時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ブラックアウトの先に光を見る

2018年09月07日 | 午後のティールーム

 

9月6日未明、北海道胆振地方を震源とする大地震によって、日本は南の九州から北海道までさながら災害列島のような状況を呈した。今日では寺田寅彦の言葉以上に、災害は以前の記憶を忘れる前にやってくる。

* 寺田寅彦「津波と人間

このたびの北海道地震発生直前の週、ブログ筆者は震源の胆振地方に比較的近い地域に滞在していた。北海道に生まれ育ち、生涯を閉じた友人の鎮魂の旅でもあった。猛暑がピークを迎えていた頃、この地の気温は日中摂氏16度、夕方など肌寒いくらいであった。広大な草原と畑が広がる中に、美しいフラワー・ガーデンが散在していた。

しばらく穏やかな光の下で美しい光景を楽しんだ後、戻った都会の地では依然酷暑の日が続いていた。そして旅の荷物を下す間もなく、北海道地震の発生のニュースに接する。9月6日未明から、広大で美しいかの地では、舞台は暗転していた。北海道のほぼ全域にわたる停電 blackout の発生だった。停電という事件がいかに多くの人々の冷静さを奪い、混乱の渦に巻き込むかを知った。外国人旅行者も増え、スマホの充電分が切れると、人間は不確かな情報。街中が暗いばかりか、交通機関は止まり、情報が極めて少なくなる。あと数日、停電が続いたら暗い街中、情報もなく、何かのきっかけで暴動でも起こりそうな混乱だった。電力というエネルギーの持つ恐るべき力にうちのめされた感があった。

1965年北アメリカ大停電のイメージ

大停電というと、ブログ筆者の頭にすぐに思い浮かぶのは、1965年の北アメリカ大停電のイメージだ。一般には北アメリカでの大停電 というと、1977年、2003年などの停電が考えられることが多いようだが、アメリカで大停電が重要な出来事として語られるようになったのは、1965年11月9日 ニューヨーク市を含むアメリカ北東部と五大湖周辺のカナダに及ぶ広範な地域で同時発生した大停電だった。

ブログ筆者はたまたまニューヨーク州の大学院で学生生活を送っていた。その時のイメージは、不思議なほど今も鮮明に残っている。夕食後のコーヒータイムで、宿舎のテラスで友人たちと一緒に雑談をしていた時、突然全キャンパスから光が消えた。広大なキャンパスがほとんど闇に消えた。誰も何が起きたかすぐには分からなかった。空には秋の終わりの夜空に、満天の星がきらめいていた。いつもはあまりゆっくり見ることのない全天を覆う星々を見ていると、時に星も流れた。



停電の原因はわからずままに、その日は図書館へ戻ることもなく寝床についた。この1965年はアメリカはジョンソン大統領が念頭教書で「偉大な社会」Great Society 建設を強調、南ヴェトナム駐留軍の総員を2万人から19万人に増加したことに加えて、アメリカの教育、住居、健康、就業訓練の機会、水質、老人医療保障の分野の改善させることを掲げていた。南ヴェトナムでのアメリカ駐留軍の死者も1900人を越え、反戦運動も高まりつつあり、キャンパスの空気も緊迫していた。いまでも時々、プロテストの反戦歌を耳奥に聞くような気がする。ヒッピー文化が台頭した時であった。カザン『アメリカの幻想』、メイラー『なぜぼくらはヴェトナムへ行くのか』、スタイロンのナット・ターナーの告白』が出版されたのも、この少し後1967年だった。

翌日になると、どこからか、巨大隕石の大陸送電線への落下、あるいはソ連の攻撃によるものだとの噂が根拠なく伝わってきた。回復にはかなりの日数を要したと記憶している。その後、調査が進み、実際にはカナダのオンタリオ州、ナイアガラ地域にある発電所事故から生まれた北米電力受給システムのインバランス(オーバーロード、過重負荷)によるものであるらしいことが分かってきた。ナイアガラの発電所から供給される電力が、なんらかの原因による事故で断絶したため、カナダ北東部からアメリカ・ニューイングランド地方に渡る電力供給が途絶し、1965年ニューヨーク大停電などともよばれるまでになった。停電により、2500万人と207, 000 km²の地域で12時間、電気が供給されない状態となった。

このたびの北海道地震で苫東厚真発電所に過大な負担がかかって支えきれなくなり、全道の電力需給システムが突然破綻してしまった背景と近似するものが あるようだ。全面復旧は11月以降と改めて発表されている。苫東厚真発電所は1号機から3号機まで全て故障しているようだ。節電への圧力も強まるだろう。


1965年北米のブラックアウトに話を戻すと、その後の調査によれば、当時カナダやアメリカ北部はすっかり冬の寒さに包まれていたため、暖房などの使用率が大幅に上がった。ナイアガラ地域の発電所のシステムの構築状態に不具合があった為、突如ナイアガラの発電所から供給される電力は停止し、カナダ、アメリカ北部のシステムが一気にオーバーロードになり停電となってしまったというのが、その後公表された公式の調査書の結論だったが、異論も残った。この地域ではその後も同様な事故が繰り返し発生した。

ブログ筆者にとって、大停電はヴェェトナム戦争を中心とする戦争の時代と何処かで結びついている。この後、アメリカはヴェトナムから撤退し、しばし平和の時が続く。1968年3月31日、ジョンソン大統領は北爆を停止、大統領選不出馬を声明した。


 

 

 

このたびの北海道大地震でお亡くなりになった方々に、心からお悔やみ申し上げます。

 

 

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