【参議院本会議 2013年10月18日(金)】
けさの公明新聞で、外交安保などを質問するとなっていたのですが、本当に外交・安保から質問して驚きました。まさに3年間の安定を得た、山口議員の「内外の諸課題」とは、外交であり、安全保障だったようです。
きょうの本会議で、山口那津男さんは「公明党と自由民主党の連立政権が発足してから10か月。参院選の勝利は安定して内外の諸課題に対応してほしいとの声だ」としました。
「公明党代表として10年ぶりに訪米しました」として、「サイバー空間における新たな脅威や北朝鮮への懸念からしてアメリカとの距離を縮めるべきだ」として、ガイドライン(日米防衛協力の指針)を改定するよう求めました。これに対して安倍総理は前向きに対応するとしたほか、先日の2プラス2(日米・外務防衛大臣会談)で「沖縄の基地返還計画は予定より早く進んでいる」と確認したことを明らかにしました。
日本版国家安全保障会議設置法案とセットで審議される特定秘密保護法案について「公文書管理法について、公明党の要求にもとづき、特定秘密が書かれた文書も同じく行政文書として扱われることになった」としました。来週法案が出てくるようですが、この事実は初めて明らかになったと思います。
そして、「閣議・閣僚懇談会について議事録を作成し、30年後に国立公文書館に移す公文書管理法の改正を早急に成立させるべきだ」と語りました。これは自民党の認識と異なった踏み込んだ意見で、「早急に成立」とは早ければこの臨時国会中なのではないかと考えられます。
◇
那津男さんが防衛政務次官だったことをご存じの方はどれくらいいるのでしょうか。
社会党による消費税創設反対の牛歩国会が記憶に生々しかった1990年衆院選で初当選した那津男さん。
社会党は、消費税法(昭和63年)に続き、PKO協力法案に牛歩のターゲット定め、1991年末、慣例として行わない参院での閉会中審査議決をして年を越しました。1992年通常国会では、カンボジアPKOで武器を持たない日本人ボランティアが殺害され、自民党政府はPKO協力法を急ぎました。会期末になって、ようやく参院で審議が始まりましたが、社会党が委員長解任決議案を連発。改選まじかの社会党参議院議員が趣旨説明し、社会党議員が質問し、社会党議員が答弁して、休憩するという不毛な牛歩戦術のあげく、なんとか参院を通過。一方、衆院に送られてからも、議院運営委員長不信任決議案に対して社民連衆院議員が長時間の賛成討論を行い議長命令で、衛視さんに演壇ごと運ばれていく珍事がありました。
このとき、公明党は、支持母体で、とくに女性に「平和と福祉の公明党だからPKO協力法案をやらないでほしい」という意見、男性が「PKO協力法で平和に貢献してほしい」との意見が割れる傾向がありましたが、公明党はていねいな説明で、支持者を「おさえて」、PKO協力法を修正して可決・成立させました。
それから20年。社会党は滅び、公明党は議席増で3度目の政権与党を担っています。まさにダーウィンが言うところの「わずかな違いが存亡を決する」とは、このPKO国会での社会党と公明党の違い。つまり、支持者を「おさえる」ことできるかどうかであり、議論よりも説得が国会議員の要諦なのです。
那津男さんは、1993年の細川内閣で、新生党の防衛庁長官の下で、防衛政務次官をやりました。予算審議中に長官が新生党内で交代するハプニングがありました。今でいう維新のように、我々新生党に対して「タカ派」という印象を持っている方もいらっしゃったようで、公明党からしっかりと、連立与党と新生党を「おさえる」という名目もあって那津男さんが防衛政務次官に選ばれたのかもしれません。
昨年の今頃は「11月解散12月総選挙」を明言してしまった那津男さん。これは、年をまたぐと小沢一郎党首率いる「国民の生活が第一」に二十数億円という公明党と同程度の政党助成金が交付されるのが耐えられなかったのでしょう。ちなみに、ことしも小沢党には9議員に対して7億円が支払われるのでまだまだ小沢氏の差配は続きますが、血税という面では、配下議員数に限らず、二十数億円よりは7億円の方がよかった。
その小沢切り解散に走った野田佳彦首相と岡田克也副総理へのお返しもあり、閣議・閣僚懇談会の議事録作成を迫ってくれたのかもしれません。那津男さんと野田さんも本当は「新進党と書いてくださった有権者に対する裏切りだ」と叫びたかったでしょうが、彼ら2人はともに落選していて、あの両院議員総会にはいませんでした。前列に座っていた大口善徳議員が公文書管理法改正をリードしています。
そして、PKO国会で不信任決議を突き付けられた議院運営委員長は中西啓介さん(自民党)でした。その中西さんが新生党の防衛庁長官として、公明党の山口那津男政務次官のサポートを受けました。PKO国会で中西委員長解任決議案への賛成討論をやめず、衛視さんに演壇ごと排除されたのが、菅直人さんです。菅さんにとってはあのときも、原発にヘリで駆けつけたときも、同じセンスの高揚感だったのでしょう。
3年間の安定を手に入れ、政治家としてやりたかった外交・安保を語りだした那津男さん。ことし夏の公明新聞の投書欄によると、神宮球場での野球観戦中に、隣席の客と話していたら、那津男さんの幼馴染と分かって驚いたという党員の投書がありました。それによると、幼馴染の人は、「山口のしゃべり方は小学校から変わらないんだ」と話していたこと。夏の日、「安定は希望です」とのポスターが金色に光って見えました。