NHKは、選挙サンデーの2013年7月14日夜9時から1時間半、9党の参議院議員会長による討論会を放送しました。
このなかで、「参議院のあり方」をめぐる議論で、自公の参院議員会長が「ねじれは悪くない」と発言し、安倍晋三首相(自民党総裁)らが真っ先に訴えている「ねじれ解消による政治の安定」とのスローガンと矛盾するシーンがありました。
参議院自民党では、1986年の第2次中曽根康弘内閣による衆参ダブル選で初当選し、そのメンバーでは現在唯一議席を持つ、中曽根弘文・参議院自民党会長が出演。中曽根氏は2004年に参議院議長就任の予定を、当時の小泉自民党総裁で、扇千景さんに奪われており、9年越しの議長就任が見えています。
その中曽根会長は「ねじれは各国でもよくある。(ねじれそのものより参院の)野党が党利党略に走るのが問題だ」と語ると、民主党・新緑風会の輿石東会長が「自民党は民主党政権時に7本の問責決議案を打ち込んできた」と野党自民党の参院での行動に問題があったと反論しました。
会長、幹事長の引退にともない、参議院公明党を代表して出演した西田実仁(にしだ・まこと)国会対策委員長は「私もねじれそのものは悪いとは言っていない」とし、「私たちは野党時代にも法案を出してきた」と語りました。具体的には、公明党は野党時代に、参法(参議院議員による議員立法)で、「原子力災害の仮払い法」(平成23年法律91号)を浜田昌良議員(現復興副大臣)が自民党の佐藤正久さん(現・防衛政務官=改選)とともに提出し、参院可決、衆院修正のうえ、参院回付で同意して、成立させています。(関連エントリー「ねじれ新国会」は佐藤正久さんが先陣 参院野党提出の新法成立は憲政史上初 仮払い法)。
中曽根さんは「私もねじれは悪いとは言っていない。良いねじれも悪いねじれもある。野党の対応次第だ」と語りました。
「ねじれの解消が安定した政治につながる」 との安倍首相ら衆院議員の演説が、図らずも、同党内の参院議員によって否定されたことになります。
もっと、参議院議員の話を聞いてみたいところです。昨年8月の「社会保障と税の一体改革法」では、参院の附帯決議に「幼児教育の無償化を検討する」と潜り込ませた森まさこ議員が、自民党マニフェストにそのまま入れることに成功し、1期生ながら大臣の椅子を勝ち取ったようです。与党参院議員でもねじれを活用している人は能力がある人です。
私は、おそらく日本でも最も長時間、参議院の審議を聞いている国民だと考えますが、私も衆参はねじれていた方が政治は安定すると考えています。
7月上中旬なのに、とても暑い1週間だったので、投稿時刻も涼しい時間帯ということで、不自然な時刻の投稿が続いて、失礼します。
おめでとうございます!!!
岡田克也さんが2013年7月14日(日)、60歳、還暦となりました。 フランス革命記念日で、やはり血の気の多い岡田さんらしく選挙期間中ということになりました。
論語では、「30にして立つ(而立)、40にして惑わず(不惑)、50にして天命を知り、60にして耳順う(みみしたがう、耳順)」と言います。
50にして天命を知った、岡田さんは58歳の時に、「これも「天命」なのかな」と語っています。
60にして耳順う。60歳になって少しは人の言うことが素直に聞けるようになった(金谷治・翻訳)ということなので、ぜひ人の言うことが素直に聞ける60代になっていただきたいものです。岡田啓介元首相の工作で、鈴木貫太郎が首相になったのは77歳、第2次大隈重信首相が総辞職したのは78歳。まだまだやれます。
冒頭に示したのは、第46回総選挙後に衆議院事務局庶務部議員課が編集した「衆議院要覧(乙)」の112ページ。
岡田さんの書きぶりは徹底していて、
「平成5年自民党を離党。以後、「政権交代ある政治の実現」という信念を貫き通す」
「平成10年民主党を結成、党政策調査会長、幹事長、代表などを歴任し、民主党の基盤づくりに全力を挙げる」
「平成21年5月再び党幹事長に就任し、同年8月の衆議院総選挙において政権交代を実現。」
そして、「当選8回(39、40、41、42、43、44、45、46)」とあります。
衆議院要覧(乙)で、これだけ主観的なプロフィールを書いているのは岡田さんだけ。こういう無料で自分をPRできる媒体を最大限に使うという、岡田さんのDNAは、反発しているけどその影響を無視できない偉大すぎる父からの物に違いありません。
先の通常国会では、初当選前後の後援会リーフレットの通産省時代の写真にありながら、その後公式資料からは消えていた、「メガネ姿」を衆議院内閣委員会で披露する場面がありました。
[画像]長年封印していたメガネ姿を公の場で披露した岡田克也さん(2列目中央)、2013年5月22日(水)、衆院内閣委、衆院インターネット審議中継からキャプチャ。
現在は三重の高橋千秋選対本部長。
バースデーの午後3時には、いまや盟友となった野田佳彦前総理が近鉄四日市駅にかけつけます。私もかけつけちゃおうかと考えました。しかし、インターネット選挙運動解禁で、動画が出るでしょう。
アベノミクスの恩恵で少し余裕ができたとはいえ、日帰り出張旅費1・3万~1・5万円はここで使うより、貯金してそのうち海外旅行してリフレッシュしたいと思い、止めました。もう5年間も海外に行っていないですよ。英語を話したい。その5年間に、政権交代、津波、原発爆発がありました。
むこう3年間、けっこう暇なのかなという覚悟はあります。民主党は必ずよみがえり、また政権交代します。ただ「いつまで」とは言えない。どんなに短くとも3年間はかかります。しかし、私はいつまでも待ち続ける。
[画像]高橋千秋候補(中央、タスキ姿)の選対本部長として演説する岡田克也さん、2013年7月4日(木)、Ustreamなどの映像から。
向こう3年間でやらなければならないのは、民主党が自律的な財政環境を民主党が整えることです。楽なことではありません。私も貯金して財政に貢献したいところですが、それよりも、より民主党財政に貢献してくれる層の厚みを増していく手引き役になれるように邁進していきたいと考えます。
私も39歳ながら、1度目の政権交代(細川・羽田内閣)にも、2度目の政権交代(鳩山・菅・野田内閣)にも、当事者として歴史に関わりました。私自身も来年は40歳、不惑ということになります。多くの方は誤解されているように感じますが、論語の解釈では、不惑とは、周りの雑事に惑わずに、本筋のことだけに惑うようになる、という意味です。私も、しっかりと雑事を整理し、国家、国民、皇室、民主党のことだけに惑えるように備えていきたいと考えております。
当ブログも岡田克也とともに、まっすぐに、ひたむきに、政権交代ある二大政党政治を、命がけで、日本に定着させていきます。
岡田が決めたらどこまでも。
3年かかろうが、10年かかろうが、非自民反共産の政権担当可能な民主党を再建していきます。昔の新生党のように、合宿とかやってね。
ますますやる気が出てきました!!!
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1年前の記事はこちら↓ goo(NTTレゾナント社)さんもイノベーションしてくれてますね。そう人生は永遠のイノベーションです!
おめでとう岡田克也さん 59歳に 「これからの1年は激動の1年」 還暦は選挙戦中確実[画像]「59歳、59歳、と何度も言われるとうれしくありません」・・・首相官邸ホームページ内動画からキャプチャ。 おめでとうございます。 2012年7月14日(土)、岡田克也さんは...