音楽で何を表現するか
音楽の範囲を超えず美しく何かを表現しようとした
根っからの音楽バカのポール・マッカトニー
まずは表現したいことがあって、そのためには
ジャンルの破壊すらも厭わなかったジョン
モーツァルトも音楽の中の秩序のなかですべてを表現しようとした
ベートーヴェンはジョンのように、まずは表現することアリきからスタートした、、、
とずっと思っていたが、どうもそうではないらしいという気持ちに
最近なってきた
ジョンの方法とポールとどちらが優れているか
多分優劣はつけられない
要は、どちらがより好きかだけ、みたい
自分は、、、タレ目のサウスポーの方