セルゲイ・ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』
アレクシス・ワイセンベルク(P) ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1972年
TVも新聞もオリンピックの記事ばかりで、いささか食傷気味な1ヶ月ではあった。他方、多くの感動的で印象に残る場面があった。人間の強さ、弱さ、プレーヤーそれぞれの人生の来し方が鮮烈に示され、見る人たちにさまざまな感動を与えた。
日本選手の活躍ぶりには、多くの人たちが日頃の生活の労苦を忘れて、一喜一憂し、プレーヤーの心を共有した。後世に語り継がれる名場面も多かった。国民の期待とプレッシャーが高すぎて、気の毒と思われた若い選手もいた。とりわけ、フィギュア・スケートの浅田真央選手の予想もしなかった挫折とめざましい再生もそのひとつだ。前半は信じられない場面の連続だった。本人はいうまでもなく、見ていた多くの人たちの面前で舞台が暗転した。しかし、驚いたことに、わずかな時間をはさんで、舞台は大きな感動に溢れる場に変わっていた。その過程は、メディアで子細に報じられていて、ここに改めてとりあげることなどない。
ただ、管理人にとっても思いがけない感動を与えてくれた。小さなことだが記してみよう。それはテーマ曲に選ばれていた音楽、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番にかかわっている。ラフマニノフは、まだ筆者が学生時代、レコード音楽に少しばかり深入りしていたころ、最初に手にしたLP盤の一枚であった。それらの中には、今も時々聴くディヌ・リパッティの『ショパンピアノ曲集』なども入っていた。
いずれも作曲家や演奏家自らが歩んだ厳しい人生を背景に、多くの感動を与える名演奏であった。しかし、ラフマニノフについては、その後ながらくLP盤は、お蔵入りして目前から去り、自分で選んで聴くことはほとんどなかった。わずかにその後生まれたCD盤を時々かけるくらいであった。最近では高音質CD,SACD、BDオーディオなど、ディスク・メディアも多様化し、レコード店に出かけても、どれを選ぶべきか、選択も難しくなった。
そうした中、オリンピックの開会に先立つ今年初め、あるきっかけでこの曲を聴くことになった。それは近年音楽愛好家の間で話題になっているハイレゾ(High Resolution)ヴァージョンにかかわっている。人間の可聴域は一般に2万(20k)ヘルツまでといわれているのに、なぜそれを上回る音域が必要となり、人気を集めているのかという素朴な疑問が生まれた。
たまたまハイレゾ・ヴァージョンに接する環境ができたこともあって、一度聴いてみたいと思い、ダウンロード可能な音源を探してみた。しかし、クラシック分野では、ハイレゾ・ヴァージョンで入手できる作品は意外に少ない。配信サイトは国内外にかなりあるようだが、専門家ではないので評価が難しい。手始めに国内サイトを当たっていると、ラフマニノフ(カラヤン指揮、ピアノ、ヴァイセンベルグ、ベルリン・フィル)に行き当たった。直ぐにダウンロードし、聴いてみた。
かなりの時間をおいて聴いたこともあるが、ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』の新しい音源はさわやかで力強い感動を与えてくれた。加齢とともに高音域が聞き取りにくくなるといわれるが、金管が美しく鳴り、全体に厚みと迫真力が出て、音楽としての深みが増したような感じがした。いずれCD盤と聞き比べてみたい。
そして、TVで見た浅田選手のスケーティング、目で見る演技よりも前にラフマニノフの方が耳から入ってきた。前日は極度の落胆の境地にあっただろうと思わせる人とは、まるで別人のごとく、浅田真央は本来あるべき美しい演技に戻っていた。ラフマニノフのテーマ曲は、そのすべてをしっかりと支え、これ以外の曲は選びがたいと思わせるほどであった、振り付けも素晴らしかった。とりわけ観客の多数を占めたと思われるロシアの人々には、かつては連邦の一翼でもあったウクライナの悲惨を一時忘れ、古き良き時代?を偲ばせる、ノスタルジックに心を揺さぶる響きであっただろう。それは、同じ曲が閉会式にも選ばれるという主催者の心配りにも現れていた。
2月の別名「きさらぎ」は、草木の更生する(いきかえること)ことを意味する(広辞苑第6版)。