物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

旧友からのメール

2013-11-05 11:31:14 | 日記・エッセイ・コラム

「ドイツ語圏と文化」を昨日発行した。

今日来てメールを見たら、昔知り合ってその後あまり会ったことのない旧友からメールが入っていた。

彼は物理研究者であるが、どうもソリトンの理論について東ベルリンで講演をしたらしい。まだドイツが再統一されていない時代のことらしく、西ベルリンから地下鉄で東ベルリンに入って講演をしたと伝えてくれた。

そしてそのときの講演の謝金でマイセンの磁器を買ったという。多分彼の家の貴重な宝となっているだろう。その後でロマンティック街道を旅行したらしい。

そのころはまだロマンティック街道はまだ有名にはなっていなかったという。


Transformative power of classical music

2013-11-05 10:48:28 | 音楽

昨夜のNHKの教育テレビのTEDのテーマが表題であった。ボストンフィルハモニーの指揮者Zarpan(?)さんの講演である。

指揮者は自分でわずかの音も出すわけではないが、演奏者の可能性を信じてその眼の輝きをさせるような指揮をすることがその役目だという。

ショパンの前奏曲preludeを例に自分でピアノでその曲を弾いて、この曲がどのようにできているかを彼は説明した。クラシック音楽は全人口の3%くらいの方々の熱心な支持を得ている。それを4%にすれば大成功ととらえる音楽家が多いが、そうではなくてすべての人々に理解をしてもらえ、かつ喝采を受けることが可能だとZarpanはいう。

表題のTransformative power of classical musicは、クラシック音楽がすべての人々に訴え、受け入られる力を基本的にはもっているという論にウソはないだろうが、それに加えてこのZarpanさんの情熱が人々に伝わらないはずがない、と感じた次第であった。

伊藤穣一さんのまとめ「情報の伝達も大切だが、情熱の伝達の方がより大切なのではないか」という所見は本当にそうだと思わされた。


楽天日本シリーズ優勝

2013-11-04 14:41:55 | スポーツ

昨晩、日本シリーズの最終戦があって、私の予想に反して楽天が勝って優勝した。まずはおめでとうと言いたい。アンチ巨人の私にはうれしいことであった。

今日、新聞をみたら、嶋捕手の感想とその写真が載っていた。これは昨夜遅くに第4戦の楽天の勝利が決まったのだから、前もって書かれていた予定原稿だろうと思う。

そういうことを思ったのは中学生のころに聞いたことがある、旺文社の英語講座で講師のJ. B. ハリスさんが新聞社の記者時代の経験としてアメリカの大統領選挙のときにどちらの候補が当選してもいいようにそれぞれの候補の当選のための予定原稿を書いておくのだと言われていたのを思いだしたからだ。

中学校時代といえば、昭和30年よりも前のことだから、西暦で言うと1955年よりも以前となる。ということは約60年も前のことになる。

この講座の放送は午前5時ころからあったので、眠い目をこすって起きて、聞いた覚えがある。もっともそのために中学校では授業中に居眠りがでてしまった。

J. B. ハリスさんはお母さんが日本人であったためか、戦争中は日本兵として徴兵されて軍務にもついたとか、その後新聞の記事で知った。平井とかいう名前であった(注)。

このハリスさんの講義で覚えていることはほとんどないのだが、一つだけMotelという車で行って泊まれるホテルがアメリカでできているという話が興味深かった。もう一つ覚えている語はphotogenicで「写真写りがいい」という意味であった。

いまでこそモーテルというのは日本語にもあるが、その当時はまだモーテルという語はなかった。motelはモテルと短く発音するが、日本語のモーテルと長く延ばして発音する。

そういえば、このごろaubergeというフランス語が日本語でも入っているが、これもオーベルジュとオーと長くなるが、オベルジュと日本語のようにオーと長くなることはないと思う。

私の理解ではaubergeは旅籠とか旅館といった語感ではないかと思うので、日本語でしゃれた言葉だとするのにはちょっと違和感がある。

(注) googleで検索したら、J. B. ハリス(1916-2004)さんの日本名は平柳秀夫だった。日本国籍をもっていたらしい。これは英国人だった、お父さんが早世したためにお母さんの国籍だった日本国籍を選んだためという。

このgoogleでは「百万人の英語」(文化放送)は1958-1992年となっているが、1958年は私が大学に入学した年なので、私はこの「百万人の英語」は聞いていない。その前身の放送であったと思う。

このごろはなんでも検索をすれば、情報を得ることができるので便利である。


有用な積分公式

2013-11-02 14:22:21 | 数学

Feynman and Hibbsの「量子力学と経路積分」(McGraw-Hill)の書の巻末に「有用な定積分公式」というのが11個載っている。

そのうちの5つは自分で証明したか、いくつかの書を参照して証明ができた。ところがあと5つ証明がわからないのが残っていた。

昨日、そのうちの一つを見たら、積分結果がガンマ関数で与えられていたので、証明できるのではないかと考えたら、わりとすぐに証明できた。これは単に食わず嫌いでその証明を考える気がなかったということがわかった。

あと証明がわからないのが、4個残っているのだが、そのうちの2つをまず考えてみることにした。この2つは積分結果が簡単な式で与えられているからである。もっともまだいまその証明ができている段階ではないが、ひとまず証明の仕方の方針を立てた。

その方針で証明ができるかどうかは実際に証明にまったく取りかかっていないので、わからないが、以前には証明の方針も立てられなかった。

こういう定積分公式はどなたかよくできる人に証明法を聞くのが早くていいのだが、やはり自分で証明をしてみたい。


zuとinの使い分け

2013-11-02 13:51:28 | 外国語

ドイツ語の先日のクラスでつぎのようなテープの独白があった。

Ich brauche richtige Unterhaltung, ich muss Leute sehen. Deshalb gehe ich oft in meine Stammkneipe. (私はちゃんとした話がしたい、親しい人に会いたい。だからしばしば行きつけの居酒屋へ行く)

この箇所をクラスのメンバーで聞き取って再現をしようとしていたのだが、最後のところを勝手にzu meiner Stammkneipeと前置詞zuが使われていると勝手に思い込んでいた。それでR氏にzuではないと何回も言われてようやくin meine Stammkneipeだと聞き取ることができた。

後で、R氏から日本人の多くの誤解だろうが、どこかに行くというときにzuを使う傾向があるという指摘とそれは慣用表現にはあるが、一般に建物の中に入るときにはinが使われるということを知った(注)。

だが、どうもzur Post gehenだとかzur Bank gehenだとかを知っている私たちとしてはzuを使うような気がするというクラスメンバーの意見がでた。その他にはzum Bahnhof gehenだとかいうような表現があると思う。

一方でins Restaurant gehen, ins Kino gehen, ins Theater gehenのようにinを使う場合も慣用表現にある。in die Schule gehenとか、in die Bibliothek gehenとかいう表現もある。

R氏はひょっとしたら、昔の日本人のドイツ語の先生方が書いたドイツ語の入門書にzuを使う表現が間違って多いのではないかとまで言われたが、その辺の彼の議論まで私は信用しているわけではない。

それはともかく、zuを使うときはその近くとかそこまでは確かに行くのだが、その中には立ら入らないというニュ―アンスだと聞いた。

もちろん上に挙げたようにzuを使ういくつかの慣用表現がある。

ちなみにトイレに行くはauf die Toilette gehenであり、私などはしばしばin die Toilette gehenというが、これは間違いである。

また、辞書には銀行に行くもzur Bank gehenではなく、auf die Bank gehenとなっているので、私の覚えていたzur Bank gehenは間違っているのかなとも思うが、確かではない。

(注) 

R氏の言うところではドイツ人にはなんでもnachを使う人もいるという。nach Bahnhofだとかnach Schuleだとかなんでもどこそこへ行くというときに全部nachを使う人がままあるのだという。これはもちろん教養のある人ではないだろうが、そういう話を聞いて言葉というものはいまさらながら難しいものだと思う。

nach Deutschlandとかnach Japanだとか国名の前にnachをつけることが多い。でもin die USAとかin die Schweizとかin die T"urkeiとかはnachを国名の前には使わない。

nach M"unchenだとかnach Berlinとか都市の前も普通はnachである。


メニエル氏症候群

2013-11-01 12:46:27 | 健康・病気

メニエル氏症候群とはどんな病気なのか。

これは大学に勤めていたころ同僚の一人がこのメニエル氏症候群にかかったという話を聞いたことがあった。

実は私もメニエル氏症候群に近い病気にかかったことがある。毎日パソコンで数値計算ではなく数式の計算をしていたのだが、このディスプレイの上に数式がずらずらっと何ページも何ページも現れる。

それを見ているうちにその画面をちらっと見るだけでむかむかっと気分が悪くなるのである。仕方がないから行きつけの医者に行ったら、どうも目から来ている肩こりだろうという。

薬をもらってパソコンを10日ほどスイッチを入れないことにした。だって、チラッと画面を見ただけで気分が悪くなるからである。

その後に自分の経験をある方に話したら、その方はもっとひどくて部屋がグルグルと回転するのが夜に寝ていても感じるくらいだったという。

その人も原因はパソコンによる仕事から来ていたらしい。来る日も来る日もパソコンの画面から数式を入力していたらしい。

そしたら、帰宅して夜寝ていても部屋がグルグル回転するような経験をしたのだという。医者にかかったら、メニエル氏症候群という診断だったらしい。もちろん仕事は中断せざるをえなかったと聞いた。

世の中にはいろいろ変わった病気があるものである。


Kater

2013-11-01 12:02:28 | 日記・エッセイ・コラム

der Katerといえば、ドイツ語で雄猫のことである。

もっとも私が雄猫をかっていることはないので、Ich habe einen Katerといえば、もちろん二日酔いだということである。ドイツ人はみんながたくさん雄猫を飼っているのではなく、二日酔いをするのである。

そういえば、約40年ほど前にミュンヘンのホーフブロイハウスで2杯か3杯のビールを飲んでつぎの日に二日酔いになったことがある。

ミュンヘンでは1杯が1リットルのビールである。ドイツの他のところでは1杯は500mlだと思うので、ミュンヘンではそのサイズが2倍と大きい。

次の日はドイツ博物館の見学だったのだが、ドイツ博物館を途中で抜け出してイーザル河にかかった橋の上でその二日酔いをさました覚えがある。

そういえば、ドイツではビールは水(Wasser)、麦芽(Malz)、ホップ(Hopfen)、酵母(Hefe)以外のものを入れてはいけないという規則があって、それもその規則が約500年も守られている。das Reinheitsgebotビール純粋令である。

この規則は1516年からというからもう本当に500年に近々なるわけである。

9月の終わりの週から10月にかけてミュンヘンではオクトバーフェストが行われる。これは700万人の観光客が訪れるというから世界最大のビール祭りであろう。

残念ながら、この有名なオクトバーフェストを訪れたことがない。生きているうちに訪れることができるかどうかもわからない。一度は行ってみたいが、多分、行くことはできないであろう。