時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

帰国した日系ブラジル人の苦悩

2009年11月05日 | 移民の情景

 労働市場の停滞が日本人の労働者ばかりでなく、外国人労働者にも厳しい対応を迫っていることは、このブログでも伝えてきた。最近では、NHKBS1(10月30日)が、日系ブラジル人労働者とその家族が直面する苦難を報じていた。不況が進行すると、最初に採用中止、解雇などの対象になるのは外国人労働者であることは、これまでの内外の数多くの経験が示してきた通りである。これは日本に限ったことではない。不況が長引くと、出稼ぎ先での仕事の機会がなくなり、帰国する外国人労働者も増える。今回、取り上げられたのは、ブラジルへ帰国した日系人の苦悩だ。

 日本に出稼ぎにきたブラジル日系人のほとんどは、自動車、電機などの下請け部品企業で働いていた人たちが多い。日本人が就業しなくなった製造業の単純作業と言われる領域だ。不況の浸透とともに最初に職を失った。求職活動を続けたが、次の職がなく、結局帰国を決意した人たちである。今回日本政府は、かつて石油危機後の不況期にヨーロッパの国々が実施した帰国費用支給制度を取り入れた。自主的に帰国する日系ブラジル人労働者、本人には30万円、扶養家族には20万円が支給される。ただし、この制度を利用し帰国した者は、3年間は来日できない。こうしたことを考慮してか、来日した日系人の多くは、景気回復を期待してじっと耐えている。しかし、日本での仕事探しに絶望し帰国した人も13,000人に達している。

 問題はブラジルへ帰国した人たちが仕事につけないことだ。その原因はいくつかあるが、帰国したが母国で活用できる技能を身につけた人たちが少ないことだ。日本で10年以上、時には20年近く働いていた人たちも多いのだが、多くはいわゆる単純労働についていたため、帰国しても評価される技能が身についていない。さらに、日本で生まれ育ち、親たちの母国語であるポルトガル語が話せず、ブラジルでの学校生活に適応できない子供たちの問題まで生んでしまった。

 ブログで再三強調してきたことだが、海外出稼ぎが効果を上げるためには、労働者が出稼ぎ先で習得した新たな技能が、帰国後母国の発展に役立つことである。しかし、この例のように、日本で長く働いても、帰国後、母国に寄与できる技能が身についていないことは多い。この責任の一端は、外国人労働者に技能上達の機会を与えず、こうした仕事をさせてきた日本の使用者にもある。(そうした選択をした外国人労働者にも一端の責任はあるとはいえ)ほとんどの場合、外国人労働者には仕事の選択の自由がない。雇い主側がいかに美辞麗句を連ねようと、多くの外国人労働者はその場かぎりの役割しか与えられなかった。悪名高い技能研修制度についても、同じ問題がついてまわった。

 移民(外国人)労働者については、日本はヨーロッパなどの経験から十分学びうる立場にあった。しかし、最重要な点については、ほとんどなにも学んでいないのだ。(当のヨーロッパも行きつ戻りつしているといえるかもしれない。)この誤りを後世に繰り返さないために、外国人労働者を含める新たな雇用政策は、あるべき道に戻らねばならない。この領域、ともすれば「木を見て森を見ない」議論が多いが、人口減少の坂道に立った今は姿勢を正す最後のチャンスだ。

 日本で働く外国人労働者にも、彼らを受け入れる以上、日本人労働者に準じたあるいは同等な機会が与えられねばならない。外国人労働者を受け入れながら、当初から彼らを「二流、三流市民」に位置づけることは、大きな禍根を残す。単純労働の分野に残留させることなく、国内労働者同様に技能水準の上昇の可能性も保証されねばならない。出稼ぎ先で一定の成果を残した後に帰国し、新たに身につけた技能で母国の発展に寄与できることが必要だ。そして、なんらかの理由で帰国せずに出稼ぎ先へ定住することを選択した人々に対しては、子女の教育機会を含めて、自国民にできるかぎり準じた待遇・条件を整備することが欠かせない。

 

Reference
2009/10/30 BS1 「日系ブラジル人 帰国後の厳しい現実」

コメント (3)
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