IKEDA HIROYAのとりあえずブログ

日々の食事や美術展巡り、スポーツ観戦記などもつれづれなるままに書いています。

2020.01.13 MieMu『1960年代の熱気を未来につなぐ』 

2020年01月13日 19時13分59秒 | イベント・アートなど



超・久しぶりにMieMu(三重県総合博物館)に行ってきました。
企画展『1960年代の熱気を未来につなぐ』を観るために。
高度経済成長期の時代を振り返る企画展で、
当時の生活文化をモノを通して回顧したり、
鈴鹿サーキットの建築や近鉄名古屋線の線路拡幅工事を紹介しています。











まずは入り口を入ってすぐの「スバル 450」(左)と「スバル 360 カスタム」。
「てんとうむし」の愛称の懐かしいクルマですが、
色々なバージョンがあるのに気づかされました。

現代の軽自動車の外装だけ復刻したら結構人気出るのでは?







「ダイハツ ミゼット」(右)と「東洋工業 マツダ K360」。
子供の頃にたまに見た記憶が。





鈴鹿サーキットのコース案の変遷。
こんなにコース案の変遷があったのかとビックリ。
それにしても、最初の2案はかなりの難コース(笑)。





近鉄名古屋線の軌線拡幅工事(1959年)の紹介。
本来、近鉄設立50周年事業として1960年に行われるはずでしたが、
伊勢湾台風で線路が大規模に損害を受けたことを機に、
前倒しで工事を行なったとのこと。











拡幅工事の記録ビデオが上映されていました(約40分)。
建築や鉄道の専門用語がたくさん出てきて一部 理解できない部分もありました。
伊勢湾台風直後の状況も(ワタシには初めて)動画で見ることができました。
昨年は北陸新幹線の基地が台風で水没するというニュースがありましたが、
60年前には三重県でも同じようなことが起こっていたのだなぁ、と。

伊勢湾台風による被災の修繕工事は別として、
拡幅工事の本工事自体はわずか10日程度で行なったとのこと。
当時のことなので、もちろんほとんど人力だったのがスゴイ。

なお、この記録ビデオで当時の伊勢中川駅の役割がよくわかりました。
当時の近鉄大阪線はレール幅が広く、名古屋線は狭かったため、
直通運転ができず、電車を乗り換える切り替えポイントになるのが伊勢中川駅だったとのこと。
今でもその名残がありますね。





拡幅工事に併せて(拡幅工事前に)導入された初代ビスタカー(10000系)。
ワタシはこの車両を見た記憶がアリマセン。





修学旅行などの貸切専用の「あおぞら号」。
ワタシも乗車したことがあります。
今の車両は白地に水色になっているようですが。





変わって、当時の生活を顧みるコーナー。「家電が普及する前のくらし」。
ワタシが子供の頃、ウチにも親戚の家にも火鉢がありました。
部屋の中は寒く、手先だけ温めることができました。




「家電が普及した後のくらし」。
家電の導入をメインにディスプレイされていますが、
石油ストーブが冬にはありがたかったです。
もちろん電気コタツは大活躍でしたが。





ウチにはなかったと思いますが、親戚の家にもあった竃(かまど)。
薪をくべて煮炊きしていました。ガスコンロの導入でなくなりました。





学校関係では「収納付き児童机」。
ワタシが通っていた小学校は当時3棟あって、
一番古い校舎にはこの机がありました。
卒業するまでには無くなっていましたが。





「ガリ版刷り」の道具。
主に先生が使っていて、児童が使うことはあんまりなかったと思います。
でも、鉄筆を使った記憶もありますね。





「折り畳み木琴」。ワタシも(みんなも)使っていました。







別エリアでは「東京2020オリンピック 聖火リレー開催」。
今年のオリンピックで走る人の紹介や、
1960年の聖火リレーで着用したウェアやトーチ、シューズの展示など。



こんな感じで、昔を懐かしむことができる展示でした。

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