物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

旧聞に属するかもしれないが

2018-04-05 11:20:12 | 日記

もう数年前のことだが、姪が結婚したときに、お祝いの言葉をドイツ語で書いた。ところがそれが間違っていた。

それで、彼女の父親の義弟に間違っていた旨を伝えたら、長女に伝えておきますとメールをもらった。それはどういうものであったか。

ご結婚おめでとうございます  Herzlichen Gl"uckw"unsch zur Hochzeit !

である。文字通りに直訳すると「結婚式おめでとう」となる、私は結婚式ももちろんおめでたいが、それだけではなく結婚生活全体がおめでとうという気持ちで Herzlichen Gl"uckw"unsch zur Heirat !と書いたのだが、やはりちょっと日本人が考えておかしくてもここは決まり文句の

  Herzlichen Gl"uckw"unsch zur Hochzeit !

と書かなければならないのだろう。同じようなことで誕生日おめでとうならば、

  Herzlichen Gl"uckw"unsch zum Geburtstag !

と言わなければならない。

  大学でもつい先ごろ卒業式があったが、

 Herzlichen Gl"uckw"unsch zum Abschulss !

というそうだ。zumとかzurとかはzu demとかzu derの縮約形である。


錦州日記

2018-04-04 14:45:47 | 日記

という旧満州からの引揚者の書いた日記を妻がパソコンに入力している。その編集作業ということで先日40%くらいを読んだ。読んだだけではなくて、旧式の漢字で入力されたところを平カナに変えることを頼まれているのだ。

ソ連の軍隊が進行してきたり、八路軍がくるとかいう話がでてくる。また満人が日本人の住んでいた住宅を襲って来て根こそぎ略奪していく様子だとかが書かれている。

我が家でもこういう危機緊急のときがあったのを妻など思い出して、あの時に日記をつけていたらなどと嘆いている。そういう自分にとって緊急のときに日記などつけられるものではない。だからその後悔も込めてこの日記の入力を引き受けたといっている。

手書で100頁そこそこだが、これをパソコンに入力するとそれでも50頁は越すであろう。その注文を出した人は母方の祖父の日記であるが、いままでどうしようかとも考えたことがなかったらしい。お母さんから何度かそのことをなんとか催促されたらしいが、そのままとなっていたらしい。

私も一晩だが読んで、ほぼ40%くらいを読んだ。妻が泣けて泣けてというほどではなかったが、やはり緊迫感は伝わってくる。満人が日本の住宅を襲って根こそぎ資産を奪っていくと言っても彼らは老人には危害を加えないというから感心である。さすが儒教の国だという感を深くする。

(2018.4.5付記) 上の文で満人という語を使った。ここでは私は軽蔑的な意味をまったく込めていないことに注意しておく。もし書き変える必要があるなら、いまなら中国人と書くべきであったろうか。その辺のニューアンスが私にはわからない。満人を単にその当時現在の中国東北部に住んでいた人というぐらいの気持ちである。もし軽蔑的に響くとしたら、ここで特記してお詫びしておくしかない。

 


昨日予告したように

2018-04-04 14:09:54 | 日記

お昼過ぎまで、近所の運動公園の中で30人ほどの人と花見を楽しんできた。会費300円だが、お弁当は500円だそうで200円はどこかから補助金が出ている。

サクラは運動公園のそばの道端にある、数十本のサクラの何本かがまだ散り切ってはなかった。葉桜になりつつのサクラの木もあったが、それでも一番早くから咲いたサクラの木がどうしたものか最後まで残って花を散らしていた。

もちろんアルコールが出るわけではないので、お昼過ぎにお開きになったあとに仕事場にやってきた。だから飲酒運転ではない。

ラジオのフランス語講座とか、ドイツ語の講座を午前と午後に聞いているのが日課である。もちろんできればブログも書く。それといくつかの数学エッセイのタネとなる文章の入力もしたりしている。その後に自分の勉強のために本を読んだり、サイトのpdf文書のコピーを読んだりもする。

今年は3月の「数学・物理通信」がちょっと難産だったが、札幌のSさんがいつもの投稿の上に、さらにもう1編の論文を投稿して下さったので、助かった。

数日前から、以前に書いたあるエッセイをlatexで入力しはじめた。10年以上の以前にはlatexを使えなかったのだが、もうlatexを使えるようになってからでも10年以上経っている。やはりwordの数式よりもきれいに見えるから、latex以前の数学エッセイもlatexに書き変える必要があるだろう。


新学期

2018-04-03 15:34:10 | 日記

だが、私にはもうその新学期という感覚がなくなっている。というのも退職してから13年目だからしかたがない。

もっとも桜が咲く季節が日本では新学期だから、桜と新学期は切っても切れない。まだ大学の入学式も松山では行われていないようだが、大学もそろそろ入学式があるころである。

四元数について本にまとめたのももう4年も前のことになってしまった。すこし四元数のことで書きの残したことがないかと昔読んだか参考にしようとした資料のコピーをとり出してきた。

四元数のことだけではないが、私には数学はわからないことばかりであった。それで四苦八苦して四元数のエッセイを書いたのだが、わかったことをわかったことして書く人が多いが、その発見のプロセスに迫る気概のある人は少ない。一般に日本人は頭のいい人たちであるので、物わかりの悪い私のような者はあまりいない。

それでも、いつだったかこのブログで書いた、山本直樹さんの複素解析のテクストとか新しい書き方の本が出るようになってきている。ということで、日本の大学の教育も徐々にではあるが、変わってくるのであろう。

もっとも別の複素解析の本を読んで見ると、山本さんの複素解析の先駆けとなるようなテクストを書いていると思われる方もいたりして、変化は一挙にではなく徐々に用意されていたらしいこともわかってきた。だからといって、最近の山本さんの複素解析のテクストが陳腐だとか言うつもりはない。十分なインパクトを与えたと思う。

新学期の期待感を書こうと思ったのだが、いつものごとく大きく話がはずれてしまった。

 


明日また花見

2018-04-03 10:51:02 | 日記

に行く。これは近所の公園での花見が生協病院の班活動の一環として行われるのである。普通はこの活動には参加していないのだが、私の知人がこの花見に来るので、この人の話し相手ということで妻が来なさいという。

それで今年は3回目の花見となる。もう花はs散り始めて入るが、なんとか完全に散ってはしまわなさそうである。予定では34人の参加が予定されているという。会費が300円で、きちんとした500円くらいの弁当が出るらしい。

これは班活動に生協病院から出ている少額の補助が弁当の補助に使われるから、こんな少額での花見ができるらしい。一方では年金者組合の方も花見をするらしいが参加費が1000円であるので、私の知人はそちらにも所属をしているらしいが、こちらには参加しないらしい。経済問題が優先される。

今年は明日で3回目の花見であるので、ブログはお休みするかもしれない。


複素解析

2018-04-02 11:27:03 | 数学

に関心をもったことがなかったが、最近では複素解析がかっている。

とはいってもできるだけやさしい複素解析の本を読むとか、どこかのサイトの記事をプリントして読むとかである。はじめは二つほどサイトの記事を読んだ。

Cauchy の定理の証明がとても簡単に書かれていることをこれらのサイトの記事で知った。Cauchy の定理の証明がいろいろあるらしいということがわかった。関数論の講義で聞いたことがあるのはなかなか面倒な証明であった。これも先々月の「数学教室」の記事で示されてあったのは「Cauchy の定理」の Goursat による証明とかであった。

しかし、これを見ても私が聞いた関数論の講義での証明よりは易しい感じがした。感じがしたとしか言えないのはもともとの50年ほど前に聞いた講義の証明のしかたなどまったく覚えていないからである。

この講義をされた及川先生はそれ以前は東工大の助手だった方だが、私の学んだ大学の助教授を勤められた後は、母校の東京大学に転勤になった。その後、リーマン面についての専門書を著されたのを知っているが、定年後だったかにわりと早く亡くなれた。

この先生は自分の講義に出て来なくても試験に通れば、それでもいいですよと常々言われていた。それで Cauchy の定理の証明を聞いた後に、すぐに講義に私は出席しなくなった。

試験のときに私は可の評価で単位をもらった。これは数学教室の掲示板での通知で知った。それでも単位の認定がなぜだか、なかなか学務係にでなかったのでたまたま理学部内で出会った先生に直に申し出たら、「お情けの可だったかね」と言われたが、すぐに調べて「堂々たる可だったね」と前言を修正された。

もっとも評価が可であることには「お情けの可」も「堂々たる可」もあったものではない。可は可である。あまり褒められたものでないことにはなんら変わりはない。

一般に言われていることかもしれないが、理学部での数学科生が対象の微分積分学では集合論の基礎の話が講義の大部分で私たちの物理学科の学生からはとても評判が悪かった。物理学科の学生の方が数学科の学生よりも数式の計算は達者であったと思う。

それで計算達者な多くの連中が理学部の微分積分の単位を落としてしまった。私は前期の微積分の単位はどうしたことか最低線で単位をもらっていた。しかし、これと同時にあった解析幾何の単位がこれまた最低線であったので、こちらの方に危機感を感じていて、後期には解析幾何の方に力を入れたら、こちらは単位をもらったが、その影響もあってか後期の微積分の単位を落としてしまった。

この話には後日談があって、同級生だが、一年私が遅れてしまって一年上の学年となっていた、G 君がこの後期の試験の後にやって来て、Y というローマ字ではじまる学生が比較的解析幾何の成績がいいから、そのノートを借りて勉強しなさいと先生から言われたからノートを貸してくれといったので貸したら、そのノートは2度と私のところへは帰って来なかった。

山県とか、山川とか私だとか Y で始まる学生が少なくとも解析幾何の成績が良かったのは確かであろう。もっとも成績が比較的よかったと聞いていたので、優の評価をもらったのかと思っていたが、留学をするときに資料として必要になって、大学時代の学部の成績を取り寄せたら、なんのことはないただの良であった。

2年生の後期の微分積分の単位を落としたので、3年生の後期はこの微分積分学の単位をとることがかなり多くの私たちの重要な問題となった。I という同級生などはこれだけやっても微分積分の単位がとれなかったら、4年のときには点字をならってカンニングをするしかないとまで冗談まじり、半ば本気で言っていた。もっとも後期の試験の後にはそのことを2度と口にはしていなかったから、結局首尾よく単位をとったのであろう。

もっとも3年のときにも微積分の後期の単位を落とし、4年ときにも試験に失敗して単位を落とした同級生もいたが、指導教官が数学の先生にかけあってくれたのか、この Y 君も卒業式には出て来ていて、無事に卒業したから、最終的には数学の先生も無情ではなかったのかもしれない。

もっとも、こういう数学の先生にかけあってくれる指導教官をもたなかった、一年下の W 君は微積分の単位がとれなかったために卒業が一年遅れてしまった。そのためということもあったのであろうか。この W 君は発奮してつぎの年には京都大学の宇宙物理学科の大学院に入学した。

ながらく、この W 君は N 大学の研究施設に勤めていたが、I 大学の教授となり、もう定年となっている。まだ健在だとは思うが、その消息を知らない。この I 大学の教授のある方からも現在どこにおられるかわからないとしか聞いていない。