時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ロレーヌ魔女物語(8)

2009年04月02日 | ロレーヌ魔女物語

ロレーヌの風景から

  アメリカABCのNightline  Face-off (2009年3月26日)が、「悪魔は存在するか」Does Satin Exist? という論争的番組を放送していた。この番組に先立って、「神は存在するか」Does God exist? という番組も放映された。後者のテーマは、これまでもしばしば繰り返されてきたので、目新しいわけではない。しかし、前者には少なからず驚かされた。およそ日本のTV番組には登場しないテーマである。 

 アメリカ人の70%近くが、「悪魔の存在を信じている」という。彼らが思い浮かべる「悪魔」がいかなるものであるかは、正確にはイメージしがたいが、議論を聞いていて、現代の思想環境は17世紀とさほど変わらないところがあると改めて感じた。とりわけ、イラク戦争がアメリカ国民に強い影を落としていることを改めて思った。 

 さらに、興味深い問題は、ほとんどの場合、悪魔が神との対比において議論されていたことであった。この場合、「神」がキリストを意味しているらしいことは伝わってくるのだが、それだけに限定されるのか、よく分からない部分が残った。オバマ大統領が演説の最後で、God bless you. God bless America. という時、Godはどんな神をイメージしているのだろうか。キリスト以外の神を信じる国民も多い国なので、気になっていた。とりわけ、選挙活動中、オバマ氏の宗教はイスラムではないのかという議論もあっただけに、彼が心中、いかなる意味で「神」Godを口にしているのかと思う。

国家形成と魔女審問
 さて、17世紀、ロレーヌ公国という小さな国が、大国に伍して生きていくためには、さまざまなことが必要だった。ロレーヌ公の政治的支配力は弱く、経済基盤も決して盤石なものではなかった。その中でロレーヌが曲がりなりにもひとつの公国として存在するためには、ロレーヌ公国のイメージとして統一した精神的な柱が求められていた。 

 この国を支えていた宗教的基礎は、カトリックだった。ヨーロッパ・カトリック世界の辺境で、ロレーヌはローマ教皇庁の最前線地域として位置づけられ、プロテスタントやさまざまな異教に対峙していた。ロレーヌは、近世初めの神聖国家のひとつとしての道を進んでいた。しかし、「神聖さ」について、上から下へ統一した思想や政策が存在したわけではない。カトリック信仰についても、その布教、伝道は、教会や聖職者たちの手にゆだねられていた。同じカトリックでも,宗派間の反目、対立は激しかった。農民のレベルまで下りれば、さまざまな世俗的信仰なども彼らの生活の中に根付いていた。宗教を軸とする精神世界は上から下まで、かなり混沌としていた。他方、世俗の世界では、君主と裁判官は権力の頂点にあることを自認していた。

魔術学の大家はどう考えていたか 
 ロレーヌの魔女狩りの世界に入り込むには、残されているさまざまな手がかりに頼らねばならない。「惡魔学」(なんとも怖ろしい名前!「妖怪学」や「鬼神学」
もありますが。)は、中世以来重要な位置を占める学問だった。魔術は、決して迷信やいかがわしい信仰のたぐいではなかった。

 当時、ロレーヌの知識人のひとりで、魔女審問に直接携わったニコラ・レミ Nicholas Remy(1534-1600)という人物がいた。1595年にレメギウスという筆名で記した書物『悪魔崇拝論』Demonolatriae*は、いわば魔女と妖術に関する資料集で、魔女裁判の折に審問官の参考書として重用された。

 レミはフランスで教育を受けた法律家であり、その後ロレーヌの階層社会で昇進し、1583年に貴族に任じられ、ロレーヌの上級判事、検事総長にまでなった。敬虔なカトリックであり、時代を代表する悪魔学の権威でもあった。彼の著作は1595年、メッスの司教でロレーヌ公の息子であるシャルル枢機卿にも献呈された。

意図してあいまいに?
 しかし、後世の研究者の目で見ても、レミの著作は大冊だが散漫であり、当時の魔女審問の底流にあったものを知ることはかなり難しいようだ。魔女裁判と宗教を直接に結びつけるような論理も見いだされていない。 レミは、ロレーヌ公と魔女裁判の間の政治的、宗教的目的との関連にも、一言も触れていない。ロレーヌを特別に神聖なものとするような言及もない。魔女狩りと国家の形成や維持の間に、なんらかの関連を思わせるような記述もしていない。しかし、ロレーヌ公シャルル3世は、ナンシーの上級判事にすべての魔女審問判決を審査する権利を与えており、レミもそのひとりだった。シャルル公は、審問の内容などには、なにも関わっていないようだが、こうした仕組みは当時の審問のあり方に、ある程度の方向性をもたせていたのかもしれない。

 レミの著作からは、ロレーヌの魔女狩りにかかわる、とりわけ明確な方向性は見えてこない。全体としてみると、聖職者の無知が農民を悪魔の餌食にするような無知の状態にしているとの一般的記述に留まっている。だが、当時の主要な惡魔学者と同様に、農民が無知だからといって,魔術に寛容的になるのは誤りとする。なぜなら、そこに妖術 sorcery が介在して、他人の道徳を傷つけるからだという。当時、魔術 witchcraft と妖術は明瞭に区分されていた**。

現実には厳しい対応
 レミの用心深い記述の中から浮かび上がってくることは、魔術は、人間が犯す最も非道な行いであり、世俗、教会の別を問わず、それにふさわしい厳しい罰でのぞまねばならないという考えである。レミは魔女審問の過程で、拷問による告白の引き出しを重視していたとみられるが、これは当時の代表的判事たちにも共通の考えだった。レミは1580年代と90年代に、ロレーヌ地方で900人の魔女を焼き殺したと主張している。もっとも、この数値は「適当な」文学的効果を狙った誇張であるとの解釈もある。いずれにせよ、尋常な数ではない。   

 レミの上級判事としての政治的立場が、あいまいな叙述にしたとの推定も可能だが、現実に明確な論理を確立しうるだけの時代環境ではなかったという方が正しいだろう。魔女に象徴される悪魔がなぜ生まれるか、悪魔が行う悪行の実態、魔術と妖術の区分け、惑わされる人間の弱さ、宗教の役割、邪悪な悪魔へいかに対応するか。どれもが謎に包まれていた。その具体的次元での対応は、ほとんどすべてカトリック改革における審問官など、法服エリートの宗教的感覚に依存していた。

 主導的な論理や手がかりがなかったこともあって、判事たちにとって魔女狩りの頻発は好ましいことでもなかった。結果として、審問、判決においては、当時の悪魔学の大家の考えに従うという流れを生み出していた。魔女審問は、彼らにとって、かなりやっかいな出来事だったのだろう。以前に紹介した、エリザベス・ドゥ・ランファングの事例にあったように、24名もの判事のすべてが同じ判断であったというのも、こうした風土によるものだろう。いかに自らの独自な意見を確立し、述べることが難しかったかを想像させる。

 時代のさまざまな束縛から自らを解放し、それでいて多くの人を説得しうる論理を貫くことができるか。それが時代の求めるものと、いかなる関係を保っているか、とりわけ、宗教とのつながりへの判断は、どうか。魔女審問がなくなるまでには、まだかなり長い時間が必要だった。

(続く)

 


* フランス語版の他、英語版もある。
Nicolas Remy. Demonolatry. Edited by Montague Summers. 1595: New York, 1974.

** 魔女狩りや魔女審問に関する文献はきわめて多いが、下記の著作は、これらの錯綜した諸問題を展望するに適した好著のひとつ。
 ジェフリ・スカール、ジョン・カロウ(小泉徹訳)『魔女狩り』岩波書店、2004年。

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