パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

亀姫と鳥居強右衛門に関連するイベントが計画されているようだ

2023年05月09日 09時28分00秒 | 徒然なるままに

ラインに興味深い情報が入った
来月に市の文化会館で「どうする家康」で亀姫と鳥居強右衛門に扮した
タレントさんのトークショーが予定され、この急な催しの予算を承認
してもらうために臨時議会が開催されるというものだ
(ローカル新聞に報道されたようだ)

岐阜や浜松などの流行りのタレントさん絡みのイベントだが
新城は本流ではなくサイドストーリー的なところが地味な新城市らしい

直感的に面白い!と感じた
予算がどのくらい計上されるかわからない(500万円?)
入場者は1,200人を予定しているし、このイベントの波及効果を思えば、
そして亀姫も鳥居強右衛門も話題になればコストパフォーマンスは悪くないと思われる

亀姫は直近のドラマにも大きくなった女性と登場しているが
新城の城主奥平信昌の嫁さんで、新城には亀姫通りという通りがある
そして亀姫通りには彼女が建てたとされる大善寺がある



大善寺の看板の紹介文はこんな内容


ドラマでは有村架純扮する瀬名姫の娘で、母の壮絶な死の法要をここで行ったと書いてある
亀姫は母の死を命じた家康をどう思ったのだろう
その複雑な心境は想像するしかないが、仕方ないでは済まされないものと思われる

もうひとりの新城絡みの人物、鳥居強右衛門は長篠の戦いのヒーローで
武田軍との戦いで窮地に陥った状況を打破すべく、岡崎の家康のところまで
助けを求めに行った人物だ
彼は目的を果たし長篠城に戻る途中、武田方に捕まり、武田方からは
場内の仲間に抵抗をやめるように説得すれば命は助けると言われたが
彼は「もう少しで味方がやってくる」と叫んだため磔になって殺された人物だ

地元の長篠城には、褌姿でインパクトのある鳥居強右衛門の磔の大きな看板がある
この磔の絵は実は2枚あるようで、一つは武田方の落合佐平次が
強右衛門もの生き様に動かされて描いたもので、旗指し物として使われたようだ
この旗指し物は数年前に新城設楽原歴史資料館で修理されたものが公開された

もう一つは江戸時代に描かれたもので、強右衛門の墓のある信昌寺に掛け軸として
残されおり、市の文化財と指定されていたが、しばらく行方不明になっていた
その後見つかり劣化していたものを修繕された(予算は市議会にも上程されたことがあった)

ここで驚くの一枚目の磔の図を描いたのは、武田方だったことで
武士として尊敬できるものは、敵味方関係なく評価しているという事実だ

これを最近の敵のすることは何でもNO!とする風潮と比べて
とても大人のすること、人間ぽいもののように感じられる

記憶が定かでないのが情けないが、日清、日露戦争のどちらかでも
敵国が日本の海軍(だったと思うが)を評価することがあった

人口減と高齢化が急激に進む田舎の新城市
住むところとしても、観光地としても、そのポテンシャルを十分に生かしている
とは思えないのが現実だ
予定されているトークショーの単発のイベントが効果があるとは思えないが
これが何かのきっかけになるかもしれないので、ちょいと期待したい気分

ところで5月16日には、JA本館3階ホールではJA文化講座として
どうする家康絡みの話がある
この時の講師は姉の同級生で知っている方なので、とても楽しみ







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「戴冠式」から連想したこと

2023年05月08日 10時21分55秒 | あれこれ考えること

漢字がどんどん書けなくなっている
昨日今日のイギリスの戴冠式のニュースにある「戴冠」などという字は
自分には必要がないので書いた記憶がない

ただし読む方は辻邦生の小説のタイトルに「春の戴冠」があったので
言葉としては接している
この長編小説は「ヴィーナス誕生」で有名な画家サンドロ・ボッティチェリを
主人公にしてメディチ家の最盛期のルネサンス時代を想像力豊かに書いたもので
「背教者ユリアヌス」と並んで、いつか読み直そうと思っている小説だ

報道では今回のイギリス国王の戴冠式は、以前と随分変わっているらしい
儀式も省略化したり、多様性を確保するために様々な宗教の人が
儀式に参加することを求めたり、つまり時代に合わせて変化しているということだ

この時代に合わせて変化すること
実はそれこそが保守という言葉の真髄らしい
「保守とは何か?」この手の本を読むと必ず出てくるのが
こうした変化を続けることの大切さで
ちょいと勘違い的に思われている「伝統をそのまま継続する」のとは違う

いつも思うのは、日本では真の意味で保守という言葉が使われているか?
という疑問で、物事を突き詰めて考えないこの国の傾向がそこにも見える気がする

話は変わるが地元の近くの東栄町には秋から冬にかけて
「花祭り」という伝統のお祭りがある
中央にお湯を沸かしているおくど(?)を設けて
天井からは切り絵のようなものを飾り、
その周りをお稚児さんや鬼の面をつけた人が昔からの踊り方で
声を発しながら夜を徹して踊るというもので
東栄町の人たちにとってはお正月よりも大事なものらしい
(帰省はこの時が一番多いとか)

だがその伝統行事も少子化で参加できる人が少なくなくなっている
ここまではよくある話だが、ここからが先程の保守に繋がる話で
この人口減の地区には移住してきた和太鼓の集団(志多ら)がある
時々日本国内で演奏活動を行っているが、この地では練習・訓練を行っている

彼らは閉じた集団ではなく、地元に溶け込もうとする開かれた集団で
花祭りの行事にも参加することを長老に訴えたことがあったそうだ
その時の長老の判断が、まさに保守!と思われる素晴らしいものだったと
自分は記憶している
それは花祭りの一部変更とか、新たに参加する彼らのアイデアを生かしたりすることを
次の時代のために認めたというのだった

現実はそうせざるを得なかったとしても、なかなか何かを変えるのは難しいし
勇気のいることだ
このエピソードを聞いた時は、長老さんも和太鼓の団体も両方とも素晴らしいな!
と思えて、どこか心がほっこりしたのを覚えている

ところで、変化は緩やかな方が良いか?
それとも手っ取り早く急激な方が良いか?
実は日本社会はこの問を突きつけられている気がする
(どっちみち時代に合わせた変化が必要とするなら)


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昭和48年頃の空気(記録に残されていることが大事)

2023年05月07日 09時27分43秒 | 徒然なるままに

図書館で借りてきた「昭和万葉集」18巻を捲っていると
こんなのが目に入った

○ 未成年の我が長男を母我に許可なく洗脳を教会がなす
○ 予備校へ我が子返せと叫びたる原理教会に我は又来つ

すぐに思いつくと思われるが統一教会のことだ
ページの下には「原理運動」の説明がなされている

この歌は昭和48年の作品で、50年前から既に社会問題に
なりつつあったのがわかる
この時期は自分の学生時代に当たるが、確かにこの頃は
原理研究会に気をつけるように!と聞かされた記憶がある

だが、今こうして目にすると地殻変動は着々と
進行しつつあったのだと再確認できる

こうした庶民の気持ちを色濃く感じる感情表現は
出来事のみを淡々と伝える記述方法よりは
歴史を身近なリアルなものとして受け入れることができる

だからこそ、今の時代も庶民の感情の発露としての何かを
残しておくべきと思う(将来のために)
荒れ気味のSNSのやり取りも、歴史の一つの事実として
研究材料になりそうだ

つまりは歴史は表舞台の政治家同士の権力闘争だけでなく
庶民の生活感、感情に基づくその時代の空気みたいなものを
残すのは意味あることと思われる

話は変わって、この本の不思議なことに気がついた
昭和万葉集は恋愛の歌が少ないみたいなのだ
(全部を見たわけではないので不確かだが)

歌謡曲もポップスもロックも、恋愛の歌が当たり前のように多い
それは外国でも似たようなもの

恋愛感情はどの時代も似たようなものだとしても
時代による僅かな違いを感じ取ることができるかもしれない
そういった面では、誰もが苦労しなくてもわかる恋愛の歌は
もう少し扱って欲しかったかな
(同じのばっかりと思うから避けたのかもしれないが)









 

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詐欺に引っかかりそうになった

2023年05月06日 14時27分14秒 | 徒然なるままに

しまった!電話するんじゃなかった!
今から思えばこの一言に尽きるのだが、、、

午前にYoutubeを見ようとしたら、ポップアップ画面が現れて
マイクロソフトサポートの名前で
PCがハッカーから狙われる状態になっていると表示された

画面はもう一つあって電話番号が書いてある
そのどちらかは忘れたが、この画面を再起動しても
現在の状況は変わらないとあった

確かに、一旦ブラウザを終了してもまた出てきた
ここで無視すれば良いものを、ついマイクロソフトのサポートの名に
負けて電話をしてしまった

出てきたのは片言の女性
今のパソコンの状態ではハッカーが大事な個人情報を盗める様になっている
だからセキュリティソフトを入れるほうが良いと盛んに勧めてくる
ここで不信感を持つのが普通かもしれないが、以前マイクロトレンドの
ウィルスソフトを入れてトラブルがあった時に電話をしたが
その相手はやはり変な日本語の女性(韓国の)だったので
そんなものか!と思ってしまった


それでもイマイチ信用できないので、
「本当にマイクロソフトのサポートの人か?」と口にすると
彼女はグーグルで「アニー パーカー」と検索するように答えた
すると検索画面に女性の写真と職歴が書いてあるページが出てきた
それには確かにマイクロソフトのサポートのメンバーと書いてある
(それが電話の相手の証明にはならないが)

彼女は一方的にこのままだと危ないを繰り返す
少しでも早く対策ソフトを入れたほうが良いと繰り返す
価格は3年で70,000円 5年で80,000円
10年で100,000円という
支払いはアップルカードでしてほしいと言う

ここまでくれば怪しいのはわかるが、少し彼らの戦略を探ってみよう
との気持ちも働いて、聞いたふりをして行動に移った

こういう場合、普段は検索で「マイクロソフトサポート詐欺」で
検索するのだが、この時はしなかった

結局、アップルカードは購入せず、彼女の提案は拒否することにした
それまでの時間は約一時間
疑うのと、怖いもの見たさの気持ちが入り混じって時間を費やした

それにしても想定内の質問だったのか、マイクロソフトのサポートメンバーの
ページを紹介したのには驚いた
彼らは疑う人対策はできていたようだ

こうして危うく詐欺に引っかかりそうなのは逃れたが
本当に電話したのは失敗だった
ちなみに電話番号は 050 5806 4489 で
この番号は詐欺の番号なのでかけないほうが良い

一旦、話が終わって「マイクロソフトのサポート云々詐欺」
を検索すると、出てくる出てくる要注意の内容のページ
詐欺をする方もいろいろ準備をしているものだ!
と変なことに感心した

詐欺はいろいろ工夫してくる
怪しい電話やメールは反応しないほうが良い
今回使われた番号 050 5806 4489は
絶対かけない様にしたほうが良いと思われるので
明らかにしておきます

※頭にきたのは電話代がしっかりかかってしまったこと
 とにかく変なものには反応しないことと肝に命じておく

 

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「昭和万葉集」で時代の気分を知るということ

2023年05月06日 09時51分50秒 | あれこれ考えること

以前にNHKで、戦前の庶民の残した日記を分析する
(日記に出てくる言葉の使用頻度等を調べる)ことで
時代の空気の変化を読み解いた番組があった

そうした日記をよく集めたものだ!と思ったが
ある時期から厭戦気分が、勇ましい言葉の頻度が多くなって
妙な高揚感があふれるようになった経過が丁寧に紹介された

気分の醸成を行ったのはメディアの力で、メディアの報道と
勇ましい言葉の相関関係は明らかだった
(戦いを煽ったのはメディアとも言えるということ)

政治の現場にいる人ではなくて庶民の日記は、情報通ではないが
感情がストレートに読み取れる分、社会全体の実態を表しているものかもしれない

不意に「昭和万葉集」という書物があったのを思い出した
ところで、令和の元号のきっかけとなった万葉集は、考えてみると不思議な歌集だ
天皇の歌もあれば防人の歌もある
恋愛の歌もあれば、事件を匂わすような歌もある(大津皇子の事件)
また貧窮問答歌といわれる底辺の人間の歌もある
これらの歌を、その当時の日本人がどのくらい参加しうるものだったのか
文字が読めて、書くことも出来て、紙を調達できて
どのように歌が選者に届けられたのかは想像できないが
この歌集が残っていることでその当時の精神とか感情の動きはわかる

歴史の事実の経過はなくて、その当時の人々の感情の動きを知るには
こうした感情の発露をメインとしたものの方が良いだろうと思い
政治の部外者の庶民の歌を集めた「昭和万葉集」を思い出し図書館から借りてきた


(1)は「昭和万葉集」の意図が書かれているものと想像して
(18)は「高度成長の終焉」とあるので、今の時代と被りそうな気がして
とりあえず2冊を借りた

予想は外れて(1)は「昭和時代の幕開け」とされ、いきなり歌が始まって
想像した「昭和万葉集」の意図などはどこにも書いてなかった
それでも目次を見ると、自分が知りたかったその時代の雰囲気とか
庶民の感情の発露は知ることができるようだ

    

最近は自分が田舎に住んでいるせいもあって、歴史とか政治につながっている感じがしないが
それでも選挙では大きな力を発揮する庶民は、どんな漠然とした感情を持っているのかは気になる

パラパラと拾い読みすると、確かに本家の万葉集よりも今の感覚に近い印象をもつ
怒りも不満も、生活感も、どこか直接的で、、ちょっと余裕がない気がしないでもない
逆に万葉集は、なんとのんびりしたおおらかとも言える歌が多いのか、、と驚く

借りてきたばかりで、まだ大半は読んでいないが
この昭和万葉集で感じられる戦前の雰囲気はどんなものか?
それは今の時代と似通っているのか、、
そうしたものはとても気になる

「昭和万葉集」に掲載されているのは、歌人などが多く
完全に一般庶民ではなさそうだが、それでも政治の部外者が
あの時代どのような気分に支配されていたかはわかる

かなり分厚いが、歌の良し悪しよりも社会の雰囲気を味わうだけだから
拾い読みもできる
図書館の貸出期間はいつもより長くなっているので
気が向いた時にパラパラと読むことにしよう












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ラ・フォル・ジュルネに行く代わりに、あれこれ想像してみた

2023年05月05日 09時56分25秒 | 音楽

今年のGWは再開されたラ・フォル・ジュルネ
ベートーヴェンの記念の年(生誕250年)の2020年はコロナで開催されなかったが
今年は鬱憤を晴らすように「やっぱりベートーヴェン」が企画されている

理由あって見に(聴きに)行けないでいるが、その代わり音楽に関するネタを少し

昔、車での通勤時間にはクラシック音楽のかかるFMを聴いていた
曲の途中から聴き始めることが多かったが、その時の楽しみ方に
曲を知ってる場合には
演奏しているオーケストラはどこの国のオーケストラか?
指揮している人は誰か?
指揮者の年齢は若いか年寄か?

曲を知らない場合には
この曲はどの国の作曲家の作品か?
などを想像して曲が終わった後のアナウンスが楽しみだった

その的中率は不思議なことに、そんなに悪いものではなかった気がする
なんとなく、、という感覚は案外正しかったようだ

4年ほど前、名古屋でウィーンフィルとベルリン・フィルの
聴き比べができる機会があった
プログラムはブルックナーの交響曲8番で大好きな曲だ

料金は決して安いものではなかったが、自分自身に大金を使う言い訳を考えて
この貴重な機会を逃さないようにした
(同居人にはチケット価格は内緒)

指揮者はウィーンフィルがティーレマン、ベルリン・フィルがメータだったが
指揮者の違いよりもオーケストラの音色の違いに注意して聴いた

少し時間が経っているが、この時の記憶は端的に言えば
ウィーンフィルは輝かしい音色(特に頂点となる部分)
ベルリン・フィルの驚異的な合奏能力が記憶に残っている

またウィーンフィルはどこかオーストリアの自然を感じさせる雰囲気があったが
ベルリン・フィルは交響曲という抽象的な音だけの世界の充実ぶりを感じた

どちらかが良いという比較は成り立たず、それぞれの世界があるものだと納得したが
作曲家のブルックナー自身は常にウィーンフィルの音を聴いていたので
彼のイメージはウィーンフィルの表現の方が近かったかもしれない
(ただし、録音されたものはベルリン・フィルの演奏に良いものが多い)

ウィーンフィルの音は独特だ
それはピッチが若干高めに設定されているからとか
ウィンナホルンと言われる古いタイプの楽器を使われているからとか
弦楽器もやはり同じ様にその地のものを使用しているからとか言われている
自分がそれにもう一つ、ノリがいいという印象を持っている
ベルリン・フィルが常に経験できないオペラを、ウィーンフィルのメンバーは
日常的に経験しているのが影響していると思う

オーケストラの音は昔はもっと違いがあったと言われている
だからこそ、途中から聴き始めた音楽でもそれなりに想像することができた
でも最近は個性が無くなってきているらしい

ウィーンフィルは昔、女性の奏者がいなくて男ばかりの集団だった
ピアニストのマルタ・アルゲリッチはウィーンフィルの男ばかりの
メンバー構成に違和感を覚えていたので彼らとの共演は断っていたそうだ

頑固なウィーンフィルも世の流れには逆らえず、次第に女性奏者も入るようになったが
最初の頃は、オーケストラの音色に大きく影響しないハープ奏者だけだったようだ

今はジェンダーフリーと言われる世の中だが、個人的には(叱られそうだが)
オーケストラの音色の部分に影響するところなので
ウィーンフィルは男だけの集団であってほしいとも思う(時と場合に合わせて)

ブルックナーの音楽の感じ方は、男と女では違うと確信している(思い込んでいる)
指揮者の要求するものを受け取る感覚は、当然男と女の違いは出てくると思う
男性原理で進められていく音楽(ブルックナーの音楽はこうしたものと思う)が
一般的なマイルドにされてしまうのは、どこかもったいない気がしてならない

男が感じる世界観の表現
それだけで、それなりの価値があるような気がするが、、それは難しいのだろうか

話は変わるが、昔、こういうオーケストラの演奏があったら良いな!
と考えたことがあった
それはベートーヴェンの英雄を、ベートーヴェンが作曲したときと同じ年齢(33歳)の
指揮者と奏者で演奏したらどうなのだろうというもので
野心と若さのある人間の感じ方は、熟成された人々の感じ方とは違うはずで
きっと勢いのある、はつらつとした印象を与えるものになるのではないか!
と想像したりした

ということで、お気楽な話
連休の中日も大して予定なし
図書館に本でも借りに行くか!

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名古屋グランパス対ヴィッセル神戸戦(久しぶりのサッカー観戦)

2023年05月04日 10時07分46秒 | サッカー

シニア無料招待を利用してGW後半の一日、豊田スタジアムにでかけた

やはり芝生のグランドは良いな!
選手はやりやすそうだし、キーパーはダイビングキャッチしても
擦りむき傷は無さそうだし、観客の目にも良さそうだし、、、
3年ぶりのサッカー観戦でそんなことが浮かんだ

Jリーグが始まった頃は芝生はこんなに良くなかった
雨の瑞穂競技場では水たまりがところどころできて
そのせいで途中でボールが止まったり
PKの蹴ったボールがキーパーの逆を取ったにもかかわらず
水たまりで止まってしまったりして
せっかくの熱戦に水を差されるというのはこういうことか!
と思ったものだった
同様に見る方も大変でかっぱを着ながら見たものだった

それが今では日本のサッカー場の芝生のレベルは
世界でもトップクラスとなっている
昨日のスタジアムからの視界はこんな感じ


席は


シニア無料で両隣りとも埋まっていた
念の為、この席は普段は幾らなんだろう、、
と調べてみると、大人3,400円だった

スタジアム往復の電車賃(名鉄国府駅から豊田)は1,900円で
駐車場代金700円の合計2,600円だから
普通なら6,000円の出費となるところを半額以下で済んでいる

豊田駅からスタジアムまでは1キロちょっとあるが戦いの前の
どこかザワザワした非日常の雰囲気を感じながら歩くのも悪くない

この試合、テレビで見ていたらどんなふうに感じたのかわからないが
(この地方ではこの試合の中継があった)
生で見るのと、きっと違った印象をもったと思われる

試合開始はバタバタする
ゲームが落ち着かない、、という表現がされるが
約10分ころ神戸の大迫がヘッドで得点
上手くいい場所に侵入して決めた、、というより
なんかあっさり決められた感じ

漠然と感じたことは、神戸の方が意図があるプレーが多かったということ
グランパスの攻撃は縦に速いことを目指していても
殆どが相手の網に引っかかって、そこからカウンターになってしまう

また高いボールの勝負は神戸の方が勝っていた
このレベルの戦いでは、さすが前日本代表の大迫はヘッドもポストプレーも
効いている感じで神戸に前を向かせるのに役立っていた

グランパスのパスはサイドには問題はないが
中央からの縦のパス、いわゆる楔のパスとかスルーパスは効果的なものはなかった
パスコースがバレていたり、微妙にパスコースが雑だったりしていた

パスセンスというのは、縦のパスの時に現れる
良い選手のパスは縦のパスがよく通るものだ
(イニエスタは縦のパスがうまい、昨日はサブにも入ったいなかった)
選手の才能を見る時、中央の縦のパスが難なく通る選手はいい選手と見ていいと思う
DFでも縦のパスとか前線へのフィードが正確な選手は
そこからが攻撃の起点となるり護りだけの選手ではない役割だ
(富安も守りだけでなくパスセンスが評価されている)

サイドの選手の才能の見分け方は、クロスを入れる時にボールを
守りの選手にぶつけるか、ぶつけないかで判断できると自分はずっと思っていた
昔のことだが、ストイコビッチが左サイドにいて、中にパスを送るとき、
彼はほとんど守りの選手の身体に当てるパスはなかった
海外の試合を見ていても、優秀選手は守りが中に入れさせないようにしていても
ちゃんと中に入れて決定的なチャンスを生み出している

試合は2点目もなんとなくあっさり神戸が得点し
戦いの糸口が見えないグランパス(なんだか出たとこ勝負に終止しているように思えた)
このまま終わるのか、、と思ったが、
ユンカーがマテウスのシュートをキーパーが弾いたところを詰めて得点し一点差となった

それでも同点になる気配はそんなに濃くはなかった
こういうときの会場というのは応援する熱気が選手を後押しする
時間がどんどん過ぎていき、残り時間が無くなっていくにつれて大声になっていく

ほとんどラストプレーに近い時間
何しろシュートを撃たねばことは始まらない
相手のゴールに攻め入って少し強引でもシュートチャンスをつかむしかない
ペナルティーエリア付近で、ボールが行ったり来たりしていた時
藤井の足元にボールが来た
この時のシーンはまるでスローモーションで見ていたかのように鮮明に覚えている
彼は目の前に来たボールをすぐに蹴らずに、一旦フェイントで相手を交わし
ボールを右に持っていきシュートしネットに突き刺さった
その瞬間の会場の大音声の喜び、熱気は、まさにサッカーを生で見る醍醐味だった

神戸の選手は悔いが残るのはわかる(審判に何やら抗議していた)
センターサークルの試合再開キックオフに神戸の選手が
やけくそに大きく蹴ったところで試合は終了
グランパスは負け試合を拾ったという感じ

それにしてもナマでの記憶というのは不思議なもので
最後の藤井の相手を交わしてのシュートというのは
その瞬間だけ時間が止まったような、まるでスローモーションのように見えたし
今でも思い出すことができる

家でこのシーンを動画で確認したが、記憶の中のシーンのほうがずっとリアリティがある
こうしたことがあるから、生観戦はやめられない、、という人が生まれるのだろう

GW後半の一日
ちょいと疲れたが、良い日だった





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R.ソシエダ、R.マドリーに勝利!久保が得点!

2023年05月03日 09時07分15秒 | サッカー

今日はシニア無料のトヨタスタジアムでのグランパス対ヴィッセル神戸戦
その前に朝の5時から久保の所属しているレアル・ソシエダとレアル・マドリー
の試合をDAZNでちょいと覗いた

現在4位のレアル・ソシエダは来季のチャンピオンズリーグの圏内で
残り数試合は負けられない試合が続く
今朝は強敵のマドリーで、前回の対戦は確か引き分けだった
今度はホームの戦いだが、負けなければ上出来くらいの感じで見ていた

前回はよく負けなかった!と思えるほどレアル・マドリーの攻撃はすごかった
その記憶があるので、今回も引き分けでも仕方ないくらいと思っていたら
後半開始すぐに久保がおいしいゴールをあげた

ソシエダのFWのセルロットがマドリーのDFにプレッシャーをかけると
たまらずキーパーにパスをしたのだが、そのパスが少し乱れて
そこを狙っていた久保が抜け目なくシュート
これは難しいシュートではなく、ごっつあんゴールに近い

久保はこれで今季8得点
前の試合は技ありゴールだったが、その前のゴールはセンタリングを
流し込むだけの比較的簡単なシュートだった
得点を重ねるのは難しいシュートを決めるのも必要だが
簡単なシュートを決めることも大事だ
つまりは、シュートを決める場所にいること
それがこの上なく大事だと思う

簡単なシュートを決める位置にいること
それがもっとできるようになれば得点はもっと増えるだろう

レアル・マドリーの選手の並びを見てると、ベンゼマ、ヴィニシウス、モドリッチがいない
そのためか攻撃の迫力が前回と比べて今ひとつない
確かにひとりひとりの技術は高く、ほとんどミスをしない感じで
相手を押し込むところまではできているが、そこから先は得点を感じさせる雰囲気はない
それを思うと、サッカーにおける点取り屋というのは極めて特殊な能力だと実感する
(一番の特殊能力を感じたのはドイツのゲルト・ミュラーだった)

各国のリーグ戦も終盤で、選手の疲労や怪我、イエローカードの累積でベストメンバーが
組めないことが多い
今日のマドリーもその影響だったのだろうか
久保も最近、スタメンを外れていたこともあったが、それは疲労とか
次に控えた大事な試合のため温存していたと思われた

この試合は2−0でソシエダの勝利
まずは大事な勝ち点3をゲットした
だがこの先、首位のバルセロナ(前回は0−1で負け)
3位のアトレティコ・マドリーとの試合が控えている
この日の勝利でチームの雰囲気も随分上がったものと思われる

スペインリーグは結局のところ毎年、バルセロナ、レアル・マドリー、
アトレティコ・マドリーの3チームが上位を占めて、あとは多少の入れ替わりが
あるだけのようだ(ドイツも同じような傾向か)
だが、このリーグの試合を見ていると一人ひとりが本当にうまいのに驚く
時にはバルサのパスゲームを実践していると思えば
セリエA並のフィジカルコンタクトの多い厳しい戦いも見られる
(日本人がスペインリーグで活躍できないのはそのせいだと思われる)

日本のテレビは相変わらず野球偏重の傾向が見られるが
今季のサッカーは、久保も三苫も堂安も古橋も盛田も各リーグで
目をみはる活躍をしているので、もう少し取り上げてほしいものだ

ところで今日のグランパス対ヴィッセル神戸の試合
勝ち負け関係なくイニエスタが出てくれたらなあ、、と思う
出ない時のことも考えて、試合前の練習風景を
しっかり見ておくべきかもしれない






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誕生日祝いの声をかけてくれたのは小学生

2023年05月02日 08時57分59秒 | 子どもたちのこと

連休(GW)の合間、小学生は登校日だ
可愛そうな彼らを庭から見送り、家に入ろうとすると
隣の家の方が
「昨日、〇〇さん(自分のこと)の誕生日だった?」
と話しかけてきた

なんで、知ってるのだろう?
不思議に思いながら答えると
「昨日の午後ね、小学生の子が〇〇さんの家に向かって
  おじさん、誕生日おめでとう!と言ってたから、そうかなと思って!
 それ、知らなかった?」

残念ながら、自分は全く知らなかった
きっと車があったから家にいると思ったのだろう
その話を聞いた時から心が一気に軽くなる気がした

確かに昨日は誕生日の話をしながら校門まで歩いた
でも自分のことではなく、いつも寡黙な女の子に
少しでも話しができるように誕生日を聞いたのだった
マイペースな忘れ物の多い僕くんは
「おれは12月〇〇日」と口をはさむ
男の子でもこのくらいの年齢は割合おしゃべりだ

「おじさん、何歳?」
校門の近くになって、時々繰り返される質問が出た
「何歳かな、当ててみて」
「〇〇歳」
いつも驚くのは、子どもは年齢という概念をちゃんと理解していないということで
時に「20歳?」とか「100歳」とかとんでもない数字を口にする

「実は今日(昨日のこと)は僕の誕生日なんだ」
自分の誕生日について口にしたのはこのくらいだけだった

でも、それが彼らの記憶に残っていたとは、、
そして家に向かって「おじさん、誕生日おめでとう」と言ってくるとは

日々の楽しいことというのは、こういうことだな!
とつくづく感じる
いつか忘れ去られるような些細な感情の動き
それらの積み重ねが幸福な時間だと思う

この話を聞けた今日は、きっと良い日だ!



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母に感謝する日(母の日ではなくても)

2023年05月01日 09時55分45秒 | 徒然なるままに

年に一度やってくる特別な5月1日
少し前からこの日はお祝いの言葉を言われる日ではなくて
母に感謝する日だと思うようになっている

同じ誕生日の人に北杜夫がいるが、だから彼のファンなっている訳ではない
自費出版だった「幽霊」の静かな幻想的な美しい文章は嫉妬を覚えるほどで
大人の童話の三部作「さびしい王様」「さびしい姫君」「さびしい乞食」は好きだった
大作の「楡家の人びと」とか「輝ける碧き空の下で」では
雄大な叙事詩的な時の流れを味わうことができ、
お気楽などくとるマンボウシリーズも大概のものは読んだ

残念だったのは「幽霊」「木霊」と続いた物語は
ワーグナーの「ニーベルングの指環」のように4部作になる
とされていたと記憶しているが、それが叶わなかったことだ

もう一つ残念なのは、図書館とか書店でも北杜夫のコーナーが
見つからなかったり小さくなっていることで
時の流れというものの、どこか自分の存在自体も相対的に軽く
なっているような気さえする

5月1日に関係する人には「新世界」の作曲家ドヴォルザークがいる
彼の命日がこの日で、そのことだけは強く印象に残って覚えている

それにしても、新たな歳を迎えても、こんなものか!
という感覚は少し情けない
還暦も過ぎて、もう少しでもう一周りするというのに
精神的には少しも成長していないように思えてしまう

相変わらず小心だったり、急に自信家になってみたり
しょうもない小市民と思ったり、みんなが知らないだけで
実は重要な人間だと思い込もうとしたり、、、
つまりは、昔からと少しも違いがない

一方で、明らかに低下しているのは目だ
小さな字は読めないし、夜は文字がかすんでくる
記憶力も情けないほどになっている

だが、これらは仕方ない
それが年齢を重ねるということだ
でも、願わくばボケませんように!


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