[写真]民主党参院議員の平田健二さん
民主党・新緑風会(参院民主党)は11日の臨時議員総会で、輿石東会長(任期は次期通常国会まで)の発案により、平田健二さん(参院岐阜選挙区=2人区)を14日(月)の参院本会議の議長選挙で候補にすることを決めました。
第29代(20人目)の参議院議長になります。労働運動出身者の議長は初めて。「二大政党」をめざした新進党勢からは4代連続の議長となります。
もちろん「選挙による政権交代による二大政党時代の幕開け」という意味では、北澤俊美さんがふさわしかったのは言うまでもありません。しかし、衆参ねじれの中、安定した参議院運営、中立・公平な運営ではなく、安定した運営のためには、平田議長でやむを得ないところでしょう。平田健二さんは2009年5月から9月の政権交代までの4ヶ月間、野田佳彦さんと2人で民主党幹事長代理を務め、岡田克也幹事長(2期目)を支えました。
議長の任期は慣例により、第23回参院選(2013年7月ごろ)までということになりそうです。
日本最初の労働組合であり、現在も日本最大の産別である「UIゼンセン同盟」(旧・ゼンセン同盟)の出身者です。このため、小沢一郎氏の新進党解党後「新党友愛」に所属しました。私も日経新聞記者として、あるいは会社員として入社2年目で、初めて一人で任された担当が「新党友愛」ですし、政治の見方、組織のあり方、そして自信を僕に与えてくれた政党です。憲政史にわずか4ヶ月だけ存在した誰も知らない政党ですが、新党友愛担当だったことを誇りに思っています。
またUIゼンセン同盟ですから、民社協会員であり、民社初の三権の長となります。ただ、平田さんは2人区の岐阜選挙区選出ということもあってか、あまり民社協会には顔を出していないようです。
私としては、TPPで大騒ぎする衆院を横目に、ある状況証拠から北澤俊美さんが議長になるのではないかと勝手に断定して、予定稿の執筆のために、古い写真、古い資料、あるいはかつての議事録(私自身初めて知る内容も多かったです)を読み込んでいて、俊美さんが「二大政党」の立て役者の一人だし、「二大政党(野党になったこと)」が北澤俊美という政治家を飛躍的に成長させた軌跡をあらためて確認していたので、お昼のNHKニュースを見て、意気消沈してしまいました。しかし、当面は民自公ですから、ここは出る場面ではないのでしょう。なお北澤議員の任期は2016年7月10日までです。
平田次期議長は、次の衆院選の後は、野党出身の参院議長として苦労するかもしれません。ただ、国難において、参院民主党からの複数の離党者・造反者は絶対に出してはいけないし、参院自民党、参院公明党も採決造反者は絶対に出してはいけない。与野党が逆転しても、平田議長・尾辻副議長の体制は存続すべきでしょう。前回の衆参ねじれのときから第1会派第2会派に関係なく、「与党から予算委員長、野党から議運委員長を出す」という申し合わせがありますので、民主党と自民党とのトレードはあるかも知れません。
国民はもうちょとだけ参議院に対して辛抱すべきでしょう。国難の時に辛抱が必要です。ただし、辛抱とは「口出ししない」という意味ではなく、「口出しした上で決定には従う」ということをより徹底すべきだという意味です。ただ、例え1人でも参議院で派手な立ち回りをする議員が出たら、国民は、衆議院も含めて政党政治を見放し、国がつぶれます。国民のデモクラシーへのアクセス権、政治を国民の手に取り戻す上で、「プロセスの透明化と正統性」が大事です。その時期の参議院議員のパフォーマンス(投票への造反)などは絶対に許されない。比較論として、国民の権利の前に、今現在の参議院議員には表現の自由は存在しない。かりにあれば参議院は廃院です。よく肝に銘じてほしい。
【芦田甚之助・第2代連合会長のご冥福をお祈りします】
芦田甚之助・連合2代目会長が2011年11月10日亡くなりました。また、宇佐美忠信・連合顧問(旧同盟元会長)も2011年11月10日亡くなりました。ともに「ゼンセン同盟」(現在のUIゼンセン同盟)の会長経験者です。あたかもUIゼンセン同盟の後輩、あるいは労働運動から初めての参議院議長誕生と入れ替わるようです。心よりご冥福をお祈りいたします。
芦田さんは「橋本行革」の委員として、取りまとめに努力していたことを思い出します。行政改革会議(橋本龍太郎会長)では、猪口邦子委員、渡邉恒雄委員、諸井虔委員らがさっと返答する中、芦田委員がいったん連合へ持ち帰ることが多く、会議の進捗状況が遅れました。そのため記者からは芦田委員に不満が出ました。しかし、今から振り返ると、やっと分かるのです。芦田さんは連合発足後、初めての旧同盟系の会長です。旧総評系には、自治労と日教組という公務員労組があります。自治労には国の社会保険庁の労働組合も加盟していました。芦田さんが委員を引き受けたことは国益に資する貢献でした。そのため、橋本首相は、連合の集会に参加し、芦田会長のことを「元上司」と呼んで、その功績を讃えました。橋本龍太郎さんは紡績会社員でしたから、ゼンセン同盟員だったんですね。来年8月1日の友愛会100周年の時点で、UIゼンセン同盟出身者が参議院議長ということは確実でしょう。そういう意味では、昔の教科書に載っていた「衆議院は地域代表、参議院は職能代表」というの現実のものとなった気がします。尊敬されるUIゼンセン同盟員、尊敬される参議院議長であってほしいです。
[連合のホームページ内から引用はじめ(pdfファイルよりコピー&テースト)]
連合元会長・芦田甚之助さんのご逝去にあたって 2011年11月11日
日本労働組合総連合会 会長 古賀 伸明
昨日早朝、連合元会長の芦田甚之助さんが享年77歳でご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
芦田さんは、1994年10月から3年間、第2代連合会長を務められました。1995年当時は急激な円高で1ドルが80円を突破し、また、同年1月には阪神淡路大震災にも見舞われました。円高などで悪化した雇用情勢に対しては100万人雇用創出案をまとめ政府に働きかけ、阪神淡路大震災に際しては連合ボランティアの派遣などの取り組みに陣頭指揮をとられました。
また、労働者、生活者のための政策・制度の実現に精力的に取り組み、介護休業制度や介護保険制度の導入、実効ある男女雇用平等法の実現などに多大な貢献をされました。
芦田さんの功績は、現在の連合運動の尊い礎であり、その精神は私たちに受け継がれております。
芦田さんのご冥福を改めてお祈りするとともに、わたしたちは今後とも芦田さんの尊い志をしっかりと胸に刻み、連合運動の発展に邁進いたします。どうぞ安らかにお眠りください。
合 掌
[引用おわり]
[連合のホームページ内から引用はじめ(pdfファイルよりコピー&テースト)]
連合顧問・宇佐美忠信さんのご逝去にあたって 2011年11月11日
日本労働組合総連合会
会長 古賀伸明
昨10日、連合顧問の宇佐美忠信さんが、享年86歳でご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
宇佐美さんは、日本の労働界の悲願であった労働戦線の統一に向け大きな役割を果たされました。統一に向けた「基本構想」の策定に携わり、同盟の会長としてその解散を決断し、1987年11月の全日本民間労働組合連合会(民間連合)結成に貢献されました。連合の前身であるこの「民間連合」では会長代理を務められ、また、国際労働財団(JILAF)の設立に尽力し、その初代理事長を務めるなど、国際労働運動の分野でも多大な貢献をされました。
労働戦線の統一という困難な大事業に貢献された宇佐美さんの功績が礎となって、連合の現在があることを想起し、改めて宇佐美さんのご冥福を心よりお祈りします。私たちはその遺志を引き継ぎ、今後とも連合運動の発展に全力を尽くしてまいります。
合 掌
[引用おわり]
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