出入国管理法案をめぐる議論は急激に進行しており、今日明日中には成立する見通しだ*1。しかし、議案は構想は極めて不十分であり、検討に時間をかければかけるほど問題は次々と出てくる。成立を急げば、発効後に取り返しのつかない大きな悔いが残る。しかし、国民レヴェルでも、ほとんど詰めた議論もなく、この国は大きな決断を迫られている。1980年代以降、日本は何を学んだというのだろうか。
政府はさしたる説得的構想や受け入れ拡大の理由を提示することもなく、来年4月からの施行を考えている。なぜこれほど急いでいるのか。考えられる一つの理由は、2020年に迫った東京五輪の施設建設や被災地復興に関わる建設労働者の不足、高齢化の進行がもたらした介護・看護分野の人手不足などが予想を越えて拡大し、関連業界の経営者が追いつめられ、与党・政府に圧力をかけた結果とみてよいようだ。五輪後にこの国がどうなるかなど、およそ考えられていない。
確たる構想の下で練られた制度改革とは到底いえない。日本は未来を向いている国なのだという新鮮味はなく、朽ちかけてきた制度の手直し程度に過ぎない。批判する野党側にも問題が多い。対する側にさしたる構想がなかった。これまで準備をしてこなかったのだ。結果として、的外れや部分的な議論が多く、TVなどの議論を見ても、1980年代以降の経緯をほとんど理解していない発言も少なくない。
施行前に全体的構想を示せとの衆院議長の發言も出ているほど議論収斂の方向も見えず、とにかく受け入れ拡大案だけ通すという破滅的な政策だ。
二、三の例をあげてみよう。
技能実習制度の負の遺産
依然として技能実習制度の手直しなどに固執している論者もある。折しもヴェトナム人技能実習制度実習生の自殺が伝えられている。なかにはブローカーから100万円近い借金を抱えて来日し、最低賃金を下回るような低賃金での就労では到底返済もできず、言葉も十分分からず、文化も異なる日本での生活に溶け込めず、精神的にも鬱屈し、自殺などの不幸な状況に追い込まれることが多いようだ。
この国際的にも悪名高い制度は、見直し程度ではこれまでに刷り込まれてしまった負の遺産は払拭できない。
日本で身につけた技能で帰国後、母国に尽くすという国際協力なる立法目的は、ほとんど最初から死文化している。そして、帰国するのもままならず、日本人が働かなくなった分野での劣悪な仕事に就いているという現実が、研修生の期待と大きく離反している。失踪者が増えるのも当然と言える。いくら言葉の上で繕っても、本質の改善にはならない。
そればかりか、現実には同様な被害や悪評が再生産されてしまう。こうした歪んだ制度は廃止し、新たな構想に基づく新制度を設計しなければならない。ここまで来たからには時間をかけるべきだろう。制度としても仕組みがクリアなものでなければ、悪徳ブローカーや使用者の思うがままだ。そのためには手始めに「就労」と「研修」という行動は全く別物であることを明示し、制度的にも区分しなければならない。「研修」の名の下に低賃金で技能研修生を「就労」させるという行為は欺瞞以外の何物でもない。
受け入れ数についての再検討
多くの国が移民制度改革を行い、国境の壁を高めている状況で、人口政策の失敗で受け入れを拡大するという逆の方向をとる以上、新しい受け入れの仕組みは起こりうる事態に十分に考え抜かれた制度であるべきだ。アジアでは人口の供給圧力が高まっている。その場限りの対応をしていれば、必ず大きなツケを払うことになる。リーマン・ショック時のような不況時に故国に帰るに帰れなかった日系ブラジル人はその例である。来年の4月から施行とは、拙速のそしりを免れない。
すでに130万人を越える外国人居住者の存在は、それだけで、国際的基準では歴然たる移民受け入れ国だ。技能実習生、留学生アルバイトなどが非熟練労働に従事している。こうした点を考えると、移民制度改革という視点はいくら強調してもしきれない。増える外国人やその子女の教育や医療についてはいかなる対案があるのだろうか。
他方、外国人を増やさなくともやっていけるのではないかという疑問もある。そのためには業種・職種についてかなり厳密な需給度を判定する市場テストが必要だ。国内労働者と外国人労働者との間には「代替」効果か「補填」効果のいずれかの関係がある。この判定を行う場合、賃金率はどれだけ上げられるのか。省力化の見通しなどが検討されねばならない。
熟練度の区分も問題だ。労働市場には、不熟練労働から高度な専門性を有する熟練まで、極めて多くの熟練の区分がある。提示されている二つの熟練区分ではない。外国人労働者の移動のあり方にも考えるべき点が多い。「特定技能一号」、「特定技能二号」という分類にも大きな問題がある。専門性、高技能の持ち主ならば、家族帯同も認めるという差別的対応も問題だ。「入国・在留」を認めた分野の中では転職を認めるが、転職の際には審査を必要とするというのも、将来問題化することは必至である。
労働は派生需要だから、製品やサービスの最終需要の変化に由来する労働への需要の変動に対して、いかなる対応をするのかという点に十分配慮しておかねばならない。不況時においても原材料の増減や機械の稼働率のように簡単には調整できない。
最低賃金、残業割増し、アルバイトについての規制など、外国人学生にはどれだけ伝わっているか。ブログ筆者がかつて行った実地調査の時には、地域の最低賃金額を知らない使用者が多く、呆然としたこともある。
一部の国際機関、研究者などが提唱している「サーキュレーション・マイグレーション」(循環的移民)もあまり効果は期待できない。母国の政治・経済事情が顕著な改善を見ない限り、現在いる国へ定着する傾向はむしろ高まる。さらに失踪、不法滞在者などが増えると、国民の不安、犯罪増加なども不可避的に起こる。多難な道だが共生のあり方を考えねばならない。
日本語教育の充実は、欠かせない。数日前にしばらくぶりに再会したオランダ人夫妻、長女が次のような話をしてくれた。大学病院勤務の医師という職業柄もあって、オランダ語が十分に話せない外国人同僚とは、微妙だが即断が必要な仕事はできないと率直に語っていた。人間の生死が関わるような切迫した手術などの仕事の場では、つい英語が出てしまうという。英語ならなんとか通じるからだという。日本の語学教育も再考しなければならない。やや脱線した論点だが、最近のオランダでは難民には人道的観点から同情的な人が多いが、(経済的)移民には厳しくなっているという。国民の間で、「移民」と「難民」の違いすら十分理解されていない日本が、5年間に最大34万人の外国人労働者を受け入れるという案には、疑問が尽きない。
こうした混迷した状況にあるから、近未来に向けて、言葉の真の意味での包括的移民政策の構想と充実は、もはや欠かせない。名称は多少変化するとしても「共生支援省」はいずれ必要になろう。「国土安全保障省」*は見たくない。
*アメリカ合衆国国土安全保障省*(United States Department of Homeland Security、略称: DHS)
2018年12月8日未明、参院本会議で、可決、成立。