日本経済新聞 2018年7月1日、 The STYLE/ART という特集で、「絵画の戒め(上) 故意の一瞬 醒めた誘惑」と題し、次の3点が取り上げられていた。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《ダイヤのエースを持ついかさま師》(ルーヴル美術館蔵)、クエンティン・マサイス《不釣り合いなカップル》(ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)、ルーカス・クラーナハ(父)《不釣り合いなカップル》(ウイーン美術史美術館蔵)
このブログでも取り上げたことがあり、ご存知の方も多い作品である。いずれも含意はそれぞれ異なるが、ある社会階層の男性が揶揄、批判、物笑いなどの対象として取り上げられている。
ここではよく知られているラ・トゥールの作品について考えてみよう。カード詐欺師のグループに ’むしりとられる’ 世間知らずの富裕な貴族の若者が描かれている。
この作品は今や大変著名なもので、この画家の代表作のひとつとしてよく知られるまでになった。ラ・トゥールは17世紀、現在フランスの東北部ロレーヌの小さな町のパン屋の息子として生まれたが、天賦の才と努力、隠れた才能を見出した代官などの支援などもあって、ルイ13世付きの画家にまで上り詰めた。当時は大変”有名な画家”であったが、その後忘却され、20世紀初めに再発見されるまでは全く忘れ去られていた。
再発見後、ラ・トゥールは長らくロウソクの焔で映しだされる”夜の画家”としても知られてきたが、この作品の発見で”昼の画家”でもあることが話題となってきた。ブログ筆者は、この画家には”昼、夜の別”はないのだと考えている。この作品は”昼の世界”を描いたとされてきたが、作品の意味するところからすれば、昼でも夜でもない深い闇の世界の次元である。
リアリズムの視点から問題の核心に迫ることを特徴としてきたラ・トゥール作品の解説は別として、ブログ筆者が関心を寄せてきた点の一つは、描かれた人物は画家の純然たる想像の産物か、実在のモデルが存在し、それにある程度依拠しているのかということにある。想像上の結果とすれば、この画家は、リアリズムの画家としても知られており、多くの作品が画家の身辺にいた実在の人物をモデルとしてきた。この作品でひときわ目立つのは、美術評論家のベルト・ロンギが”ダチョウの卵”と形容した卵形の顔で美貌だが、妖しい影のある女性である。当時宮殿社会で見かけられた高級娼婦ではないかとされてきた。改めて見直すと、どの人物も一癖ありげな容姿である。他方、貴族の若者はカード詐欺師の仲間から剥ぎ取られる世の中が見えていない若者として類型化されている。
画家が出入りを許されていたと思われるロレーヌ公国ナンシーの宮殿にはこうしたいかがわしい人物が出入りしていたと推定されている。とりわけ、イタリア帰りの若者は、世界の文化の中心地ローマのファッション、マナーを身につけているということだけで、宮殿世界では’モテモテ’の存在だったようだ。貴族女性の格好なお遊び相手でもあった。
いかさま師に怪しげな目配せで指示をする女性、その召使いなどはいかにもうさんくさい。新聞紙上の印刷では作品の微妙な色合いなどは感じ難いが、実際の作品に接する機会があれば、その微妙さに引き込まれる。この帽子の色は”ラ・トゥールの黄色”と言われる深みがある。画家がその顔料をどこから入手したかを探索するだけでも、脳細胞は活性化する。
描かれているのは、詐欺師たちがこの勝負にかける緊迫した一瞬だ。彼らは若者のテーブルに置かれた金貨をすべて巻き上げることを企んでいるはずだ。次の瞬間、ゲームはどう展開するか。作品を鑑賞する側の能力が試されている。
近年、美術、音楽などを、現代社会のさまざまな病、とりわけ精神面の病や疲労のセラピーの手段として活用する試みがなされている。この作品は癒しの手段としては遠いが、画家が見る人を試している意図を探ることで、衰えた脳細胞もかなり生き返る。みなさんは画面にみなぎる一瞬の緊迫感を感じられますか。