[写真]玉城デニー知事、7年前の2017年6月、国会内で、宮崎信行撮影。
政府は、アメリカ海兵隊辺野古新基地建設の行政不服審判や最高裁判所の手続きが整ったと判断し、きょう、沖縄本島・名護市辺野古(東海岸・大浦湾)沖に、土砂を投入して地盤造成を強引に始めました。完成には十数年かかる見通し。そして、橋本緊縮内閣で米大使離任間近のモンデール元副大統領と官邸で共同会見したSACO合意による、アメリカ海兵隊「普天間飛行場(普天間基地)」(宜野湾市)の返還の確約はありません。普天間は沖縄本島の「ボトルネック」に位置し、返還後に公道を拡幅を含めた再開発が期待されますが、辺野古新基地が永遠の代替施設として両立してしまうことも予想され、きわめて大きな転機を迎えました。
報道によると、玉城デニー知事は「工事の着手が強行されたことはていねいな説明とは到底真逆の極めて乱暴で粗雑な対応がなされたものと申し上げざるを得ません。予定の期間で工事を終えられるかどうかも明らかではない。畳みかけるように工事を進めあきらめ感を醸し出そうという考えは間違っている」と政府をなじりました。
立憲民主党沖縄協議会座長の福山哲郎元外務副大臣は、「政府は県の設計変更手続きを代執行するかたちで、埋め立てに着手しました。県が上告手続きを行っているにもかかわらず埋め立て工事を強行することは、県民の民意を踏みにじるもので、工事の即刻中止を求める」などとしたコメントを発表しました。
立憲民主党では、民主党政権でやり直したいテーマとして菅直人さんが「脱原発エネルギー」、野田佳彦さんが「消費税増税」の動きを十年以上続けています。
その一方、「最低でも県外」に奔走した、岡田克也、玄葉光一郎、福山哲郎の正副外相経験者らは、この政策でストップしました。2番目に大きな党なのに、沖縄県連の所属地方議員がゼロになったからです。が、現在では15人に回復。
このため、きょねん2022年3月29日に「沖縄協議会」を立ち上げ、喜友名智子(きゆな智子)県議らが上京し、リモート会議システム「ズーム」と混合して本部と県連の協議会がようやく再開しました。
政府は、アメリカ海兵隊辺野古新基地建設の行政不服審判や最高裁判所の手続きが整ったと判断し、きょう、沖縄本島・名護市辺野古(東海岸・大浦湾)沖に、土砂を投入して地盤造成を強引に始めました。完成には十数年かかる見通し。そして、橋本緊縮内閣で米大使離任間近のモンデール元副大統領と官邸で共同会見したSACO合意による、アメリカ海兵隊「普天間飛行場(普天間基地)」(宜野湾市)の返還の確約はありません。普天間は沖縄本島の「ボトルネック」に位置し、返還後に公道を拡幅を含めた再開発が期待されますが、辺野古新基地が永遠の代替施設として両立してしまうことも予想され、きわめて大きな転機を迎えました。
報道によると、玉城デニー知事は「工事の着手が強行されたことはていねいな説明とは到底真逆の極めて乱暴で粗雑な対応がなされたものと申し上げざるを得ません。予定の期間で工事を終えられるかどうかも明らかではない。畳みかけるように工事を進めあきらめ感を醸し出そうという考えは間違っている」と政府をなじりました。
立憲民主党沖縄協議会座長の福山哲郎元外務副大臣は、「政府は県の設計変更手続きを代執行するかたちで、埋め立てに着手しました。県が上告手続きを行っているにもかかわらず埋め立て工事を強行することは、県民の民意を踏みにじるもので、工事の即刻中止を求める」などとしたコメントを発表しました。
立憲民主党では、民主党政権でやり直したいテーマとして菅直人さんが「脱原発エネルギー」、野田佳彦さんが「消費税増税」の動きを十年以上続けています。
その一方、「最低でも県外」に奔走した、岡田克也、玄葉光一郎、福山哲郎の正副外相経験者らは、この政策でストップしました。2番目に大きな党なのに、沖縄県連の所属地方議員がゼロになったからです。が、現在では15人に回復。
このため、きょねん2022年3月29日に「沖縄協議会」を立ち上げ、喜友名智子(きゆな智子)県議らが上京し、リモート会議システム「ズーム」と混合して本部と県連の協議会がようやく再開しました。
[写真]きょねん2023年3月29日に開かれた「沖縄協議会」第1回会合にのぞむ福山哲郎さん、岡田克也さんら国会議員と、喜友名智子(きゆな智子)県議ら県連メンバー、衆議院第一議員会館で、宮崎信行撮影。
長年、戦闘とは縁がない印象だった、八重山諸島の石垣島・石垣市にも陸自が駐屯。国境の警戒としては必要な実力と考えられますが、「台湾有事」という定義がよくわからない言葉が自民党議員やジャパン・ハンドラーズから頻出し煽られています。
首相は3月に「国賓訪米」する予定で調整中。次の総選挙はことしと考えられることから、沖縄県内や国民の世論は流動的なようすとなってきました。
[写真]辺野古を訪れた筆者、16年前の1998年5月。
以上です。