未来を見るために過去を見る
ベルリンの壁崩壊20年目の今年、世界中のメディアがさまざまに、この歴史的出来事を回顧している。その中のほんのわずかを目にしたにすぎないが、ひとつの感想を記してみよう。
マーガレット・サッチャーの回顧録によると、彼女の首相在任中に起きた東西ドイツ統一についてとられた政策は「まがうことない失敗」unambiguous failure だったとしている。それによると、彼女は旧東ドイツの民主革命を歓迎はしたが、壁の崩壊後すぐに、ドイツの国民的性格と統一後のドイツが中央ヨーロッパで占める位置と規模から、多くの人々が期待したヨーロッパの安定化ではなく、逆に不安定化の力が生まれると思ったという。イギリスのドイツ・アレルギー?が感じられる。
確かにベルリンの壁が崩れた当時、ドイツを中心に世界へ広がったユーフォリア(多幸感)は急速に薄れ、代わって強まったのは「混沌」、「不安」、「格差」、「貧困」などネガティブな側面だった。今日では、東ドイツの時代への懐旧すら生まれている。統一ドイツの下で恵まれない人たちに限ったことだと思われるが、彼らには「日の当たる場所」Auf der Sonnensiteだったのだろうか。
確かに西側世界も、東の人たちが想像していたような、正義が貫徹し、政治家も官僚も信頼できるという希望に満ちたものではなかった。計画経済の世界は崩れ、市場経済が席巻する世界にはなったのだが、期待が大きすぎたのだ。
サッチャーの感想が当てはまるかに見えるが、そのままには受け入れがたい。ドイツ統一についての各国の政策がどうあろうと、いずれは起きた変化だ。その後の金融危機にいたる大激動の根源を壁崩壊に求めるのは、正しくないだろう。この多元化した世界で、ベルリンの壁崩壊というひとつの歴史的出来事から、その後の世界の大きな変化が連鎖的に展開したと考えるのはナンセンスに近い。
他方、ベルリンの壁崩壊に先だって、予兆が感じられたことは事実だろう。ジャック・アタリ*によると、壁崩壊に先立つ1987年、ゴルバチョフは民衆に発砲するなと指示していたようだ。すでに地鳴りが聞こえていたのだ。衝撃的なことは、今日でもロシア人の7割は、壁がなぜ構築されたか、そしてなぜ崩壊したかを知らないと答えていることだ。
20年という時間は短くもあり、長くもある。ドイツでも国民の記憶は急速に風化し、壁があった時代を実感しがたいと答える若者が多いと伝えられる。日本ではどうだろうか。いくつかの話を聞くと、肌寒い感じがする。同じような企画の洪水には辟易もするが、壁崩壊前後を、追体験し、回顧することは必要なことだ。過去を振り返ることなくして未来は見えてこない。
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「ジャック・アタリが語る市場経済の20年」BS1 2009年11月9日