【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

まさに二大政党デモクラシーが幕開け 鳩山総理、「古い体質から飛び出す覚悟でがんばってほしい」 

2009年10月28日 21時08分42秒 | 第173臨時会(2009年10~12月)政治主導

[画像]答弁する前原国交相

【2009-10-28 衆院本会議 総理所信表明に対する各党代表質問】

 まさに二大政党デモクラシーの幕開けを感じさせました。

 鳩山首相(民主党代表)はおととい(26日)の所信表明演説を「あの暑い夏の総選挙の日から、すでに二か月が経とうとしています」と52分間の演説を切り出しました。

 きょう28日、衆院本会議で民主党政権になって初めての、総理所信表明に対する各党代表質問が行われ、野党・自民党から谷垣総裁と西村康稔議員が登壇しました。

 西村議員は脱官僚をめざす政務三役主導の民主党政権を「見せかけの政治主導」と痛烈に吹っ掛けてきました。年金問題からインフルエンザ対策を抱える長妻厚労相を名指しし批判する上で「替わってあげますよ」と皮肉った時には、やはり50年間政権を担ってきた責任政党だなあ、と少しだけ、感心しました。二大政党デモクラシーには、反対党、政権準備党という合わせ鏡が必要不可欠です。

 そして、西村議員は「あの過酷な夏の悔しさをバネに」政権交代をめざして責任野党・自民党を作り上げていく決意を示しました。

 ここの西村議員、初めて演説を聞きましたが手強いな、谷垣総裁が西村議員を幹事長にでも据えたら、これは来夏の参院選は負けるかも知れないな。そういうイメージが沸きました。これが二大政党デモクラシーのメリットです。大学でそれを学んでから、16年経ったきょう初めてそのメリットの恩恵を感じました。そして最初のイメージがこの西村議員の手強さです。

 守備側に回った民主党ですが、谷垣総裁、西村議員の挑発に対して、亀井郵政・金融大臣(国民新党代表)や前原国交相は毅然として、挑発に乗らず、政権政党のあるべき姿を見せました。前原答弁はその前に10分間にわたる長広舌をした閣僚の後だけに新鮮に、頼もしく感じました。

 前原さんの30秒間の答弁には、小選挙区二大政党デモクラシーが、彼の頭というより体に染みこんでいることを感じました。西村議員の演説によると、両者は同じ議員連盟を作っているそうです。とはいえ、質問者が指名しない限り、閣僚は発言(答弁)できないのは当然のルールです。西村議員が前原大臣の答弁の機会をつくったのは、二大政党デモクラシーを作り上げていこうとする気概が両者にある証拠です。事前に相談したことなど断じてないでしょう。

 総理はおとといの所信表明の開始22分前後に、この国は、

 「誰もが誰もを知っている」という共同体、すなわち僕の言葉ではムラ社会は失われて、「誰かが誰かを知っている」という共同体、おそらく鳩山さんの言葉では友愛社会というんでしょうが、このように変わるとの分析と決意を示しました。

 国会という社会もますます「本物が本物を知っている」という社会に変わりつつあります。きょうの答弁で鳩山首相は「西村議員に対しても、古い体質から飛び出す覚悟でがんばってほしい」とエールを送りました。総理は、民主党に対してもこのメッセージを「同時送信」なさったんだろうと感じています。

 まあ、菅副総理の長広舌も、キャラクターですから、あれでいいのかな、という気もしました。それを眺めるひな壇の全閣僚の表情がNHKで流れましたが、それも面白いものでした。全部含めてディスクロージャー、ディスクロージャーです。

tags 鳩山由紀夫 谷垣禎一 亀井静香 前原誠司 菅直人 西村康稔 二大政党デモクラシー 「誰かが誰かを知っている共同体」


小沢一郎幹事長になってから9勝12敗と首長選で大きく負け越し 「選挙の神様」神話が完全崩壊

2009年10月28日 13時25分11秒 | 第22回参院選(2010年7月11日)反省の夏

 民主党本部推薦の自治体首長候補者の敗戦が相次ぎ、小沢一郎幹事長就任後の9月15日以降では、「9勝12敗」となり、「小沢一郎先生は選挙の神様だ」(民主党国対副委員長)とする神話が崩壊したことが分かりました。

 朝日新聞の「地方選挙メモ9月の結果」と「同・10月の結果」(きょう付4面)をまとめました。

 民主党は岡田克也幹事長時代の9月13日、北海道士別市長選では、「民主党・社民党・新党大地推薦」という北海道3大組織がっちりスクラム候補が初当選。愛媛県では現職死去に伴う繰り上げ大洲市長選に、61歳の市議が「民主党・新党日本推薦」で出馬しました。結果は惜敗でしたが、「地元の山鳥坂ダム廃止」を公約にするという「大いなる敗北」は次の時代のスタートを感じさせました。

 ところが、9月15日の両院議員総会で小沢一郎さんが拍手で承認され、幹事長に就任したとたんに風向きが一気に変わりました。

 まず27日はナント地元の岩手県八幡平市長選で推薦候補が敗北。福岡県前原市長選でも「民・社」が敗北。

 10月分はきょう付の4面に出ています。

 4日は小沢幹事長のお膝元岩手県で「民自」新人が一関市長選で当選。菅副総理の地元・東京都武蔵野市長選は「民・共・社・東京生活者ネットワーク」推薦現職が再選するなど、トロイカの地元で相乗り候補が2勝しました。

 11日は3勝です。山形県鶴岡市長選で「民・自・公」、長野県安曇野市長で「民」、徳島県鳴門市長選で「民」の新人が勝ちました。

 18日は、兵庫県たつの市長で「民自公」相乗り現職が勝ちましたが、奈良県天理市長選では「民」、埼玉県春日部市長選でも「民」が負け、1勝2敗と雲行きが怪しくなってきました。

 25日は宮城県知事知事選がありましたが、「民・社・国」推薦候補が惨敗。神戸市長選では小沢さんが「相乗りをやめて民主党単独推薦」を直談判した現職が勝ちましたが、川崎市長選の「民」新人は敗れました。さらに県都・長野市では「民」推薦が次々点と惨敗。敗北は続き、青森県八戸市長選では「民」、秋田県にかほ市長選では「民・自」、埼玉県鶴ヶ島市長選で「民」、同ふじみ野市長選で「民・社」、神奈川県鎌倉市長選で「民・社」の推薦候補が続々と敗れました。勝ったのは、埼玉県越谷市長の「民・社・国」、熊本県玉名市長の「民・社」推薦候補が勝ちました。

 というわけで、小沢幹事長就任後の首長選は「9勝12敗」と大きく負け越し、勝ったところもトロイカのお膝元かつ相乗り候補となり、小沢選挙不敗神話は完全に崩壊したといえるでしょう。

 「たとえ負けても、推薦候補を立てることで地方組織の足腰が強くなる」という反論があるでしょう。私はそれに対して、「その人にとって、首長になれるチャンスは人生に1度、あっても2度しかない。比例復活なしの首長選は生きるか死ぬかだ。『負けを繰り返しながら組織を強くする』という考え方の人間は人生も負けて終わる」と反論申し上げます。

 さらに11月8日には現職が引退する広島県知事選がありますが、民主党副幹事長である佐藤公治・県連代表が候補者擁立に失敗し、不戦敗が確定しています。公治さんは小沢一郎経世会会長代行を同会事務総長として支えた佐藤守良さんの息子で秘書を務めました。小沢系議員の中核をなす「小沢事務所出身者グループ」のトップです。衆院議員を経て、現在は参院議員になっています。

 新生党および新進党結党で重要な役割を担った佐藤守良元農相は、小沢一郎新進党党首が、側近を重用し、異論を述べる者を排し始めたとき、小沢さんのことを大変に心配されていたそうです。ある人から「佐藤守良先生が『あいつ、畳の上で死ねないんじゃないか』と本気で心配していたよ」と聞いたことがあります。佐藤先生が亡くなってしばらくすると、新進党も無くなってしまいました。


[下町の太陽プラス1]日本郵政副社長に大蔵OBの坂篤郎さん

2009年10月28日 00時09分42秒 | その他

 きょう(28日)の日本郵政取締役会で、大蔵官僚OBから、斎藤次郎社長とともに坂篤郎副社長が就任する見通しになったようです。

 橋本内閣の首相秘書官を務めた後、財務省主計局次長、内閣府局長、を経て、農林漁業振興公庫副総裁に天下り。その数ヶ月後に官房副長官補として、官邸に返り咲くという奇跡の人事に成功したやり手です。

 「どうなる国債 日本郵政副社長に「6分4分の男」が登板 財務省出身の坂篤郎さん」を

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「坂前官房副長官補が損保協会副会長に天下り」
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「麻布学園による財務大臣の“世襲”について」
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