【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

自立と共生の岡田外交始まる

2009年10月13日 15時29分21秒 | 第172特別会(2009年9月)鳩山政権発足

 [写真]朝日新聞・五十嵐誠記者撮影。ともに2009年10月11日カブールで、翌日付朝日新聞掲載。
 左=アフガニスタン大統領府内で行われたポリオ撲滅キャンペーンで、子どもを抱く岡田外相。右はカルザイ大統領。
 右=学校を視察し、子どもたちと教科書を見る岡田外相。

 官報を読んでいたら、国連総会の日本代表は岡田克也外相だったんですね。日本政治は9月は自民党総裁選が風物詩となっていたので、首相、外相が並んで国連総会に出席したときの外交ルールなど知る由もありませんでした。日本の存在感は、開会日に事務総長が鳴らす長崎の鐘だけだったのでしょう。

 岡田外相が9月28日の日中韓外相会談で上海を訪れた際に、中国の楊外相が「中国製冷凍ギョーザ事件を政治問題化すべきでない」と語ったことに岡田外相が譲らず、10月9日の北京での日中外相会談でも「ギョーザは子どものおかずだ」と解決を迫ったそうです。この後、鳩山由紀夫総理は翌10日夜、温家宝首相と、閣僚級の「日中食品安全推進イニシアチブ」の設置で合意しました。

 日本と中国が対等な立場であることが当たり前だと思っている人が多いようですが、これは聖徳太子が周りをハラハラさせながらも小野妹子を派遣して認めさせたからであって、聖徳太子がいなければ、朝鮮、ベトナムと同じく、日本も属国扱いされていたでしょう。

 岡田外相は北京からドバイ経由の民間チャーター機で、アフガニスタンに入りました。カルザイ大統領に「タリバン元兵士に生活費を支給して職業訓練する」案に意見を求めました。

 岡田外交を見て彷彿とさせたのは、16年前の新生党の基本理念である「自立と共生」という言葉を身を以て示している、と感じました。

 新生党が1993年7月1日発表した『日本の政治の再生のために』と題した立党宣言かつ選挙公約という慌ただしい文章。

 この文章は、「これまで自民党政権、派閥政治の中枢に身を置き、自民党一党支配や派閥政治の弊害に手を貸す結果となっていたことについて深く反省し、国民に率直に陳謝する」と始まります。今読み返すと、この部分には確実に、羽田孜党首の筆が入っていると思われ、改めて「羽田さんってすごいな」と思います。

 そのうえで、「自立と共生の社会の実現を目指」し、第40回衆院選で、「自民党に代わる政権をつくる」ことを国民に約束しました。そして、公約を実現させました。湾岸戦争の2年後に示されたこの「自立と共生」という基本理念は、国民一人一人に主権者としての自覚を求める厳しい考え方であるとともに、政府が果たすべき役割として「共生」を打ち出し、仮に自立に失敗した人も共生できる社会を理想像として打ち出した物です。この5年後に合流することになる鳩山民主党の「友愛社会」と根幹を共有した概念だと考えられると思います。

 タリバン兵士の自立と共生を求める岡田外交。岡田さんは言葉ではなく、態度で「自立と共生」の理念を示しているんだと思う。北京では、野党時代から地球温暖化(気候変動)に関する温室効果ガス削減目標について頻繁に意見交換をしている解振華“環境相”とも政権党・外相になってから初めて会談したそうで、野党かつ執行部外から責任ある立場で果たすべき仕事をしっかりと準備してきたことを証明しました。

 Wikipediaによると、アフガニスタンという国は、「最も標高の高い地点は、海抜7,485m のノシャック山である。国土の大半は乾燥しており、真水の入手できる場所は限られている。気候は大陸性で、夏は暑く、冬は寒い。また地震が頻繁に発生している。」

 世界最強のアメリカ軍といえども、こんな地形で戦争を継続できるわけがない。テロリストである夫を失った妻が生活を支えるためにテロ集団に身を寄せ、そして人間爆弾として出兵する。暴力の連鎖を止めるためには、罪なき兵士たちの「自立と共生」が不可欠です。

 50年先、100年先を見すえて「自立と共生」をうながす岡田外交が始まりました。

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 朝日新聞・五十嵐誠記者の打電によると、「現地警察に前後をはさまれた岡田氏の乗る防弾車が通る沿道には、50メートルごとに治安要員が立ち、危険とされる空港から市内への移動時には同行記者にも防弾チョッキの着用が求められ」ました。

 

[写真]アフガニスタン・ペシャワール(NHKスペシャル『菜の花畑の笑顔と銃弾』

 また次の訪問地、パキスタンでは、北西部の“シャングラ地区”というところで、軍の車列を狙ったとみられる自爆テロが12日発生し、少なくとも41人が死亡。岡田外相は同じ北西部でアフガニスタン国境近くののペシャワル(ペシャワール)の難民キャンプ視察を予定していましたが、中止したそうです。ペシャワルでは、「ペシャワール会」の民間人、伊藤和也さん(享年31)が昨年命を落としています。