時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

戦争・災厄の17世紀と現代

2011年09月20日 | 書棚の片隅から



Anthony van Dyck
Portrait of the Princes Palatine Charles-Louis I and his Brother Robert

1637
Oil on canvas, 132 x 152 cm
Musée du Louvre, Paris

プファルツ、あるいはパラティネートは、ドイツ南西部、ライン川西岸の地域に相当し、1945年まで旧バヴァリア州に所属;もと近隣の上プファルツとともに、神聖ローマ帝国の公領。
1632年、画家ヴァン・ダイクはイングランド王チャールズII世のお抱え画家として、王と兄弟の肖像などを多数制作した。30年戦争の発端となったプファルツ選帝侯領の若い美男の王子たちの肖像画だが、甲冑で武装していることに注意。


  ピーター・ウイルソンの大著『ヨーロッパの悲劇:30年戦争の歴史』を読むべきか否かで最初ためらったのは、その膨大なページ数と小さな活字であったことは、前回記した。英語で書かれた30年戦争史は、筆者の知るかぎりでもいくつかある。その中では、C.V.ウエッジウッド女史の著作がよく知られているが、その2倍近い量である。しかもウエッジウッドの著作から、さらに70年近い年月が経過している。その間に、世界史上に大きな名をとどめるこの戦争の評価にいかなる変化があったか、興味を惹かれた。とりわけ、これまでの戦史よりも格段に実証に重点が置かれており、実態をより客観的に知ることができるかもしれないと思ったことが、最終的に背中を押した。

労作を手にするまで
 珍しく手に取る前に考えさせられた作品だった。なにしろ、1616年5月23日の戦争勃発まで、前段階の記述だけで269ページもある。しかし、実際にも背景は複雑であり、著者はまずそれを丁寧に解きほぐしている。結果として、あきらめずに読んで良かったと著者に感謝することになった。30年戦争にかかわる文献は数多いのだが、特定の史観が強かったり、実証部分が十分でないものが多く、知りたい部分が扱われていない文献が目立つ。その点、本書は17世紀ヨーロッパ史に関心を持つ者にとって、ウエッジウッドの著作に比肩する必読文献となることはもはや明らかである。著者がこの作品にかけた情熱と努力の大きさに脱帽した。

 これまでの戦史でなかなか分かりにくかったのは、16世紀初頭、ハプスブルグ帝国の台頭の仕組みであり、急速にヨーロッパ世界に支配の手を広げる過程に生まれた数々のグローバルな難題だった。ハプスブルグ家はヨーロッパの主要王家との巧みな婚姻政策といくつかの幸運にも恵まれ、ヨーロッパ中央部での覇権を目指した。その後ほぼ2世紀半にわたり、ヨーロッパの国家体制は大きく変わる。これに加えて、近隣のオットーマン・トルコの台頭が重なり、1529年にはウイーンが占領される事態まで起きた。しかし、ウイルソンが評価するように、神聖ローマ帝国の政治体制は、選帝候領、侯爵領、自由都市国家など、小規模な単位が多数並立する複雑な体制をとりながら、予想以上に機能したようだ。



 

17世紀神聖ローマ帝国領邦都市のひとつ、プファルツ、カイザースラウテルン
Kaiserslautern
Stich von Matthäus Merian, um 1630

 帝国拡大と増大する不安
 さて、
ヨーロッパでの神聖ローマ帝国版図の拡大は、近隣諸国に大きな脅威となる。とりわけ、帝国の西側に位置するフランスはその拡大に対抗する必要を感じていた。その先頭に立っていたのが、宰相リシュリューだった。グローバルな視野を持ったこの希有な政治家への興味も一段と深まる。このブログにしばしば登場するロレーヌ公国は、この時期、2大勢力の緩衝地帯としてかろうじて存続しえた。

 戦争の背後には、宗教的要因も強く働いた。象徴的には1519年に始まったマルティン・ルッターのヴィッテンブルグ教会扉に釘で打ち付けられた「95箇条の論題」提示が契機となる。ヨーロッパの包括支配を目指すハプスブルグ家としては、教会も版図の中にしっかりと位置づける必要があった。しかし、30年戦争を根底で動かしたのは、ウイルソンが明確に提示するように宗教的対立ではなく、あくまで政治的覇権をめぐる争いであった。

 こうした国家体制、政治、宗教の大問題を背景に勃発した戦争は、ハプスブルグ家の思惑とは異なり、次々と各国の介入を生み出し、泥沼状態へ入り込む。1625年のデンマークの進入に始まり、スエーデン、フランス、スペインの進入軍との戦闘が続いた。戦争の拡大する過程では、悪疫や飢饉が重なり、事態を史上例がないほどの過酷で悲惨な状態へと追い込んでいった。戦争自体は断続的であったが、長引くほどに収拾のありかは遠のいた。主戦場となった地、とりわけドイツの領邦諸国は、その後長らく荒廃した。戦争がようやく終結した1648年時点で、神聖ローマ帝国領内で失われた人命は少なく見ても500万人、帝国の開戦前人口の20%近くに達していた。17世紀は天災、飢饉、悪疫などの頻発した時代でもあった。

現代へのつながり
 時代が下り、3世紀半近くが経過した今日、世界を震撼とさせた
9.11の回顧番組を見ていると、同時多発テロ勃発後、アフガン戦争、オサマ・ビン・ラディンの暗殺にいたる過程が、あの30年戦争にいくつかの点で似通った問題を抱えていることに考えさせられた。いうまでもなく、時代背景もまったく異なるのだが、人類がほとんど同じ過ちを繰り返していることに暗澹たる気持ちが強まる。地球上では今も戦火が絶えない。戦争は多くの人命を奪い、貴重な人類の資産を喪失させてしまう。戦勝国にとっても、冷静に考えると決して大きな利得が発生するわけではない。ベトナム戦争の過ちを繰り返さないとの触れ込みで始まったイラク戦争も拡大を続けた。今改めて振り返ると、最大の当事国アメリカにとっては、ベトナム戦争以上に国家的・社会的犠牲の大きな泥沼状態をもたらした。

 9.11の犠牲者になりすまし、被災者ネットワークの代表として売名を図る者の出現に象徴されるように、戦争はアメリカの財政危機をもたらしたばかりか、国民の間に深い精神的荒廃も生んだ。ビン・ラディン殺害で安堵しえないばかりか、アメリカ国民の心の傷跡はさらに深まったのではないか。次第に少なくなってきた同世代のアメリカの友人たちもこのテーマになると、一様に眉が曇る。大国アメリカの再生に大きな期待をかけられたオバマ大統領だが、再選への道は一段と厳しくなってきた。未曾有の天災・人災に見舞われ、大きな重荷を背負うことになった日本も、真の国家戦略・自立のあり方を問われている。

 
 

Peter H. Wilson. Europe's Tragedy:A New History of the Thirty Years War. London:Penguin Books, 2010, 995pp.


☆ 17世紀を振り返ることは、現代のあり方を考えることにつながるとの思いが強まるばかりです。災厄の多い年ですが、皆様のご無事、復旧・復興を祈っております。

コメント (2)
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