時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

歴史の軸を遡る(5):揺れ動くクロムウエル像

2021年03月06日 | 絵のある部屋

国会議事堂前のオリヴァー・クロムウエル銅像

ある時代に一世を風靡し、偉大な人物とされた個人の銅像などが、時代が変わったり立場の違いから評価が変わり、引き落とされたり、落書きをされるという事件がまた増えているようだ。最新のNEWSWEEK誌に掲載された論評によると、英国南部ブリストルでは、奴隷貿易商エドワード・コルストンの像が川に投げ込まれ、ロンドンではチャーチル元首相の像に「人種差別主義者」の落書きがされた。オックスフォード大学では、帝国主義者のセシル・ローズの像をオーリエル・カレッジから撤去すべきとの声が上がっているとのこと。当事者は急遽報告書を発表したり、検討委員会を発足させている。

同誌のコラムニスト、コリン・ジョイスは、複雑な歴史上の人物を単純な悪党に仕立て上げることはばかげたことで、一方的な議論になりかねないと指摘している。


コリン・ジョイス「偉人像攻撃の耐えられない単純さ」NOT A SIMPLE BLACK-AND-WHITE ISSUE, NEWSWEEK 2021.3.9

クロムウエルの銅像は
彼が挙げるひとつの例は、オリバー・クロムウエルの像だ。ロンドンの国会議事堂前に鎧姿で剣と聖書を持った銅像が立っている。実は最近トピックスに取り上げているケンブリッジや東イングランドにはクロムウエルの像や史跡が多い。ここはピューリタニズムの発祥の地なのだ。

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N.B.
オリヴァー・クロムウエル(Oliver Cromwell: 1599~1658)
イギリスの軍人・政治家。清教徒。イングランド共和国初代護国卿。清教徒革命で議会軍を率いて王軍を破る。1649年チャールズ1世をスコットランドに追い、共和制をしき、アイルランドに出征。スコットランド軍を破ってイギリス諸島を平定。51年航海法を発令し、53年護国卿に推されて独裁権を発揮した。
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実はこのクロムウエル、アイルランドにルーツを持つイギリス人の多くも同じだろうが、1649年アイルランドで残虐さで悪名高い鎮圧部隊を率いた。市民は虐殺され、土地は没収されて、多数派のカトリック教徒に差別的な刑罰法が制定された。戦争を機に飢餓と疫病が起こり、多くの死者が出た。

そのため、クロムウエルのアイルランド鎮圧を「ジェノサイド(集団虐殺)」と呼ぶ人もいれば、「戦争犯罪人」とする人もいる。こうした事実に基づいて、彼は正当な理由でアイルランド人から憎まれている。

アイルランド人の目から見れば、大災厄の「ジャガイモ飢饉」で大量死が発生したのは大部分がイギリスの統治下にあってのことだとされる。アイルランドの人口は1845~51年の6年間で約4分の1に減った。推計100万人が餓死し、100万人が移住を余儀なくされた。

ジョイスはいう。こうした人物の像を引き倒せということではない。複雑な歴史上の人物を単純な悪党に仕立て上げるほとことほど、ばかげたほど一方的な議論になるという。


確かにクロムウエルの死後の評価は、類い稀な優れた指導者か強力な権勢を誇示した独裁者か、歴史的評価は分かれている。クロムウエルに関する研究は多いが、今日でも政治的立場によってその評価はかなり振幅がある。

大聖堂の町イーリーとクロムウエル・ハウス
前回まで記してきたイングランド東部やケンブリッジで、ブログ筆者が好んで訪れたのは、ケンブリッジから車で20~30分で行ける大聖堂の町イーリー Ely だ。ケンブリッジ滞在中、日本からの友人などを案内したりで、かなりの回数出かけた。

イーリーまでの道も季節ごとに大変美しい。春にはラヴェンダー畑の中を行く。途中はウイッケン・フェンといわれる沼沢地に沿った道である。中世初めの頃はこのあたりは浅い海だったとのことで、定湿地であり、その中の道を進むと、前方の小高い丘のようなところに際立って立派な大聖堂が現れる。世界で「中世の七大驚異」”SEVEN WONDERS OF THE MIDDLE AGES”のひとつに挙げられる。「フェンに浮かぶ船」と言われるように、時には霧の中から尖塔が浮かび出て幻想的な経験をすることもあった。この辺り、フェンと呼ばれる広大な湿地帯が展開していて、霧が立ち込めやすい。

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N.B. ウイッケン・フェンとイーリー大聖堂
ウィッケン・フェン Wicken Fenはケンブリッジシャーのウィッケンの西にある254.5ヘクタールの科学的興味を惹く地帯である。また、国立自然保護区でもある。これは、国際的に重要なラムサール湿地としての国際指定、および生息地指令に基づくフェンランド特別保護区の一部として保護されている。
このフェンの中にあたかも浮かぶ島のように建てられているのが、イーリー大聖堂だ。イーリー大聖堂は、正式には聖三分割教会の大聖堂教会で、イギリスのケンブリッジシャー州イーリーにある英国国教会の大聖堂である。 大聖堂の起源は、西暦672年の聖エテルドレダ修道院教会にさかのぼる。現在の建物は1083年近くに建造され、1109年に大聖堂の地位を与えられた。宗教改革までは、聖エテルドレダ教会と聖ペテロ教会だった。



ウイッケン・フェンの風景 YK

実はイーリーにはオリヴァー・クロムウエルが革命前に住んでいた家がそのまま残されており、博物館と観光案内所になっている。内部はクロムウエルが住んでいた当時を忠実に再現しており、ピューリタニズムの質実剛健な生活を知ることができ、大変興味深い。
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オリヴァー・クロムウエル ハウス
クロムウエルと家族は、1636年から1647年にかけてイーリーに住んだ。その間は政治的にも宗教的にも混乱の時期であった。1649年にチャールス1世の処刑が決まり、一つの転機となった。クロムウエルが護国卿となることで大きな権力を振るった。クロムウエルが住んだこの家は室内も開放されていて、当時の生活を偲ぶさまざまな工夫が凝らされている。



クロムウエル ハウス


ケンブリッジシャアには、イーリー以外にもクロムウエルやピューリタンに関わる遺跡が多い。しかし、今回はこのくらいにしておこう。



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