【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【補足の説明】宮崎信行の大学卒業「1997年3月15日」公式ホームページのプロフィールの記述を補足

2024年01月08日 22時14分48秒 | 宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki
 宮崎信行公式ホームページのプロフィールの中に、分かりにくいところがあるので、補足の説明をします。

 宮崎信行の大学卒業年は「1997年3月15日」です。平成9年3月15日です。

 プロフィールの小見出しが「1992年」「1995年」「1998年3月」となっており、このうち「1992年、早稲田大学政治経済学部政治学科に入学。学士(政治学)」とあります。その後「大学卒業後、日本経済新聞(日経)に入社しました」とありますが、大学卒業は1997年となります。





 きょねん、かなりの大手メディアで、ゲラの段階で直す事案がありました。今後、公式ホームページを更新する機会がきたら分かりやすくしたり、大手のネットニュースに再度寄稿する際に訂正を依頼したりしようと思います。

 以上です。


“目白御殿”昭和政治の舞台旧田中角栄邸が全焼、真紀子氏ら避難

2024年01月08日 21時40分51秒 | 素晴らしき新生党保存会
 旧田中角栄邸が全焼しました。

 私も田中真紀子文部科学、田中直紀防衛の、民主党政権の両元大臣夫妻の長女と株式会社日本経済新聞社の50人ほどの同期入社正社員の仲間ということも含めてお見舞い申し上げます。

 長女は広告局員だった日経を退職後に大学院に行き、今は都内の私立大学で、教授か准教授の肩書の常勤職員をされています。ちなみに、編集職35名で入社8年半で最初に辞めたのが入社試験席次が1位の私、業務職で2番目に辞めたのが田中さんで、生まれや育ちの良い順に辞めました。同期入社には2年前の「阪神・淡路大震災に被災して、初めて社会に興味を持ち、きょねん衆よく活動をして入社した」という記者が数名いて、おそらく二重ローンでしょうから、辞められないようです。

 新生党結党メンバーの44名のうち、羽田孜さん、小沢一郎さん、石井一さんらはもともと田中角栄系で、渡部恒三さんも佐藤栄作・田中角栄・竹下登3氏が会長をつとめた派閥で羽田さんらと同期の、政権交代ある小選挙区比例代表制をめざした仲間でした。当時は1期生の岡田克也さんもその一人でした。