北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

京都京福電鉄 地域の重要な交通手段であり不可欠な観光路線

2009-02-05 18:37:04 | コラム

◆嵐電特集

 本日は、京福電鉄、嵐山に乗り入れるということで嵐電として親しまれてるレトロな電車の収蔵してる写真を掲載してみる。

Img_6053  京福電鉄は、京都市内の観光地嵐山と阪急電鉄京都本線と連絡する四条大宮、そして北野天満宮や竜安寺、等持院や仁和寺といった京都有数の観光地を結び北野白梅町に向かう路線から成り、地下鉄東西線とも連絡している。運行本数が比較的多く、運賃も全線200円均一と判りやすいため利用者は多い。

Img_6062  京福電鉄は、路面電車としての区間も一部残っており、これは西院までのわずかな区間ではあるが、自動車の車道に軌道線を敷設し、運行している。日本に路面電車が誕生した最初の街が、ここ京都、つまり路面電車発祥の地という位置づけにあることを考えると、京福電鉄が発祥の地という面目を守っているようにも思える次第。

Img_5229  もともと京都市の路面電車は1895年に京都電気鉄道が伏見線の七条駅と下油掛駅との間を路面電車として開業したのを皮切りに、1957年には京都神戸間にあたる76.8kmの営業距離を有し、車両351両を誇っていたとのことであるが、1978年に全線が廃止されており、その後、京福電鉄が唯一の路面電車となった次第。

Img_5201  京福電鉄は運行されている路線が恵まれていたことと、また、自動車との並行区間が少なかったことから、今日に至る。何よりも運行本数が多いのと、市バスなどバス路線と比べて鉄道ならではの定時運行が利点としてあり、移動時間が読みやすいことから市内から嵐山までの移動には重宝されている。

Img_5237  非常に便利な京福電鉄ではるが、もう少し路線が長ければ、と思ったりもするしだい。そもそも、市電との競合を極力避けるという目的で路線が敷かれている背景もあるので、京福から市電に乗り換えれば便利な立地、というところから市電が撤退し、既に三十年以上という状況であるのが実情。

Img_6040  聞くところでは、市電の路線の多くの部分を地下鉄線で代替するという壮大な構想があったようだが、何分、ここは古都京都、地下鉄線を建設すればするほど遺跡や史跡が出てくるため、そのまま学術調査が終わるまで工事は中断、そのコストも負担しなくてはならないので建設は思うように行かず、路線は観光名所よりも山間部に北上していった次第。

Img_6056  市電に代わって公共交通の主役に乗り出しているのは市バスであるが、市バスは交通渋滞に巻き込まれやすく、加えて所要時間や乗り換えの利便性も悪いのは偽らざる実情。京福電鉄、あとは叡山電鉄もそうなのだが、移動に関する所要時間が読みやすいこの種の電車網は、もう少し広がらないのか、とこれは年始にも掲載したのだけれども思った次第。

Img_6069  例えば、北野白梅町から西大路通り、北大路通り沿いに地下鉄烏丸線の北大路駅まで延伸して、北大路バスターミナルの地下に乗り入れて地下鉄と連絡、そして北大路駅からもう少し延伸して、出町柳駅の叡山電鉄線と京阪電鉄線まで連絡できるようになれば利便性はもっと高まるのだろうなあ、と考える次第。

Img_6314  夜暗い時間帯に駅に到着する電車。駅があるというだけで、その地域は違ってくる。バス停と比べれば鉄道線は、地域へのポテンシャルが大きく、その分防犯効果もあるわけで、加えて軌道線は一般車両が乗り入れできないため、緊急時には緊急車両用通路として確保できる利点もあるはず、と考えたりもするしだい。

Img_6330  例えば、京阪の中之島線が新設されるまで、大阪の中之島は鉄道線が無かったわけだけれども、これは市電が昔、京阪や阪急が路線を建設していた祭に運行されており、競合を避けるという目的があり、特に京阪も淀屋橋延長か中之島延長かを検討した際に、中之島への乗り入れを断念したという背景がある。

Img_6321  しかしながら、市電が廃止されてのち代替手段が建設されず、中之島から鉄道線が消えた。京阪中之島線の建設でようやく中之島に鉄道が戻ってきた次第。大阪市の中之島の事例を考えると、京都市も市電廃止後の京都市内の鉄道輸送に関して、もう少し京都市は考えてもいいのではないかな、と思う次第。

HARUNA

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コメント (4)
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